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こちらの茨さん🖌️
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「という訳なのですが、竜神様に、ここに人を呼ぶ許可を頂きに参りました」 シトリンは、赤竜の巣、つまり、温泉が溜まる洞窟に赴き、これまでの経緯を説明した。
同行者は水汲みの衆、それと、同行を渋っていたが、シトリンが無理矢理連れてきたロシュフォールである。
ロシュフォールは、流石に腰は抜かさなかったが、普段の冷戦沈着な態度は鳴りを潜め、震える声で『外を見張ってきます』と言ったきり、洞窟の中に足を踏み入れていない。
男衆、特にザックは、赤竜がシトリンだけを見ているので、無闇に呼び止められたりせず、いくらか気楽ではある。
出来る事なら、毎回こうであって欲しいが、王女が自分達ほど暇なはずが無いので、叶わぬ願いであることは承知していた。
「好きにせい。元より儂は、ここに人が来る事を拒んではおらぬ」
この山が禁足地なのは、人間が勝手に作った決まりである。人っ子一人来なくなったので、結果的に人間との交流を断っていたというだけの事だ。
シトリンが連れてきた人間があまりにも無調法な振る舞いをしたら、一吠えして追い払えばいいと思っているから、気に留める事は無かった。
「ありがとうございます。では近いうちに、人を連れてまいります」
シトリンが深々と礼をし、話に一段落がついた。
話はこれで終わりだろうと赤竜は思い、後は男衆の様子でも眺めて、退屈を慰めようと思っていたのたが、シトリンは次の話題に移った。
「竜神様にお聞きしたいのですが、かつての時代にここに来た人間は、どのような格好で湯に浸かっていましたか?」
「格好?」
なにゆえそんな事を聞くのか、赤竜にはその必要性が分からなかった。そんな赤竜の反応を見たシトリンは、補足するように話を続けた。
「裸に抵抗がある者も居ましょうから、湯浴み着を用意しようかと考えたのですが、服を着て湯に入っても良いものかと、疑問が湧きまして」
「なるほどのう、そういう事か」
人間は、裸を晒す事に抵抗があるという事は、赤竜も把握している。それは、シトリンが語る『かつての時代』に知った事だ。
「湯浴み着は別に構わんが………昔来ておった者共は、皆裸で入っておったぞ?」
登山の際の荷物は、少なく出来るなら少ない方がいいのは当然で、濡れても透けない厚みのある湯浴み着となると、それなりの嵩になる。
それが水を吸ったとなれば、なかなかの重量物になる。山の上では手で絞るしかないし、人力では限界があるし、乾かすのも時間がかかる。
かつての登山客は、だったらそんな物持たなければいい、裸で入ればいいのだと割り切ったのだろう。
登山着で来て、裸で入り、また登山着を着て帰る。それなら、肌を拭く布切れ一枚あればいい。
赤竜がかつて見た光景では、裸になるのを恥ずかしがる人間も居たが、洞内は暗いし、湯の中に入ってしまえば身体は良く見えないので、すぐに恥じらいも失くしていた。
「左様でございますか……皆裸で………」
シトリンは、裸で入っていたという状況から、概ねの経緯を理解した。
そして、いわゆる普通の人を山に登らせるのなら、身軽に越した事は無いと考えた。
「左様ならば、裸で入っても安全という事も、証明しておかなければなりませんね………」
シトリンは、話しかけたのか独り言なのか、微妙な音量でそう呟くと、黙考に入った。
そのまま数十秒、よく響く洞内でも、ほとんど聞き取れない声で何かブツブツと呟いていたが、何か結論が出たらしく、ふいに顔を上げた。
「竜神様、本日わたくしが湯浴みを同席してもよろしいでしょうか?」
「ふーむ、確かにそういう確認は………え?」
赤竜は、一度は納得しかけてから、素っ頓狂な声を上げた。
「ご迷惑でしょうか?もしそうなら、別の方法を考えますが……」
シトリンがうつむき加減で目を逸らした。赤竜に拒絶されたと感じて、落胆した様子を見せている事は、誰の目にも明らかであった。
赤竜としては、別に迷惑ではないし、最初の時点では良い考えだとさえ思っていた。
しかしだ。シトリンのここまでの発言と合わせて考えると、なかなかに不味い事になる。
「違うっ!シトリン、お主は今ここで、裸になると言うのか?」
「はい、そうですけれど……」
シトリンは、今ここで裸になるという事の重大性に、まるで気づいていない反応だ。
ロシュフォールとかいう従者、これはいい。おそらく、王女様が生まれた時から付き従っており、ずっと隣で面倒を見てきたはずだ。ほとんど家族のような物で、今更裸を見たからと言って、何を思うでもないのだろう。
赤竜自身も、別に問題は無い。竜にはそもそも、服飾文化が無いのだから、人間の裸を見たとて何という事もない。
問題は湯汲みの男衆だ。竜目線で見ても、下卑た目つきをしている男共だ。そんな男達に、高貴な身分の者が裸を晒すのは不味かろうと、人間の世事に疎い赤竜でさえ思う。
なお、当の男衆はというと、今の会話を聞いて、困惑している。
女体を拝めるのは有難いが、それが王女様の身体とあっては、流石の彼らも素直に喜べない。
そもそも、彼らが王女からの依頼を受けて働いている事が異常なのだ。本来なら、その姿を見ることさえ滅多に無いし、ましてや裸体など以ての外である。
地位の差が甚だしい事は自覚しているので、止めてくださいとは言えない。この時ばかりは、あの恐ろしい竜がなんとか止めてくれる事を祈るばかりだ。
「儂がどうこうという問題ではない。あの男達の前で裸になるつもりかと聞いているのだ」
赤竜は、湯船の縁に取り付いて、湯汲みをしている男達にちらりと目線向けた。彼らも赤竜に同意するように頷いた。
「また後日にするのは手間ですし、日が暮れては帰れなくなりますから、彼らを追い出して作業を止める訳にもいきません。何より、わたくし自身が安全性を証明しなければ、下々の者に安心して入っていただけませんでしょう」
こういう場面になるとシトリンは、まるで大軍を率いる将のように勇ましく、強情になる。騎士団長をも振り回す、お転婆姫の本領発揮だ。
「そこの貴方、ロシュフォールを呼んできなさい」
シトリンが、目の前の男衆の一人に命じた。呼ばれた男は、青ざめた顔でシトリンを見つめた。
「へ……へえっ!!」
命令されてしまっては、逆らう事は出来ない。男は全力疾走で洞穴の外に向かい、ロシュフォールの手を引いて戻ってきた。
腕を引かれるロシュフォールは、腕を引く男の慌てふためく様子に青ざめ、竜に姿に青ざめ、洞内の暗さによって顔の青さが強調されて、いよいよ死人のような顏色になっている。
腕を引いている男が、連れてくる最中で説明したので、ロシュフォールは一応のあらましは理解した。
その説明は、元々口下手な所に焦りが乗って、実に分かりづらい説明だったが、切れ者のロシュフォールは頭の中で話を組み立て直して、状況を理解していた。
「ロシュフォール、わたくしは今から、この湯に浸かります。貴方は、脱いだ服が濡れないように、持っていなさい」
シトリンは、ロシュフォールをキッと見据えて命じた。
男衆もロシュフォールに目を向け、なんとか止めてくれる事を期待していたが、当のロシュフォールは俯いて首を横に振った。
ロシュフォールは、ああこれではどうしようもないと、観念した表情で了承し、手早くシトリンの脱衣の介添えを始めた。
シトリンが生まれた時からの付き合いであるロシュフォールは、シトリン姫殿下が命令口調になったら、もうテコでも動かない事は分かっている。反論を聞き入れようとはしない、否、反論する事さえも許さない。
命令口調になった時はいつもそうだ。癒しの力を持つ竜神伝説を確かめに行くと言い出した時もこうだった。
一番側に居る侍従が諦めたら、昨日今日の付き合いでしかない男衆や赤竜にどうこうできるはずもなく、呆然として、その状況を眺めるより他に無かった。
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