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騒ぎに人が集まってくると、男性はそそくさとどこかへ逃げて行ってしまった。もしかしたら少し酔いが醒めて、冷静になったのかもしれない。
だけどこの状況で残された私たちはどうすればいいのだろう? その場は適当に誤魔化せたが、岳紘さんの機嫌が悪い事は見なくても分かる。
「その、まだ怒ってるの?」
「怒ってはいるが、それは雫に対してじゃない。あの男と……自分自身に対してだから」
どうして私の事で岳紘さんが自分を責める必要があるのだろうか。もともと私が勝手に夫から離れて行動したのだし、そのせいで酔っぱらいに絡まれただけだ。どう考えても岳紘さんに非などないのに。
なのに岳紘さんはそうは思っていないらしくて、何度も「すまなかった」と私に謝ってくる。結果的にはこうして助けてくれたのだし、何度も謝って欲しいとも思ってない。
だから……
「どうしてそんなに怒ってるの? それとも私の為に怒ってくれているの、だったらどうして……」
確証はない、だけどさっきの出来事で何となく気付いてしまった。岳紘さんは私が思っていたのよりずっと、私を気にしてくれているのだと。それが妻に対する愛ではなく、ただの情なのかもしれないけれど。
「それは、俺が……」
「……えっ、うそぉ⁉ あの人って『REIKA-OKU』じゃない? ほら、テレビとかに出てるカリスマヘアメイクアーティストの」
「やだ、ほんと! どうしてここに?」
急に騒がしくなった周りの様子に、岳紘さんも私も会話を止めてそちらの方を見る。さっきの答えが知りたい気持ちもあったが、それをしつこく聞くのも少し怖くて。
それにしてもヘアメイクアーティストの『REIKA-OKU』と言えば、私もつい最近テレビでも見た気がする。彼女は美人というよりちょっと個性的で、可愛らしい女性だった気がするのだけど……
「いらっしゃい、玲香さん」
「まあまあ! よく来てくれたわね、玲香。お仕事が忙しいのに、今日はわざわざありがとう」
柳澤部長とその奥様らしき人物が『REIKA-OKU』に近づき、仲良さげに挨拶を交わしている。聞こえてくる会話から、彼女が柳澤さんと親戚関係にあるようだということが分かる。
もしかして今日のゲストとして呼ばれたのだろうかと、そんなことを考えていると……
「ふふふ、大好きな叔母さんに呼ばれたら来ないわけにはいかないじゃない? 今日は夫もついてきてくれたのよ」
そう話した『REIKA-OKU』の隣に、背の高い男性が近づいて優しく彼女の肩を抱く。とても仲の良い夫婦なのだろう、羨ましく思ってその男性の顔を見た瞬間に身体が一気に凍り付いたような気がした。
「……そんな、どうして?」
今見ている光景が信じられなかった。柔らかそうな明るい髪も、人懐っこそうな笑顔も私の知っているそれと全く同じ。何故、彼がここに?
どうしてカリスマヘアメイクアップアーティストの『REIKA-OKU』の隣で、楽しそうに笑っているの?
「|雫《しずく》、どうかしたのか? 顔色が良くないようだが」
「あ、いいえ。何でもないの……」
私の様子がおかしい事に気付いた岳紘さんが声をかけてくれたけれど、上手く誤魔化せなかったかもしれない。それくらい私の中ではショックが大きくて。
「雅貴君も来てくれてありがとう、いつも玲香が我儘言ってるんじゃない?」
柳澤さんの奥さんが、隣の男性に話しかける。雅貴……奥野雅貴、間違いなく彼は私の後輩の奥野君だ。
「そんなことないですよ、俺の方が彼女には面倒ばかりかけていて。玲香は仕事も頑張ってますが、良き妻でもあるんです」
「もう~、雅君はそういうことばっかり言って! いつも家事も店の事もたくさん手伝ってくれてるじゃない」
笑顔でそう返事をする奥野君と、そんな彼の隣で楽しそうに話す玲香さん。私が聞いていた話とは……全然違う二人の姿がそこにはあった。
どうして? 奥野君が私に話していたことは何だったの、私たちは似た者同士だと思っていたのに。
頭の中がグラグラする、もしかして私は彼に騙されていたのだろうか? いや……私が勝手に奥野君は私と似た境遇だと思い込んでいただけで、本当は違っていたのかもしれない。
でも、どこか裏切られたような気持ちは私の中にあって。どうしようもない悲しみと苛立ちを感じてしまっていた。そんな権利、私には無いと分かっているのに。
「雫、少し外の空気を吸いに行こう。やはり顔色が良くない、俺に寄りかかってていいから」
「ごめんなさい、迷惑かけてしまって……」
そう言ってくれた彼に寄りかかるようにして、外に出る。奥野君達からは見えないように、夫の陰にこの身体を隠して。
そういえばこうして岳紘さんにしっかり触れるのは随分と久しぶりな気がする。日常生活で手などが触れることは数回あったけれど、今日は強く身体を抱き寄せられている。彼は平気なのだろうかと、少し心配になった。