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五分ほど歩いたところで、一際大きな建物の前で立ち止まる。
木造建築の三階建て。正面の扉の横には木製のベンチと、お皿の上にフォークとナイフが交差している図柄の看板が立て掛けられていた。
「ここが、この村の冒険者ギルドだ」
男はそう言うと扉を開け、中へと入っていく。
そこにはテーブルやイスがいくつか並んでいて、左奥には登り階段。パッと見た感じは、ギルドというより食堂だ。
店員がいるはずであろうカウンターに人影はないが、テーブルに腰掛け足をぶらつかせる若い女性が一人。
「ようカイル。今日は昼間から酒か?」
「お前はこの状況を見て、酒を飲みに来たように見えるのか?」
「アハハ、冗談だよ」
呆れたように言う男に、女はケラケラと笑って誤魔化す。明るい茶色の髪を後ろで一本に束ねていて、笑顔が素敵な女性である。
年齢は高校生くらいだろうか? 服は普段着のようで、店員や給仕のようには見えない。
「お前こそ、仕事はどうしたんだ?」
「飯時ならまだしも、こんな半端な時間に客なんかこねーよ」
女はそう言うと、テーブルから降りてカウンター奥の部屋へと引っ込んでしまった。
「ギルドは二階なんだ。職員を連れてくるから、ここで待っててくれ」
カイルと呼ばれた男は俺を近くのイスに座らせ、階段を駆け上がっていった。
改めて辺りを見渡してみるが、大きなフロアに客はいない。炊事場であろうカウンターの方に目を向けると、先ほどの女性が壁の端から顔を半分だけ出して、こちらの様子を窺っているのが見えた。
興味があるのか、見られていると思うと少し緊張してしまう。
しばらくするとカイルと一人の女性が、階段を慌ただしく降りてきた。
「初めまして。わたくしコット村のギルド支部長を務めておりますソフィアと申します」
長いストレートの茶髪に大きな眼鏡、少し変わったメイド服のような衣装で、女性としては背が高い。肌は色白で清楚な顔立ち。かわいいというより美人という印象は、仕事のできるお姉さん的なオーラが滲み出ていた。
「はあ……どうも。九条です」
「おいおい。挨拶は後でいいだろ? 先に傷の手当てをしてやってくれよ……」
「あっ、そうでした! ごめんなさい」
ソフィアはその場にしゃがみ込むと、胸元にぶら下がっていた金属の茶色いタグのような物を左手で握り締め、右手を足元の傷へとかざす。
「【|回復術《ヒール》】」
ソフィアの右手が淡く緑色に輝き出すと、そこは春の陽気のような温かい光に包まれた。
ほんの数秒で足の傷は乾いた血の痕を残し、何事もなかったかのように元通り。それがとても神秘的に見え、初めて見る魔法に驚きを隠せなかった。
「これは魔法……? すごいですね……」
「えっ、冒険者の方ではないんですか?」
ソフィアが驚いたように俺の顔を見上げ、カイルも同様であったため、俺が村の入り口で訂正できなかったことが勘違いさせた原因だろうと思い、素直に謝罪した。
「はあ。そうだったんですね……」
明らかに落胆したかのように肩を落とすソフィア。
「いや、すまない。兄ちゃんが珍しいローブを着てるもんだから、てっきり魔術師系なのかと思っちまった」
言われてみると、病院の手術着が薄手のローブに見えなくもない。
ソフィアとカイルはテーブルの向かい側に座ると、こうなった経緯を話し始めた。
「実は今、人手不足が深刻で冒険者を募集してるんだが、なかなか集まらなくてな……」
それで俺を、募集に応じてきてくれた冒険者なのだと勘違いしたということらしい。
確かに目に映る景色は長閑な田舎という雰囲気だ。ここまで冒険者風の出で立ちの者は、誰一人として見ていない。
そんなことを考えていると、辺りに立ち込めるおいしそうな匂い。それに反応するかのように腹の虫がぐうぅと鳴った。
手術前で食事を制限されていたので、転生前から何も食べていなかったのだ。
「なんだ。兄ちゃん腹減ってんのか? おい、レベッカ。この兄ちゃんに何か食えるもん頼むわ」
カイルがカウンターに向かって雑に注文すると、ずっとこちらを見ていたレベッカは奥の部屋へと引っ込んだ。
「ちょっと待ってくれ。俺はカネを持ってないんだ」
「ああ、いいさ。これは俺が勘違いした詫びだ」
「【|回復術《ヒール》】の代金もお願いしますね?」
「うっ……」
ソフィアの言葉に、カイルの顔が若干引きつった。
どうやらギルド職員の魔法は、ギルドに登録している冒険者以外は有料のようである。怪我の程度にもよるが、今回の【|回復術《ヒール》】は銀貨二十枚相当と聞いた。
この食堂の定食一食分が銀貨五枚らしいので、四食分と考えると治療費も意外とばかにならない。
「ま、まあひとまずその話は置いといて。兄ちゃんはどっから来たんだ?」
いずれ来るであろうと思っていた質問が来た。信用してくれるかどうかは別として、異世界から来ましたとは言えない。
どう言おうかと悩んでいると、カイルは俺の答えを待たずに次々と捲し立てる。
「方向からして王都の方から来たみたいだが……違うのか? なんで街道を通らずに危険な山を抜けてきたんだ?」
矢継ぎ早に来る質問に何も答えられない。適当に話を合わせるにしても、ちょっと突っ込まれたらとたんにボロが出るのは明白だ。
「いや……えーっと……」などとはぐらかしていると、ソフィアが思い立ったように呟いた。
「もしかすると|魔力欠乏症《オーバーメモリー》状態なのでは?」
「ああ。魔術師が限界を超えて魔力を使うと一時的に記憶がなくなるって言うあれか? 確かにそれなら、兄ちゃんがローブを着ているのも頷けるが……」
これに乗っかるしかない。後は怪しまれない程度に、話を合わせられれば……。
「ああ……いや、どうだろう。そうかもしれない……が、わからない……」
項垂れ、頭を押さえながらもたどたどしく答える。
「やはり……間違いありませんね」
「へえ、これがそうなのか。初めて見たよ。難儀だなあ」
カイルもソフィアの言うことに感心しているが、全部演技である。本当に申し訳ない……。
親切にしてくれた人に嘘をつくことになるとは……。罪悪感で胸が痛い。
「おまちどーさま!」
突然の声に驚き顔を上げると、横にはレベッカが立っていた。先ほどとは違いエプロンをしている。
「夜の仕込みを始めたばっかでろくな物がないけど、玉子はウチの村で採れた新鮮なやつだから」
「こっ……これは!?」
「それはたまごかけご飯って言うんだが覚えてるか? 玉子を割ってご飯に乗っけたら、そこの容器に入ってるタレを掛けて混ぜて食うんだ。遠慮しないで食ってくれ。……あ、玉子の割り方わかるか?」
「あ……ああ。大丈夫だ」
木製のスプーンでほかほかのご飯にくぼみを作り、玉子を割ってそこへ入れる。そしてタレであろう黒い液体を掛けて手際よくかき混ぜ、それを口へと運んだ。
「美味い……」
元の世界で食べていた物より格段においしかった。玉子の濃厚さが段違いで、感動すら覚えるほど。
まさか異世界で、たまごかけご飯が食べられるとは夢にも思わなかった。
ガブリエルが、元の世界と似たような所と言っていたのは、食文化という意味も含まれていたのかもしれない。
「クックックッ……食べたな……」
「食べましたね……」
ソフィアの眼鏡が光ったように見え、タダより高い物はないということわざが頭を過る。
無一文の見ず知らずの人に、ここまでよくしてくれたのだ。相応の対価は求められるだろうと覚悟を決めた。
「どうか……どうかウチのギルドに所属してくださいッ!」
ソフィアがその場で頭を下げる。
「強制はしない。記憶が戻るまででいい。それでもいいから助けてくれ!」
先ほどまで明るく振舞っていた二人に笑顔はなく、その表情は真剣そのものだ。
無理難題を押し付けられてもおかしくはない状況に憂慮していたが、それは強制でも命令でもなく、お願いだった。
しかし、わからない。ガブリエル曰く、ここはファンタジーの世界。ギルドに所属し冒険者になれば、魔物を退治したりするのだろう。
それなりに戦力になるならまだしも、実績も経験も不明な人間を所属させてメリットがあるのだろうか?
できれば争い事は避けて、穏便に暮らしていければと思っていたのだが……。
しかし、命を助けてもらい傷の手当や飯の面倒まで見てもらった手前、断りづらいのも確か。
所持金はなく、どこかで働いてお金を稼がなければ飢えてしまう。
悩みはしたものの、どちらにせよ仕事は必要と割り切り、説明だけならばと、俺は二人の話を聞いてみることにした。