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第117話:帯広駅前、オフィス移転計画?〜質感の聖地と、節税にならない隣室〜
「三千万……。三千万円の、税金……」
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパート、四畳半。
俺、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、万年床の上に大の字になり、シミだらけの天井を見つめながらうわ言のように繰り返していた。
コラボ配信の大成功で得た、莫大な利益。
それに伴い発生する、来年度の予測納税額、約三千万円。
税務調査を無傷で乗り切った高揚感など、この圧倒的な【数字の暴力】の前に、一瞬で消し飛んでしまった。
『ルシフェル社長。現実逃避をして天井のシミを数えていても、国税庁のシステムから社長のデータが消えることはありません。起きてください』
ワイヤレスイヤホンから、アシスタントの結愛(ゆあ)の冷たい声が降ってくる。
「……起きたって、どうしようもねえだろ。三千万だぞ。俺が一生かけても拝めないと思ってた金額を、国にカツアゲされるんだぞ」
『カツアゲではありません、国民の義務です。……ですが、先ほども申し上げた通り、合法的に利益を圧縮し、納税額を減らす方法はあります』
「だから、経費を使えって言うんだろ……」
俺はのろのろと身を起こし、三万円のゲーミングチェアに座り直した。
コルセットで巻かれた腰が、四十歳の悲鳴を上げる。
『はい。現在のインフィニティ・ワンの事業規模、そして社長個人の労働環境を鑑みて、最も効果的かつ急務である【投資(経費)】のプランを作成しました』
俺のモニターに、結愛から送られてきたPDFファイルが表示される。
タイトルは、【本店所在地の移転、ならびに執務環境のアップグレード計画】。
「本店所在地の移転……?」
『ピローン♪』
AIのジェミニ先生が、モニターに華やかな建物の写真をいくつかポップアップさせた。
『ルシフェル社長。現在の事業規模(年商一億円越え)において、この木造アパートの四畳半を本店所在地としていることは、セキュリティ面、ならびに対外的な信用面で著しく不適合です』
画面に映し出されたのは。
帯広駅前にある、ガラス張りの立派な商業ビルや、セキュリティ完備の高級マンションの画像だった。
『第一候補。帯広駅徒歩五分、築浅オフィスビルの一室。家賃・月額三十五万円。第二候補。同じく駅前のタワーマンション高層階。家賃・月額四十万円』
「や、やちんよんじゅうまん!?」
俺は目ん玉が飛び出そうになった。
「バカ言え! 俺の今のアパート、家賃三万二千円だぞ!? 10倍以上じゃねえか!」
『だからこそ、節税になるのです。年間で数百万円の地代家賃が経費として計上でき、利益を大きく圧縮できます』
結愛のタイピング音が、淀みなく響く。
『それに、社長。今後、企業案件のオンライン会議や、メディアの取材などが入る可能性も高いのです。その際、背景に限界みそラーメンの汁が飛んだ壁紙や、万年床や積み上がった空き箱が映り込むのは、企業ブランドとして致命的です』
「…………」
確かに、結愛の言うことは一理ある。
一億円企業の社長が、いつまでもこの隙間風の吹く四畳半に引きこもっているのは、客観的に見ておかしい。
駅前のタワーマンション。立派なオフィスチェア。夜景を見下ろしながら飲む、高級なコーヒー。
それが、成功した社長の『あるべき姿』なのだ。
「……だめだ」
俺は、静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
『だめ、とは? 家賃の高さに怯えているのですか? 現在のキャッシュフローなら全く問題ありませんが』
「違う。金の問題じゃない」
俺は、三万円のゲーミングチェアの肘掛けを強く叩いた。
「結愛。ジェミニ先生。お前ら、あの時のコラボ配信のチャット欄を見てなかったのか?」
俺の脳裏に、数日前の、あの狂乱の夜が蘇る。
『質感の神』
『ガチの悲惨さが最高』
『このボロアパートから成り上がる姿が見たい』
二十万人の視聴者が、そして数百万円のスーパーチャットが、何を評価してくれたのか。
「あのリスナーたちは、俺が『エリート社長』になることを望んで金を出したんじゃない。この泥臭い四畳半で、限界みそラーメンをすすりながら、税金と腰痛に苦しむ【底辺のリアル】に共感してくれたんだ」
俺は、壁のシミを、そして積み上がった書類の山(段ボール)を、愛おしそうに見つめた。
「ここは、ただのボロアパートじゃない。……俺が何者にもなれなかった時代から、一千万を掴み取り、税務調査を乗り切った、【質感の聖地】なんだよ」
『…………』
「もし俺が、ここでタワマンなんかに引っ越して、夜景をバックにワイングラスなんか回し始めたら。……それはもう、『ルシフェル社長(秋谷雪)』じゃない。ただの、つまらない成金のおっさんだ」
俺の言葉に、イヤホンの向こうは静まり返った。
「だから、俺はここを出ない。この四畳半から、一億円を稼ぎ続ける。それが、俺のビジネスモデルであり、矜持(プライド)だ」
『ギシィッ』
俺の体重を支える三万円のゲーミングチェアが、「よく言った」とばかりに鳴いた。
数秒の、重い沈黙の後。
『……はぁ』
結愛の、心底呆れ果てたような、深いため息が聞こえた。
『要するに、引っ越し作業で腰痛を悪化させるのが嫌なのと、新しい環境に適応する【四十歳の気力の限界】を、綺麗事でコーティングしただけですね』
「ぐふっ!!」
俺は胸を射抜かれ、ゲーミングチェアの上で痙攣した。
「い、いや! 違う! 半分は本当だ! 質感を大事にしたい気持ちは嘘じゃない!」
『半分は図星だということですね。……ジェミニさん、どう思われますか』
『ルシフェル社長の心理的ホメオスタシス(現状維持バイアス)が極めて強力に働いている状態です。しかし、「底辺の質感」というブランド価値を維持するという観点においては、この四畳半に留まることも、一つの合理的な経営判断と認定します』
「だろ!? ジェミニ先生もそう言ってる!」
俺が勝ち誇ったように言うと、結愛は再びカタカタとタイピングを始めた。
『……わかりました。本店所在地の移転は、一旦保留とします。しかし、社長』
結愛の声が、再び鋭さを増す。
『経費を使い、利益を圧縮しなければ、来年の税金が三千万円になるという現実は1ミリも変わっていません。家賃で経費を作れないなら、別の方法を早急に考える必要があります』
「うっ……」
『それに、物理的な問題として。……これからのインフィニティ・ワンは、今まで以上に書類が増えます。取引先との契約書、税務関係の書類、そして、社長が書き始めた小説の設定資料。……すでに、その四畳半には、【紙を置くスペース】すら限界に達しているはずです』
結愛の指摘通りだった。
あの「とりあえずダンボール」は黒岩調査官の襲来を機に整理したが、部屋の隅にはすでに新しい書類の山(クリアファイルタワー)が築かれつつある。
寝るスペースすら、徐々に侵食されていた。
「……スペースか。確かに、このままじゃ書類に埋もれて孤独死しそうだな」
俺が腕を組んで悩んでいると。
ふと、俺の脳内に、ある名案が閃いた。
「おい、結愛! スペースが足りないなら、増やせばいいんだよ! それも、俺の『質感』を全く損なわずに!」
『……嫌な予感しかしませんが、一応お伺いします』
「このアパートの、隣の部屋だ」
俺は、壁をバンバンと叩いた。
「隣の【202号室】、半年くらい前からずっと空室のままだろ? 大家のばあちゃんに掛け合って、あの部屋を会社で借りるんだよ!」
『……隣の部屋を、ですか?』
「そうだ! そこを【株式会社インフィニティ・ワン・第一会議室兼経理室】にする! 書類は全部そこにぶち込めば、俺の四畳半はスッキリするし、家賃も2倍になるから経費も増える! 完璧な節税対策じゃないか!!」
俺は、自分の天才的なひらめきに震えた。
引越し作業は「隣に荷物を運ぶだけ」なので、四十歳の腰にも優しい。
『ピローン♪』
ジェミニ先生が、瞬時に計算結果を弾き出す。
『……ルシフェル社長。提案の実行可能性は極めて高いですが、節税効果について再確認を促します』
「ん? なんだよ、何か問題あるか?」
『現在の201号室の家賃が月額三万二千円。隣の202号室を同額で借りた場合、増加する経費は年間で【三十八万四千円】です』
「……おう」
『来年度の予測納税額、約三千万円を圧縮するための経費としては……【誤差の範囲】です』
「…………」
俺は、完全に言葉を失った。
三千万の税金という大怪獣の前に、年間三十八万の経費という竹槍で立ち向かおうとしていたのだ。
『ルシフェル社長』
結愛の声が、哀れみすら帯びて聞こえた。
『隣の部屋を借りる手続きは、こちらで進めておきます。……ですが、根本的な節税には全く届いていません。もっと、大きなお金を使う覚悟を決めてください』
「おおきなおかね……」
帯広のボロアパート、四畳半の聖地。
質感とプライドを守り抜いた代償は、「全く減らない税金の恐怖」として、俺の肩に重くのしかかり続けていた。
「鈴木さぁぁん……! 誰か、俺に経費の正しい使い方を教えてくれええええ!!」
四十歳の底辺社長は、隣の部屋(家賃三万二千円)というささやかな領土拡大を果たしたものの。
資本主義の荒波を乗りこなすには、まだまだ絶望的にスケールが小さいのであった。
コメント
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第117話拝読しました〜!帯広の四畳半にこだわるルシフェル社長、その「質感の聖地」って言葉にめっちゃグッときました🥀 タワマン行かないで!って思ってたから隣室借りる発想には笑ったけど、「誤差の範囲」ってジェミニ先生に言われて撃沈するところも含めて、このボロアパートの空気感がすごく好きです。次、三千万の壁をどう越えるのか楽しみにしてますね🌙
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そあち♡໒꒱
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なんたろ
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