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諜報報告会。月に一度、北方の國諜報機関から指定された場所で行われる。俺達スパイもランダムで20人程度が選ばれ、人を入れ替えてそれを数回行う形だ。
だが俺は二重スパイなので知っていても持つ情報の全ての事は言えず、当たり障りのない報告をしている。そういうスパイも少なくはないだろう。
政府が幾らかの情報を欲しがっている事は全員理解しているので、嘘でも偽善でも前向きな意見交換をおこなっている。
今日もまた無難に報告会は終わる。基本的に午前中で終わるので、午後は何をしようかと思いつつ、会議室を離れた。
外に出ると、冷たい空気が風を纏って身体を刺激する。俺は歩きながらコートを羽織った。
俺の前には同じ会に参加していた女性が歩いている。
物静かだが、クールな瞳を持つ……彼女の名前………
そこまでは覚えていない。
あのコートは……北欧の國発祥の王族や外交官に仕立てを提供してきた老舗ブランドか。Maison de Luthéran (メゾン・ド・リュテラン)。
Nocturne Furline Coat(ノクターン・ファーライン・コート)。生地は「シャドウカシミア」。月光を浴びると墨黒から青銀へと色調が変わる特殊織りとなっているのが特徴的。
ラペルと裾には極薄の「オーロラリンクスファー」をあしらい、軽量でありながら極寒地でも体温を逃がさない。内側にはシルバーグレーのサテンライニング、その裏地にナノ断熱繊維を仕込んでおり、見た目はクラシックでもハイテクに仕上がっている。
コートの内ポケットは複数の隠し仕切り付きが伺える。拳銃や小型通信機を収めても外観に一切響かない。
俺達は交差点に差し掛かる。彼女は信号を渡って東に向かうようだ。俺はそのまま北を歩く。
信号は赤信号で、彼女は信号が変わるのを待っていた。
その時…………1匹の猫が向かいの道から飛び出して来た。南からは、暴走気味のトラックが走ってくる。
彼女は、ためらう事無く猫に向かって走った。
トラックの運転手は、何かを探しているのか、下を向いて正面を見ていない。
「チッ」
俺は懐からサイレンサー付きのM7を取り出して、前後のタイヤを撃つ。トラックのタイヤはグリップ力を失い、東側に寄れる。
彼女は猫を抱き抱えて西側にいる。トラックはそのままガードレールに接触した後、電柱に衝突して止まった。運転手は慌てて降車してバツの悪さか何なのか、しきりに周囲の者に頭を下げていた。幸い、周囲の者も運転手も巻き込まれてケガをした者は居ないようだ。
猫を抱きかかえながら彼女が元の道へと戻って来た。
俺に近づいて来る。彼女は小さな声で、
「美術館が閉館した」
そう言うと返事を聞かずに歩いていく。
隠語だ。美術館が閉館した=私に付いて来て。
ヤレヤレ、と思いながら俺は彼女の後ろを歩いた。
暫く歩いた。人通りも少なく落ち着いた場所。落ち葉が風に舞っていく。曇天の空が静かに雨を孕む…………
彼女は建物に入っていく。エレベータに乗って5階、南側の角部屋。彼女はカードをタッチして解錠、中に入っていく。
ここが……彼女の部屋か…………
鍵をサイドボード上に置いて、猫を静かに下ろした。猫はキョロキョロして落ち着かないようだ。まぁ俺もそうだが……
彼女は深めのボウルにミルクを入れて、猫に差し出した。猫は恐る恐る近づき匂いを嗅いでいたが、やがて、ペロッと1口舐めた後は、安心して続けて飲み始めた。
「ワインで良い?」
「ん?…………あぁ、頂こう。」
俺はテーブルに移動して、コートを脱いで椅子に座った。
「先ずは……ありがとう。」
そう言いながら、俺にグラスを渡す。
「いやまぁ………無事で何よりだった。」
Merci, santé.
「しかし、同業者の住み家なんて初めて来たが……」
「私も、始めてよ。」
部屋の間取りは2LDKか……。無駄な物や飾り物も無く清楚でシンプルな部屋だ。隅々までよく手入れしている。
「あまり、じっくり見ないでね。」
彼女は軽く微笑み、ワインを飲む。
「で、こいつは……どうするんだ?」
「うん、折角だから飼おうかなと思ってる。」
「そうか……よく懐きそうだ。」
猫は既にミルクを飲み干して、
彼女の膝の上でゴロゴロ言っている。
「名前…………」
「んー…………ミケだね。私、ミケランジェロ好きだから。」
「あぁ……いゃ……君の名前……。俺はピークだ。」
「あら、そっちね!」
彼女は今日一番の笑顔を見せた。
「私は、マチルダ。」
「そうか、今日は美味しいワインを有難う、マチルダ。」
「うぅん、付き合ってくれてありがとう、ピーク。」
俺は席を立ち、コートを羽織る。
部屋を出て、エレベータに乗りながら、
「マチルダか……」
ちょっと、慣れない笑みが、
思わずこぼれてしまった。
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「When the cat’s away, the mice will play」 意味:ボスがいないと、皆好き勝手する。 例:先生がいないと、教室は猫がいない時のネズミ状態だ。
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