次に目の前に映し出された光景を見て、私はたちまち絶句する。
怒号と悲鳴。地面を埋め尽くす屍と血の池。そこには阿鼻叫喚の地獄が広がっていた。
逃げ惑う人々に襲い掛かる闇。いや、あれは闇ではない。おぞましい漆黒の蛇の大群が津波となって人々に襲い掛かっていたのだ。
黒蛇の牙の餌食となった人々は次々に地面に崩れ落ちて行く。中には赤ん坊を抱いた母子の姿もいれば家族を守ろうと黒蛇に立ち向かう父親の姿も見えた。しかし、黒蛇の津波は老若男女問わず彼等に等しく絶望と死を与え闇に呑み込んでいった。後に残るのは血溜まりと無惨な屍だった。
そして、私はあることに気付く。
「何故、襲われているのは全て獣人達なの……⁉」
私は咄嗟に獣人達を助け出そうとするも身体が思う様に動かない。襲われている子供を見て神聖魔法を放とうとするも、魔法は一切使えなかった。
まるで夢の世界で悪夢を見せられているようだわ。眼を背けたくても悪夢の光景は直接頭の中に流れ込んで来た。いや、そんな生易しいものではない。私の魂に何者かが直接干渉しているような感じだった。
その時、見覚えのある女性が現れた。聖女のドレスを身に纏った美しい黒髪の美女だ。
私は彼女に見覚えがあった。あの時、私に蒼い宝石のペンダントを授け、導きの手を差し伸べてくれた女性だ。
しかし、私は彼女が別人であることを瞬時に悟る。顔も髪の色も同じだったけれども、あの愉悦に塗れた残酷な笑みはまさしく悪魔そのもの。彼女は人を、獣人を殺戮するのを見て明らかに愉しんでいた。
そこで私はある一つの結論に達した。
この灰色の世界は誰かの夢。実際の出来事を誰かの魂を通して見せられている光景なのだ。
そして、この黒髪の女性は双子聖女の伝説に実在した魔女。
ただしその名はリンではなくラン。
つまり、私の国に伝わっていた双子聖女の伝説は偽りだったのだ。
ルークが言っていたことが正しかったということ。つまり、私の国に伝わる双子聖女の伝説は真逆の真実を伝えていたことになる。
私は馬鹿だ。心の底ではルークの言葉を否定していた。私の国が夜の国を襲っただなんてそんな非道なことをするわけがないと思っていた。何かの行き違いのせいで両国の伝承に微妙なズレがあったとしか思っていなかったのだ。でも、この光景がかつて実際に起こった出来事であると仮定するならば、私の国に伝わる伝承は偽りに塗り固められていたことになる。怒りに手が震えた。自分の愚かさと浅はかさに対して込み上げた怒りだ。
魔女と化し、世界を滅ぼさんとしたのは双子聖女の姉ラン。それを阻み世界を救ったのが双子聖女の妹リンと当時の夜の魔王ジークフリート。それが嘘偽りない双子聖女伝説の真実なのだと確信した。
「これ以上の非道はお止めください、ランお姉さま!」
聖女のドレスを身に纏い、聖女の証たる白銀の髪をなびかせた聖女リンが現れる。その後ろには満身創痍のジークフリートの姿もあった。どうやら既に激戦を繰り広げた後らしい。二人とも傷だらけだった。
魔女ランはリンの悲痛な訴えに対し、嘲笑で返す。
「これが非道ですって? 私の大事な妹をたぶらかした薄汚い獣人どもを駆除しているだけよ? それの何が悪いって言うのかしら?」
魔女ランはそう言うと、全身から瘴気を迸らせ、無数の黒蛇を周囲に召喚させる。たちまち無数の殺気が周囲に立ち込めた。
「その名の通り、夜の国に朝陽が昇ることは二度とないわ。だって今日、私が滅ぼしてしまうから。リン、これが最後のチャンスよ。私と共に光の世界に戻るか、ここで薄汚い獣人どもと運命を共にするのか……選びなさい!」
ぎょろり、と魔女ランは大きく剥き出しになった黒瞳で聖女リンを睨みつけた。
聖女リンは一瞬の躊躇いも見せることもなく、毅然とした態度で一歩前に歩み出る。彼女の頭上に神々しいオーラが降り注ぐ幻を私は垣間見た。
「既に私はジークフリート様のもの。そして、ジークフリート様も私のもの。選ぶまでもなく、既に私は夜の国と運命を共にすることを決めています。そして、私の家族である獣人を傷つけるランお姉さまを私は決して許しません!」
その瞬間、聖女リンの全身から神々しいオーラが立ち昇る。
宣戦布告ともとれる妹の言葉を前に、魔女ランは顔を汚辱に塗れさせると憎悪のオーラを正気に変換させた。
「ならば! お前をこの手で殺し、永遠に私のものとしてやる! そうよ、そうだわ。最初からそうすれば良かったのよ。愛する妹を殺して永遠に私のものにしてから薄汚い獣人どもを滅ぼせば良かったんだ」
「リンも民もオレが守って見せる。魔女め、覚悟するがいい!」
聖女リンの前にジークフリートが歩み出ると、魔女ランを睨みつけながら咆哮のような怒声を言い放った。
「もう何を話しても無駄のようですね、ランお姉さま。ならばこれで終わりにいたしましょう」
そう言って聖女リンはジークフリートと片手を絡み合わせると、魔力を漲らせた。
「愛しているのよ、リン! どうして私じゃダメなの⁉ どうしてそんな薄汚い獣人なんかを選ぶのよ⁉」
魔女ランの叫びに対し、聖女リンは頬を染め幸福に満ちた表情で答えた。
「私はランお姉さまのことも家族として愛していました。でも、私の一番で特別な存在はジークフリート様お一人だけ。だって、私に幸福を与えてくださったんですもの」
そう言って聖女リンは片手で自分のお腹を優しく撫でると愛おし気に微笑んだ。その視線の先にあるのはジークフリートでも魔女ランでもなく自分の腹部であった。
たちまちジークフリートの双眸は驚きに大きく見開かれるのと同時に、真紅の瞳が歓喜に潤んだ。
そのことに気付いた魔女ランの顔が悲痛に歪む。
「おのれ、おのれ、おのれえええええええ⁉ 奪っただけでは飽き足らず、私のリンを穢したな⁉ 許さない、絶対に許さない! 例え我が身が滅びようとも未来永劫、夜の国を、薄汚い獣人どもを呪ってやる! そして、私を拒んだリン、お前も許さないわよ⁉」
魔女ランは血涙を溢れさせながら呪詛のような叫びを上げた。全身から暗黒の瘴気が噴き出し、それは悪魔のような姿を作り上げた。
次の瞬間、魔女ランは嫉妬と憎悪に塗れた魔力を二人に向けて放った。
聖女リンとジークフリートは互いの魔力を合わせ、魔女ランの放った憎悪に抗った。
そして、互いの想いが衝突し合った瞬間、再び私の意識は遠のいた。
「ミア! 大丈夫か、しっかりしろ⁉」
ルークの叫びが聞こえて来た。
私はゆっくりと目を開く。ルークの不安と焦燥に塗れた表情が飛び込んで来た。
「ルーク、私は……」
頭がぼんやりとして上手く思考がまとまらない。
状況を把握する前に、私はルークに力強く抱きしめられた。
「目覚めてくれて良かった……。ミア、君は酷い奴だ。世界狭しといえども、オレを何度もこんな不安な想いにさせるのは君だけだよ」
ルークは私を力強く抱きしめながら、呆れたように深く安堵の息を吐いた。
「ご、ごめんなさい、ルーク。あの、私、どれくらい気を失っていたの?」
聖女ラン……いえ、魔女ランの霊体とジークフリートの亡霊が放った魔力波が衝突した後、凄まじい衝撃波に巻き込まれたところまでは覚えている。その後は灰色の世界に佇んでいて、眼を背けたくなるような真実を見せられたことまでは思い出せた。
「時間にして一分も経過していないよ。だが、人生で最も長い一分間だったとだけ言っておく」
ルークはそう言って、私を見つめた。その表情が微かに焦燥しているのが見て取れた。
「落ち着いて聞いてくれ、ミア。夜の国は間もなく亡びる」
その瞬間、今度は私の頭の中だけが灰色の世界に囚われたような錯覚に陥るのだった。
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