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「秋山組の責任者、秋山泰泳です。昨日のことはすべて私の責任です。
多大なるご迷惑をおかけし、本当に申し訳ございません」
「秋山さんの責任なら、なぜ他の方々も同行されたのですか」
「……私の罪を彼らに知ってもらうためです。私は今日をもって現場監督を辞めようと思っています。罪を犯したものがどう裁かれるのか、しっかりと目に焼き付けてもらうために同行させました」
「わかりました。では整理しましょう。秋山監督は昨夜、吾妻建設企画部課長の堀口ミノルに暴行を加えた。これはビスタ建設を中止へと向かわせた張本人に対する報復である。間違いありませんか」
「はい、間違いありません」
「その後、堀口課長がどこに行ったのかはご存知ありませんか」
「はい……すぐオフィスの方に戻ったので」
「なぜ暴行したのですか」
「……プライドが傷ついたためです」
「プライド。なるほど」
「私どもはビスタの建設に携わっていることを、誇りに思っておりました。たしかに度が過ぎたことは認めますが、それでも職人としてのプライドが傷つけられたことは本当です。ただ私どもの最大の落ち度は、いささか深酒をしてしまったこと。そこに同情の余地はないと自覚しています。今回の件、心からお詫び申し上げます」
「すみません……吾妻常務。ひとつ言いたいことがあります」
労働者のひとりがジョーの前までやってきた。
「どうぞ」
「堀口課長を殴ったのは私です。秋山監督には何の罪もありません。すべては私が単独で行ったことです」
すると他の労働者たちもジョーの前に立った。
「私も暴行に加担しました。申し訳ございません」
「秋山監督はこれについて何も知りませんでした」
皆が頭を下げる中、ひとりの労働者がジョーを睨んでいた。
まだ20歳にも満たない青年、玖村蓮だ。
「でも常務。ひとつ聞いてもいいですか。人殺しをしたわけでもないのに、なんでここに呼んだんですか」
「おい、おまえ何言ってんだ。あ、あの……常務、申し訳ありません。こいつ、まだ19のガキでして」
「ここに呼んだ理由――。
堀口課長は昨日の時点ではまだ吾妻グループに所属していました。解雇の事務処理が終わっていませんのでね。つまり社員が暴行されたというのに、こちらが黙っているわけにはいかないということです」
「社員っていっても犯罪者じゃないっすか。そんなヤロウを殴ったからって、どうして俺らが謝らなくちゃなんないんすか」
やめるんだ!
秋山泰泳が大声を張り上げた。
「申し訳ありません、常務。すべては私の監督不行き届きによるものです。吾妻建設の社員さんを暴行するなど、どのような理由があれ許されるものではありません」
「どうしたすか、秋山さん。俺たち一生懸命働いたじゃないっすか! それを全部台無しにしたヤロウを殴ったからって、なんで罰を受けなきゃなんないんすか」
「大体の状況はわかりました。では皆さん、今から少し時間をあげますので準備運動をしてください。服はあちらに用意してありますので自由に使ってください」
ジョーの突拍子もない言葉に全員があ然とした。
労働者たちの視線が向かった先にはトレーニングウェアと、その横にはオープンフィンガーグローブが置いてある。
「どういうおつもりでしょうか」
秋山が怪訝そうな顔で言った。
「私と一戦交えましょうか。総合格闘技ルールで」
「総合……」
「ケージの中でひとりずつ相手にしてあげますので上がってきてください。順番は問いません」
「そうなさる理由を教えてください」
秋山が落ち着いた口調で話した。
「ああ、少し制裁を加えたいと思いましてね。ただ露骨なものだと法律に引っかかるので、合法的に痛みを返してあげようかなと思い今日呼んだのです」
ジョーはにやりと笑い、ケージの外を指さした。アナウンサー席の上に数枚の用紙が置かれている。
「あれは契約書と同意書です。医療スタッフは待機させてありますので、心置きなく戦ってください。もし骨が折れたり体に深刻なダメージを受けた際には、すぐに吾妻総合病院にある最高の施設で治療を受けられるよう手配してあります」
労働者たちは怯え、悪魔を眺めるようにジョーを見つめた。
「もし俺たちが勝ったらどうなりますか」
玖村蓮が挑発するように言った。他の面々とは違って、臆した様子はない。
「誰かひとりでも私に勝てば、堀口課長の件は不問として処理しましょう。そしてこれから戦うにあたり、私が常務だからと手を抜いたりすれば後で大変なことになりますよ。全力を尽くしてください」
「私たち5人を相手にするおつもりですか」
「私が戦うのは、もちろん堀口課長を暴行した方だけです」
「そうですか。ではすぐに用意します」
秋山泰泳が振り返ってケージから出ようとしたそのときだった。
「秋山泰泳さん。もし今回の件があなたの単独行動であるなら、残念ですがもう帰らせてもらいます」
「どういうことですか」
秋山が驚いた顔で言った。
ジョーは知っていた。
彼の名は秋山泰泳。約10年前、マーシャルFCケージで活躍した元プロ総合格闘家だ。
国内大会を圧倒的な実力で席巻し、間もなく海外進出を予定していたが、最後の試合で相手の肘攻撃によって敗北した。
彼の格闘家人生における初黒星は、くしくも彼の最後の敗戦となった。病院に運ばれた秋山は結局、眼球に深刻なダメージを負ったため引退を余儀なくされた。
当時10代だった勇信がはじめて興味を抱いた日本人ファイター、それが秋山泰泳だった。
勇信がマーシャルFC買収を強く推し進めたのは、彼の悲劇が大きく作用したからだった。肘での攻撃を公式ルールからなくすために。
総合格闘技において肘は有効な技術だが、カットが多発しドクターストップとなるケースが多い。秋山の悲劇を記憶する勇信はマーシャルFC買収後、グラウンド状態での肘打ちを全面的に禁止することに決めた。
ルール改編に一部の格闘技ファンから非難があがった。肘なしは世界的な総合格闘技の流れに沿わないものであり、選手たちが世界へと進出する妨げとなるのではというのが彼らの主張だった。
しかし大多数のファンはルール改編に好意的な反応を示した。彼らの脳裏にも秋山泰泳の悲劇が大きく刻まれていたのだ。
世界へと打って出る前に国内リーグで壊れてはならない。
本気で格闘技を愛するファンだからこそ新ルールを受け入れ、現在マーシャルFCにはグラウンドでの肘は認められていない。
「秋山さん。あなたが誰であるか私は知っています。海外の総合格闘技にしか興味がなかった私が、はじめて国内の選手に目を向けるようになったきっかけ。それが秋山選手の活躍でしたので」
「そうでしたか」
「ケガによる引退……。そんな方と戦いたくありませんね」
「……」
ジョーの言葉に秋山は言葉を失った。
「なら、かえってよかったんじゃないっすか」と血気盛んな玖村蓮が言った。「常務、俺とやりましょう。どうせここにいる誰かは犯人なんだし、秋山さんが俺たちをかばおうとしてるくらい常務も気づいてるっすよね?」
「常務のご希望通り最善を尽くします」
玖村に続き、他の労働者も言った。
「わかりました。ではあそこの契約書にサインをして、ドクターチェックを受けてください」
ジョーは携帯電話を取り出し、控え室で待機する医者を呼び出した。
1分も経たず、ふたりの医師がケージの下に到着した。