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Smile
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狼との融合実験から三か月。
朔水の身体には、大きな変化が現れていた。
頭には黒い狼耳。
腰には大きくふわふわした尻尾。
耳も尻尾も、感情に合わせて素直に動く。
嬉しい時は大きく揺れ、不安な時はぺたんと伏せる。
その姿を見た研究員たちは口々に言った。
「成功例だ。」
「理想的な適合率。」
「次の実験も問題ない。」
だが博士だけは違った。
診察のたびにカルテを閉じ、静かにため息をつく。
「……よく頑張ったな、朔水。」
誰もいない診察室。
そこでだけ、番号ではなく名前を呼んだ。
朔水は嬉しそうに尻尾を振る。
「父さん!」
勢いよく抱きつく。
博士は笑って抱き返す。
「耳、触ってもいい?」
「うん!」
博士は優しく狼耳を撫でた。
「くすぐったい!」
朔水は笑い声をあげる。
その笑顔を見るたび、博士は思う。
(この子はまだ笑える。)
(なら、まだ救える。)
そう信じたかった。
しかし、その願いは長く続かなかった。
理事会から一通の通知が届く。
PROJECT CHIMERA
Phase-2開始
海洋生物遺伝子融合実験
被験体:No.0124
博士は書類を握り潰した。
「……鮫。」
助手が小さく呟く。
「先生。」
「もう止められません。」
博士は立ち上がる。
「止める。」
「今度こそ。」
その日の夕方。
朔水は研究室で絵本を読んでいた。
海の絵本だった。
「父さん。」
「海って、本当に広い?」
「広い。」
「どこまで泳げる?」
博士は少し考え、窓のない天井を見上げる。
「自由なら。」
「どこまでも行ける。」
朔水は目を輝かせる。
「ぼくも泳ぎたい。」
「魚さんと友達になる。」
博士は微笑む。
「きっとなれる。」
その笑顔があまりにも優しくて、朔水は首を傾げた。
「父さん。」
「泣いてる?」
博士は慌てて眼鏡を外した。
「……何でもない。」
「うそ。」
朔水は博士の頬へ小さな手を伸ばす。
指先に涙が触れた。
「悲しいの?」
博士は答えられなかった。
代わりに朔水を抱き締める。
強く。
壊れてしまいそうなくらい。
「父さん?」
「……。」
「ぼく、いい子にする。」
「だから泣かないで。」
その言葉で博士の心は限界を迎えた。
声を押し殺しながら涙を流す。
「ごめんな。」
「本当に……ごめんな。」
翌日。
地下最深部。
これまで入ったことのない区画。
巨大な鉄扉が開く。
その先には――。
「……わぁ。」
朔水は息を呑んだ。
目の前には、巨大な水槽。
青く透き通る海水。
ゆっくり泳ぐ魚たち。
「海……?」
博士は首を横に振る。
「違う。」
「海を真似た実験施設だ。」
朔水はガラスへ手を当てる。
魚が近寄ってくる。
「かわいい。」
その笑顔を見た博士は目を伏せた。
(どうか。)
(この子の笑顔を奪わないでくれ。)
理事長が姿を現す。
「始めましょう。」
研究員たちが動き始める。
巨大なカプセル。
無数のケーブル。
そして一本の注射器。
中には深い青色の液体。
博士は一目で分かった。
「鮫のDNA……。」
理事長は頷く。
「成功すれば。」
「陸では狼。」
「海では鮫。」
「究極の生物です。」
博士は怒りを抑えられなかった。
「究極?」
「この子を何だと思っている!」
「兵器です。」
理事長は迷いなく答える。
「世界最高の生物兵器。」
その一言で、博士の拳が震えた。
朔水は何も知らず、博士を見ている。
「父さん。」
「今日は何するの?」
博士は優しく微笑んだ。
「少し眠るだけだ。」
「起きたら?」
「……。」
「起きたら。」
言葉が続かない。
朔水はにこっと笑った。
「また絵本読もうね!」
博士は頷く。
「ああ。」
それが約束になるとは思えなかった。
実験台へ横になる朔水。
狼耳がぴくりと震える。
「父さん。」
「手。」
博士はそっと小さな手を握る。
「怖い。」
「私も怖い。」
「父さんも?」
「ああ。」
「じゃあ、一緒。」
朔水は少しだけ笑った。
「一緒なら平気。」
博士はその笑顔を忘れないよう、心に刻み込んだ。
理事長が右手を上げる。
「Phase-2。」
「開始。」
青い液体が、ゆっくりと朔水の身体へ流れ込んでいく――。
その瞬間、狼耳が大きく震え、モニターの警報音が鳴り響いた。
地下施設全体が赤い警告灯に染まる。
博士は朔水の手を強く握りながら、ただ祈ることしかできなかった。
「生きてくれ……。」
「朔水。」
その願いだけが、機械音にかき消されるように静かに響いていた。
コメント
1件
もう、胸が締め付けられました……。博士が朔水の手を握りながら「生きてくれ」と祈るシーン、涙が止まらなかったです。親子の絆と、それでも抗えない運命の重さが、本当に切なくて。無垢な朔水の笑顔が、かえって辛いです。次の展開が気になるけど、このままでいてほしい気持ちもあって、心が揺れます……。