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第42話:税務署への出陣〜魔王城の洗礼と、紙屑と化した魔導書〜
三月上旬。
確定申告の提出期限(三月十五日)がいよいよ目前に迫った、帯広市の朝。
まだ雪が深く残る凍てつくような寒さの中、俺は分厚いダウンジャケットに身を包み、決死の覚悟でアパートのドアを開けた。
俺の右脇には、パンパンに膨れ上がったA4サイズの茶封筒が抱えられている。
深夜の配信で数万人の有識者ニキ(リスナー)からスパルタ指導を受け、なんとかでっち上げた『青色申告決算書』と『確定申告書』。そして、A4のコピー用紙にセロハンテープでベタベタと貼り付けた、限界みそラーメンやドン・キホーテの領収書の束だ。
「……ふぅーっ。大丈夫だ、俺。やれる。俺はミリオンVTuberだぞ」
白く濁る息を吐きながら、俺は自分に言い聞かせた。
正直に言おう。書類の完成度は、俺自身が見ても「ゴミ」だった。
借方と貸方の数字はなぜか最終的に二百万円くらいズレてしまったし、三十万円オーバーのゲーミングPCは「減価償却なんて計算できねえ!」と逆ギレして、強引に全額『消耗品費』の箱にぶち込んだ。五千円のプレミアム育毛トニックも、ワンチャンバレないだろうと『衣装代』として紛れ込ませてある。
だが、かつてブラック企業の営業で鍛えられた俺の生存本能が、こう囁いていたのだ。
『お役所仕事なんて所詮は人間がやってるんだ。窓口で堂々とハッタリをかませば、向こうも面倒くさがってハンコを押してくれるはずだ』と。
「行くぞ。俺の資本主義の証明(確定申告)を、終わらせてやる!」
俺は帯広駅近くにある、レンガ調の重厚な建物――『帯広税務署』へと足を踏み入れた。
自動ドアを抜けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
そこは、まさに『野戦病院』と『魔王城』を足して二で割ったような異様な空間だった。
「だから! なんでこの医療費が控除にならんのだ!」と怒鳴り散らすお爺ちゃん。
領収書の山を前に、パイプ椅子に座って頭を抱え、今にも泣き出しそうなフリーランスらしき若者。
そして、そんなカオスな状況を、一切の感情を交えずに淡々と処理していく、冷徹な目をした税務署の職員たち。
「ひっ……!」
空気が重い。
四畳半でパソコンに向かって「税金高えぞ!」とイキり散らしているだけの俺には、この『本物の国家権力』が放つ威圧感は強烈すぎた。
「番号札74番でお待ちの方ー、3番窓口へどうぞー」
ビクゥッ! と肩が跳ねる。俺の番号だ。
俺は震える足に鞭を打ち、処刑台へ向かう罪人のように、重い足取りで窓口へと向かった。
カウンターの向こう側に座っていたのは、銀縁メガネをかけた、神経質そうな三十代半ばの男性職員だった。
「申告書の提出ですね。書類を拝見します」
「お、お願いしゃす……っ!」
俺は震える両手で、分厚い茶封筒をカウンターに差し出した。
職員は無表情のまま封筒から書類を取り出し、パラパラとページをめくり始めた。
数秒の沈黙が、俺には永遠のように感じられる。頼む、そのままスルーしてハンコを押してくれ!
しかし。
職員の手が、俺が「強引にでっち上げた」青色申告決算書の3ページ目で、ピタリと止まった。
「……ルシフェル様、ですね? こちらは屋号(事業名)ということでよろしいでしょうか」
「は、はい! 個人の、その、インターネットでの動画配信業を営んでおりまして……っ」
職員はメガネをクイッと押し上げ、手元のボールペンで書類の一箇所をコツンと叩いた。
「まず、こちらですね。消耗品費として計上されている『パソコン代・31万8500円』。こちらは、一括で経費には落とせません。30万円を超えているため、減価償却資産として数年に分けて計上していただく必要があります」
「あ、いや! それはですね! 実はポイントを使って買ったんで、実質30万未満というか……!」
「領収書の額面がすべてです。ポイント値引き前の金額が30万円以上であれば、減価償却の対象となります。……書き直しですね」
「ぐふっ……!」
俺のハッタリ(言い訳)は、わずか三秒で一刀両断された。
国税庁の役人相手に、底辺の屁理屈など通用するはずがなかったのだ。
だが、職員の容赦ない追及はまだ終わらない。
彼は次に、俺がセロハンテープで貼り付けた領収書の束を冷ややかな目で見つめた。
「次に、この十月十二日の領収書。『メイドカフェ・もえもえきゅん札幌店』……5500円。これを接待交際費として計上されていますが、どなたの接待でしょうか?」
「えっ!? あ、いや、それは接待というか、その、今後の活動のための『萌えの市場調査』でありまして……っ! 決して私生活の趣味ではなく……!」
「事業との直接的な関連性が証明できなければ、経費としては認められません。調査というのであれば、レポート等の成果物はありますか? なければ否認されますので、プライベートの支出として除外してください」
「ひぃっ……!」
俺は顔から火が出るほど恥ずかしくなり、その場に崩れ落ちそうになった。
なんで俺は、いい年こいて税務署の窓口で「もえもえきゅん」の言い訳をさせられているんだ。
「さらに……」
職員のメガネの奥の目が、スッと細められた。
「衣装代として計上されている『メンズ用・強力育毛トニック(プレミアム)』。これも、インターネットの動画配信業において、必要不可欠な経費とは認められません」
「違うんです!! 違うんですお代官様!! それは、いずれ私が実写でデビューする日のための先行投資であって、ハゲを隠すためではなく……ッ!!」
「却下します」
「あああああああ!!」
俺のHPは、完全にゼロになった。
リスナーの有識者ニキたちが「それは通らないぞ」と警告していた項目が、恐ろしいほどの精度で、片っ端から蜂の巣にされていく。
そして、職員は極めつけとばかりに、俺の書類の「最大の致命傷」を指摘した。
「最後に。貸借対照表の『借方』と『貸方』の合計金額が、275万ほどズレています。複式簿記において、左右の数字が一致しない決算書は受理できません。……以上の点をすべて修正し、正しく計算し直してから、再度提出をお願いします」
バサッ。
俺が血と汗と涙(とリスナーからのスパチャ)を削って作り上げた魔導書は、無残な紙屑となって、カウンターの上に突き返された。
「そ、そんな……。これを、もう一回、最初から……?」
「はい。期限は三月十五日までですので、お早めに修正をお願いいたします。次の方ー、75番でお待ちの方ー」
完全に事務的な、冷酷なる宣告。
俺は突き返された書類を抱きかかえ、フラフラと幽鬼のような足取りで、税務署のロビーに設置された長椅子へと崩れ落ちた。
「……終わった」
天井の蛍光灯が、やけに眩しい。
直せと言われても、借方と貸方のどこが間違っているのかなんて、俺のポンコツ頭で分かるはずがない。育毛剤とメイドカフェを経費から抜いたら、俺の今年の利益はさらに増え、それに伴って税金も跳ね上がる。
さらに、三月十五日の期限を過ぎれば『無申告加算税』や『延滞税』という、恐ろしいペナルティが加算されてしまうのだ。
「誰か……助けてくれ。スパチャは全部くれてやるから……俺の代わりに、このパズルを解いてくれよぉ……っ」
俺はロビーの隅で、頭を抱えてすすり泣いた。
周囲の人間から「あのおっさん、脱税でもバレたのか?」という白い目を向けられているのを感じるが、そんな羞恥心など、税金への恐怖に比べればカスリ傷ですらなかった。
完全に詰んだ。
帯広の冬将軍よりも冷たい、資本主義の現実。
俺がミリオンVTuberのプライドもすべて投げ捨て、税務署の床で力尽きようとしていた、まさにその時だった。
『……ちょっと。そこで情けない声出してるの、もしかしてルシフェルさんですか?』
「……え?」
頭上から降ってきた、その声。
天使のようなアリスの声でもなく、機械的なジェミニの声でもない。
四十年間、社会の底辺で生きてきた俺が、最も恐れ、そして最も世話になった――あの『絶対零度の鉄面皮』の冷たい声だった。
俺が恐る恐る顔を上げると。
そこには、ダークスーツに身を包み、手には分厚い役所のファイルを抱えた、帯広市役所・生活福祉課のケースワーカー。
鈴木さんが、氷のように冷たい目で、俺を見下ろして立っていたのだった。
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ゆうき あきや
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コメント
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いやー、確定申告を魔王城に例える発想が天才すぎるわw 税務署の職員に「もえもえきゅん」の説明しなきゃいけない主人公の地獄っぷりが最高に笑えた。育毛トニックを衣装代で通そうとしたの、バレるに決まってるだろ!w でも最後の鈴木さん登場で一気にシリアスな空気に変わったのが気になる。続きめっちゃ読みたい🔥