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リフェアリー
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商店街の台帳の、千二百行を、要は、三日かけて読んだ。
一行目は、二年前の、米五キロ。最後の一行は、先週の、靴の修理。間に、千二百の約束。守られた約束と、守られなかった約束。丸と、バツ。
丸が、千百十二。バツが、八十八。
「九割二分」要は、会長に言った。
「何が」
「約束が、守られた割合です。九割二分。甲府の市の、最初の日は、九割四分だった。木曽の二年間は、九割六分」
「東京は、低いわね」
「低い。でも、東京で、九割二分です。顔を覚える人が、一人もいなくて」
会長は、少し、笑った。
「いるわよ。一人」
「誰が」
「私。顔の娘ほどじゃないけど。二年、毎日、机の前に座って、来る人の顔を見てた。千二百行の、八百人くらいは、顔でわかる」
要は、会長を見た。七十を過ぎた、小さな女。二年前、「私が子どものころは、米屋の帳面で回ってた」と言った人。
「……会長が、つむぎの代わりでした」
「代わりじゃない。私は、私」
*
商店街は、二年で、変わっていた。
店は、二十軒から、十四軒に減っていた。六軒が、閉めた。店主が、御殿に入った。あるいは、東京を出た。残った十四軒は、三冊の台帳で、回っていた。現金は、もう、誰も使っていなかった。大剥離の日の現金は、御殿の倉庫に集まり、御殿の中だけで回っていた。商店街には、現金がなく、台帳だけがあった。
台帳で、何が回っているのか。要は、千二百行を、分類した。
米。味噌。野菜。靴の修理。髪を切る。屋根を直す。子どもを預かる。病人の世話。
「物だけじゃない」要は言った。「仕事が、台帳で回ってる」
「物が、ないからよ」会長は言った。「米は、御殿の倉庫。野菜は、少し、空き地で作ってる。でも、足りない。足りないから、物の代わりに、仕事を、交換してる。髪を切ってもらって、屋根を直す。子どもを預かって、病人の世話をしてもらう」
「証は、使ってない」
「証って、あれでしょ。木曽の、和紙の。使ってない。知らなかったから」
要は、荷物から、五十枚の証を出した。会長は、一枚を手に取り、裏返し、漉き目を透かした。
「……きれいね」
「商店街で、作れますか」
「紙は、ない。文房具屋だけど、和紙はない。コピー用紙なら、二年前の在庫が、まだある」
「コピー用紙でいい。印を四つ、別々の朱で。番号を振る。壁に、番号を書く」
「壁?」
「証を受け取った人は、自分の家の壁に、番号を書く。隣の壁と照らす。同じ番号があれば、偽物」
会長は、しばらく考えてから、言った。
「東京で、それ、やるの」
「商店街で、まず。十四軒で。十四軒で回ったら、隣の商店街に、見せる」
*
夜、要は、商店街の机の前に、一人で座った。二年前と、同じ椅子。
千二百行。九割二分。
要は、ふと、思った。この二年、要は、木曽で、仕組みを作ってきた。証。組合。為替。掟。全部、木曽で。東京のことは、考えていなかった。考えられなかった。
でも、東京では、会長が、二年間、毎日、机に座っていた。顔を見て、三冊に書いて。証も、組合も、掟もなく。三冊と、顔だけで。
九割二分。
仕組みがなくても、三冊と顔があれば、九割二分は、回る。仕組みは、残りの八分を、埋めるためのものだった。
要は、ノートを開いた。ロードマップ。十二の段。一番下の、〇と一。目と、顔。
会長は、〇と一と二だけで、二年、回した。
「……そうか」要は、つぶやいた。
仕組みの重さは、上の段にある。でも、仕組みの強さは、下の段にある。〇と一と二が強ければ、上がなくても、回る。〇と一と二が弱ければ、上を全部積んでも、崩れる。
東京の三千人の御殿は、〇と一がない。権田の目だけで回っていた。権田の目が閉じて、崩れた。
商店街は、会長の目と、三冊で回っている。会長が倒れたら、どうなるか。
「会長」要は、翌朝、聞いた。「会長が、倒れたら、誰が、机に座りますか」
会長は、肉屋と八百屋を見た。
「この二人。三冊の、残りの二冊を、書いてる。私の顔の記憶は、二人には、ない。でも、二人は、自分の店の客の顔は、覚えてる」
「三人で、八百人」
「三人で。一人だと、三百人くらいかしら」
「三人なら、一人が倒れても、二人が残る」
「あんたが、二年前、そう言った」会長は言った。「三冊にしろ、って。三冊にしておいて、よかったわ。去年、肉屋が、三ヶ月、寝込んだ。二冊で、回した。肉屋が戻ってきて、三冊に照らした。合わない行が、十二あった。十二行、三人で、顔を思い出して、直した」
要は、何も言えなかった。
二年前、商店街で、要は、「三冊にすれば守れる」と思っていた。木曽で、「守れない。侵入される前提で回す」に変わった。
商店街は、要がいない間に、侵入された。肉屋が三ヶ月寝込んだ。それでも、回した。要が教えなくても、二冊で回し、三冊に戻し、合わない十二行を、顔で直した。
「……会長。市の掟というものを、木曽で、四人が書きました」
「掟?」
「十二条。読んでください」
要は、写しを渡した。会長は、読んだ。長く、読んだ。
「……一条から三条までは、私がやってることね」
「はい」
「四条から十二条は、知らない。でも、わかる。これ、三人で机に座ってると、自然に、こうなる」
「自然に?」
「自然に。あんたが、木曽で見つけたんでしょ。私も、ここで、少しずつ、同じものを見つけてた。書いてないだけ」
会長は、写しを、机の上に、置いた。
「商店街に、貼っていい?」
「貼ってください。でも、一つ、頼みがあります」
「何」
「十三条を、会長が、書いてください。東京の、商店街の、十三条を」
会長は、要を見た。それから、ペンを取った。
『十三、物がないときは、仕事を交換せよ。髪を切る者と、屋根を直す者は、同じ一枚の証である』
要は、それを読んだ。
十三条は、東京のものだった。木曽にはなかった。木曽には、物があった。東京には、なかった。ないから、仕事が、金になった。
「……会長の掟です」
「商店街の掟」会長は言った。「あんたのじゃない」
「はい。僕のじゃない」
コメント
1件
うわっ、第64話めちゃくちゃ良かった…!要が木曽で作った仕組みと、会長が2年間目の前で積み上げてきた“顔と三冊”が、並列で描かれてるのが痺れる。「九割二分」って数字と、掟の十三条が東京の商店街から“自然に”生まれたって展開、グッときた。仕事を交換するって発想がまた良いよね。会長の「代わりじゃない。私は、私」も刺さるわ…。続きすごく気になる!