テラーノベル
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夕暮れ時、阿部から投げかけられた突然の質問に、懐かしさを覚えつつ、一つ一つ噛み締めて言葉を紡いだ。俺たちが出逢った時のこと、二人で過ごした思い出、寂しさから芽生えた子供みたいな恋心、今となっては一つも欠けてほしくない大切な時間だった。
高校生までのことを阿部に話し、ひとまず区切った。
冷めてしまったセイロンを淹れ直そうと、阿部に断りを入れてからキッチンへ向かった。阿部のカフェオレ用に、一人分のコーヒー豆を挽く。
お湯をティーポットとドリップフィルターにゆっくりと注ぎながら、先を続ける。
「………出逢いはこんな感じだったと思うな。高校に入学した日は、もう一回会えたことが嬉しくて、他にどんなことがあったのか全然覚えてなくて」
「そんな素敵な出逢いだったんですね!生まれた時から一緒なんて、小説の世界みたい!! すごい……尊いなぁ…。素敵なご縁ですね!」
「ありがとう、当時は一緒にいるのが当たり前だったから、俺はそんなにすごいことだとは思ってなかったけど、確かに奇跡だよね。翔太に巡り会えて良かったって思うし、出逢えたのが翔太で良かったとも思うよ。」
「はぁ…素敵……俺、お二人の関係性のファンになってしまいそうです!」
「ふふっ、どういうことなの」
阿部がよくわからないことを言いながら、うっとりしているのが面白くて笑ってしまう。
賢くて柔らかい雰囲気を持った阿部は、こんな表情もするのかと少し意外だった。
カフェオレを阿部に渡して、もう一度ソファーに座る。
まだまだ興味が尽きないといった様子の阿部は、俺の方に身を乗り出してくる。
「高校生で再会したことを機に、オーナーと渡辺さんはお付き合いをするようになったんですか?」
阿部の質問に少し思案する。
「いや……? 高校生の時じゃなかったな。あ、そうそう。あの後、翔太、またいなくなっちゃったの」
「えぇっ!?」
「ふふっ」
「ふふって…」
「まぁ、まだまだいろんなことがあってね。」
「そうなんですね…!」
「そうだ、そろそろ日も暮れるし、良ければご飯食べて行く?」
「いや!そんな!悪いですよ…そろそろ渡辺さんも帰ってくる頃でしょうし…」
「阿部の晩ご飯のお供になりそうな話になるかわからないけど、昔話がてら、良ければ食べていって?阿部がいてくれたら翔太も喜ぶから」
「っ!お話聞きたい…っ! オーナーのご飯も食べたい…っ!くぅっ、、お言葉に甘えてもいいですか…?」
「もちろん。ゆっくりしててね。」
「あ、あの、、、」
阿部がもじもじと、何か言いたそうにこちらへ近付く。
「ん?どうしたの?」
「俺、お手伝いしたいです。」
「ありがとね、でも、お客さんなんだからゆっくりしてて?」
「あ、、その、迷惑でなければオーナーに料理教わりたくって…。」
「? …あぁ!そういうことね!そういうことなら任せて」
「?」
「目黒さんに美味しいご飯作ってあげたいってことでしょ?」
「えっ、あ……ぁ…はぃ………。」
健気でとても可愛らしい。
始まったばかりのこの二人が、これからゆっくりと、どこまでも歩いて行くのを近くでずっと見守っていたいと、心から思う。
阿部は顔を真っ赤にしながら、袖を捲って手を洗っていた。
俺は今日の晩御飯に使う予定の野菜の皮を剥きながら、高校生の頃の記憶を手繰っていった。
阿部に手伝ってもらいながら、今日の夜ご飯があらかた出来上がってきたところで、下の階からドアベルの音が鳴った。
どうやら翔太が帰ってきたようだ。一度手を止めて、阿部に声をかける。
「翔太帰ってきたみたい、少し待っててくれるかな?」
「はい!大丈夫です!」
「ありがとう」
阿部に了承を得てから、玄関の方へ向かう。階段を登ってくる足音が聞こえて、二階のドアが開く。
「ただいま」
「おかえり」
翔太は靴も脱がずにその場で俺を抱き締める。
玄関の段差で翔太の頭はちょうど俺の胸くらいのところに来る。翔太曰く、それが良いんだそうだ。
「はぁ、、もちもち……もふもふ………癒される、すき……」
翔太は、顔全体を俺の胸に押し付けて、ぐりぐりと擦り付ける。気が済んだら、今度は触れるだけのキスをする。これが翔太のただいまのルーティーン。
唇が離れたところで、俺は「もうすぐご飯できるよ」と翔太に伝えた。
翔太と一緒にリビングへ向かった。
翔太が部屋に入るや否や、手持ち無沙汰そうに待ってくれていた阿部が、バッと背筋を伸ばして、深くお辞儀をした。
「渡辺さん!こんばんは、お邪魔してます!」
「あれ、阿部ちゃんじゃん。どうしたの?」
「今日は夕方頃から二人でお茶してたの」
「そうだったんだ。」
「阿部、ここからはもう俺一人で大丈夫。手伝ってくれてありがとね」
「いえいえ!教えていただいてありがとうございました!」
そう言って、阿部はまたお辞儀をした後、翔太がくつろいでいるソファーの方へ向かっていった。
「渡辺さんっ!」
今日もなかなかにハードだったので、へとへとになってソファーに寝転がっていると、阿部ちゃんに呼ばれる。
顔だけ阿部ちゃんの方を向いて返事をした。
「ん?なに?」
「さっき、オーナーにお二人の馴れ初めについて教えてもらったんですが、渡辺さんにもお聞きしたくて!」
「何を?」
「渡辺さんは、いつからオーナーのこと好きだったんですか!?」
…え?いきなり…?
こんな唐突に聞かれることあんの?…今あったか。
阿部ちゃんの目から、俺の顔面めがけて、一直線に見えない星が無数に飛んできているような錯覚を覚える。それほど、阿部ちゃんの瞳は輝いていた。
無下に扱うこともできなくて、ソファーにうつ伏せたまま、阿部ちゃんに「だいぶ長いけどいいの?」と尋ねると、阿部ちゃんは大きく首を縦に振った。
いつからって言われてもな…。
あの頃からか…?
涼太のことが大好きだった。
いつからだったのかは、正直あまり覚えていない。
優しくて、可愛くて、もちもちのほっぺたを膨らませてご飯をたくさん食べる涼太が大好きだった。
同じ幼稚園に通っていた頃、漠然と「いつかでっかい男になって、涼太を迎えにいく」と決心した。子供の頃の話だ。「でっかい男」という概念はだいぶ幅が広いが、所詮ガキの考えること、おおかた、かっこいい大人になって涼太の隣に立ちたいという願望だったんだろうと思う。
園庭の隅っこに咲いていた黄色いたんぽぽの花を一輪摘み取って、楽しそうに遊ぶ涼太のもとへ行った。
「おれ、おっきくなってりょーた、むかえにく」
誓いのつもりだった。俺は「でっかい男」になって、必ず涼太を幸せにする、と多分そんな思いを込めて、たんぽぽを贈った。
涼太はきょとんとした顔で「ありがと」と、くたっと萎れたたんぽぽの花を受け取ってくれた。
その時の俺は、涼太が俺の気持ちに応えてくれたんだと思って、嬉しくなって思いっきりあいつを抱き締めた。
でかい男とはなんなのか、ずっと考えていた問いにヒントを得たのは、それからすぐのことだった。家でテレビを見ていると、画面の中で歌って踊って、キラキラの服を着ている男の人たちが映った。童話に出てくる王子様みたいで、こんな姿でならかっこよく涼太を迎えに行けるかもしれないと思った。
そのヒントは、年を重ねるごとに確信に変わり、成長するにつれ、気持ちは固まっていった。なかなかに可愛げのない子供だとは思うが、こういうテレビに出ている人は、たくさんお金も持ってるし、そう言った意味でも涼太を幸せにできるんじゃないか、という考えも持つようになった。
いつだって涼太と一緒にいたくて、別々の小学校に通うことになってしまっても、会いに行ける日は絶対に涼太の家まで会いに行った。
小学三年生になった夏休みに、俺の家族と涼太の家族とで旅行に行った。
ひまわりが咲き乱れる畑の中で、涼太とかくれんぼをして遊んだ。
ここにいそうだな、と思うところに必ず涼太は隠れていて、「見つけた」と俺が言うたびに、悔しそうにする涼太をかわいいと思った。
「どうしてそんなに、早く見つけられるの?」と聞く涼太に、
「どこにいても、俺は絶対に涼太を探し出して見つけるよ」と答えた。
この先もずっと離れたくなんて無かったから。
涼太がどこかに行ってしまっても、いつだって絶対に見つけてみせる。
俺の思考は、子供の頃から至ってシンプルだった。
会いたいから逢いに行く、一緒にいたいから離れない。ただそれだけ。
でも、かくれんぼがうまくいかないと悔しそうに、少しずつ落ち込んでいく涼太に、心臓がちくっと痛んで、元気付けてあげたくなった。
涼太が鬼の番になった時に、近くの家に行って、おじいさんにこんにちはと挨拶をした。優しそうなおじいさんは、ゆっくりとそばに来てくれた。
「おじいさん。ひまわり一本ください。」
「それは構わんが、なんに使うのかね?」
「好きな子にあげるの」
「ほぉ、そうかい。好きなの選びな。」
「これがいい。いちばんでかい。」
おじいさんは俺が選んだひまわりをハサミで切って持たせてくれた。
「はい。気をつけてな。」
「ありがとう!」
涼太のところに早く行こうと走り出すと、後ろから俺を呼ぶ涼太の声がした。
どこに行っていたのかと、少し怒られた。心配させてしまったと反省していると、涼太は俺が持っていた花を見て「なにしてたの?おじいさんにひまわりもらってたけど」と尋ねる。
そうだった。これを渡したかったんだ。
涼太に、黄色く燃えるひまわりを差し出す。
「これ、りょうたにあげる。」
「俺に?ありがとう!きれいだね!」
「っ…! …ん、別に。」
嬉しそうに笑う涼太の方が綺麗だった。
元気になってくれて良かったけど、その笑顔に俺はすごくどきどきして、途端に恥ずかしくなって涼太の目を見られなくなってしまった。
小学四年生になった時、覚悟を決めて、母親に伝えた。
「アイドルになりたい」と。
俺のこと、知らない人なんて誰もいないくらい有名になって、キラキラしてて王子様みたいなかっこいい男になって、絶対に涼太を迎えにいく。
俺の本気が伝わったかどうか定かではないが、母親は全面的に協力してくれた。
毎日のようにオーディションやら、書類選考やらに挑み続けた。
不合格の手紙ばかり届いても、絶対に諦めなかった。
年月が経つにつれ、涼太は俺のことどう思ってるんだろう、という疑問が芽生えるようになった。俺たちは中学生になった。歳を重ねるたびに、俺のことを意識しているそぶりなど全くもって見せる気配のない涼太の態度に「もしかして、これ脈ないんじゃないか?」という不安が募っていった。「幼馴染」という呪縛から抜け出せないないような感覚が、 日に日に大きくなっていって、ついに抱えきれなくなった。
ベッドの上でうつ伏せになって漫画を読んでいる涼太に、好きな奴はいるかと聞いてみた。涼太は何も答えなかった。俺の中にある恐れが逆撫でられる感覚に苛立ちがこみ上げる。
なんでなんも答えないの?
もしかして、好きな奴いんの?
それは俺じゃない奴?
なんか答えてよ。
起き上がってベッドの上に座る涼太ににじり寄る。
なぜか逃げる涼太に縋り付きたくなるのを必死で堪えた。
逃げないで、拒まないで。
ずっとそばにいてよ。
壁際まで追い込まれた涼太の瞳は不安に揺れていて、心の中に微かな嗜虐の火が灯る。
あぁ、なんて無防備なんだろう。
こんな、ベッドの上で、そんな目して。
気を許してくれるのは、俺のこと少しは好きだから?それともただの幼馴染だから?
俺以外の奴なんか好きにならないでよ、イラつく。
このまま奪ったら、好きになってくれる?
衝動のままに、涼太に口付けた。
涼太の目は大きく見開かれて、こぼれ落ちてしまいそうだった。
苦しくなって、酸素を求めるように少しだけ開いた涼太の口の中に、舌を捩じ込む。
涼太から漏れる吐息と、甘い声に脳が痺れた。
夢中で涼太の舌を追いかけていると、突然肩に強い衝撃が襲ってきて、涼太に突き飛ばされたんだと気付いた。頭に冷静さが戻ってくると同時に、真っ白になった。
やっちまった。まだでっかくなれてないのに、今のままじゃまだダメだって、迎えに行けないって自分が一番わかってたのに。誰よりも涼太のことを大事にしたいと思ってたんじゃなかったのかよ。何やってんだよ。
呆然とした頭で、辛うじてごめんと謝ると、優しい涼太は怒らずに理由を聞こうとしてくれた。その寛容が心に痛くて、同時にそれに甘えてしまいそうになる。
堪えきれず、小さく「すきだ」と溢れたその言葉は涼太に届いていたのだろうか。
確かめることもできないまま、俺は涼太の部屋を飛び出した。
逃げるように、全速力で自分の家まで走った。
急いで玄関の扉を開けて、誰も入ってこないように鍵を閉めた。
荒く浅くなる呼吸が震えて苦しくて、その場に力無くしゃがみ込んだ。
泣き出したくて、叫びたくて、どうしたらいいかわからなくなる。
そんな俺の様子に驚きつつも、玄関で項垂れる俺に、母親は応募していた事務所から届いた合格通知書を持ってきてくれた。
「どんなに辛いことがあって逃げ出したくなっても、一度決めたことはやり遂げなさい」
母親はただそれだけ言った。
合格したその日から、俺の生活はだいぶ変わった。
毎日のようにあるダンスや歌のレッスンについて行くので精一杯だった。同時に学校にも行かなければならない。しんどかった。辛かった。
だけど、今度こそあの日憧れた、あの姿で涼太を迎えに行くんだって、それだけを支えにしていた。受験という言葉がちらつき始めて、ダンス練習の休憩中にレッスン室で勉強することが増えた。同級生たちが、部活を引退して勉強だけに集中し始めた秋の頃、事務所の先輩のライブでお客さんの前にバックダンサーとして出させてもらえることになった。
すごく嬉しかった。
少しだけ前に進めたような気がした。
勉強もレッスンも学校も、全部を両立させてやると気持ちを奮い立たせた。
付け焼き刃で暗記した単語でヤマを張って、どうにか高校受験に合格した。
卒業式までの日数をみんなが秒読みして待っている3月、ついに初めてお客さんの前に立った。すごく緊張したことを今でも覚えている。
キラキラした服を着て、自分が今まで練習してきた全てをぶつけた。
俺の三年間がこの一瞬に詰まっているような気がして、泣きそうになった。
緊張と興奮で足が震えたけど、すごく楽しかった。
今の俺だったら、少しは涼太の隣に行けるかな。
あの日から、ずっと涼太に会っていない。怖くて会えなかった。俺のあの考え方が何一つ叶わなかった唯一の時期だ。
本当は毎日会いたかった。
連絡もしなかったくせによく言うよ、と自嘲気味に笑った。
高校の入学式、クラス割の張り出しをぼんやり眺めていたら、そこに涼太の名前があった。驚いた。
同じ学校だと思っていなかった。
飛び跳ねたくなるのを必死に堪えた。
少しだけ成長できた今なら、会えるかもしれないと思って、涼太のクラスへ向かった。
ガヤガヤと騒がしい教室の中で、あいつは一人、窓の外の景色を眺めていた。
その横顔はどこか寂しそうで、悲しそうで、居ても立っても居られなくなった。
まっすぐに涼太の方へ足を運び、声を掛けると、涼太は振り向いて、固まってしまった。
「…しょうた……?」
戸惑うように俺を呼ぶその声が懐かしくて、愛おしさで溢れる。
俺の手を引いて涼太は屋上へと向かって行く。
涼太は、怒っているようで、嬉しそうでもいて複雑な顔で俺を見つめてくれる。
震える手で俺の制服をぎゅっと掴み、ずっと泣いていた。
窓の外をあんな顔で見ていたのは、きっと俺のせいだ。
この涙の理由は、どこにあるのか、きっと今尋ねても要領を得ないだろう。
今はただ、涼太の心が落ち着くように、元気になってもらえるように、笑顔が戻ってくるように、何度もごめんと伝えよう。
突然キスしたこと、ずっと会いに行けなかったこと、連絡すらできなかったこと、その全てを伝えるように、ずっと涼太の背中を撫でて、ずっと抱き締め続けた。
コメント
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感動…😭✨