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「ああおはよう」と返したのをきっかけに、なに食わぬ顔で入室し、急いで準備を始めた。

「先生、準備のお手伝いしますか」

さきほど会話していた男子学生たちが、心なしか気まずそうな顔で手伝いに来た。

手伝いの申し出はいつも有難く受けていた。だが、

「いやけっこうだよ」

とつい冷ややかに拒絶してしまった。

他愛ない会話につい影響されてしまったというのか――俺はいったい、なにをこんなに苛立っているのだろう。



その夜の帰宅は、八時を過ぎていた。

重要な仕事があったわけではない。

美良と顔を合わせたくなかっただけだ。

玄関をそっと開けると、彼女が笑顔で出迎えてくれた。

「おかえりなさい。お仕事お疲れさまでした」

「ああ」

彼女が鞄を受け取ろうとするのを無視して、さっさとリビングへ向かう。

結婚する以前から世話になっているハウスキーパーの仕事ぶりは今日も完璧で、白系の家具家電で統一したリビングは、なんの遜色もなく綺麗に整えられている。

だがそこに、黄色い花柄の愛らしいマグカップに、俺を待っている間に勉強をしていたのだろうか、ピンク色のペンとクリアファイル。

代り映えのしない無色素な空間に、彼女の色が混じっている。

たったそれだけのことなのに、俺の胸はかすかな熱を覚え、まるで恋を初めて知った若者のように疼いてしまう。

そして、彼女そのものが俺のすぐそばにいるという事実が、落ち着かない胸をさらに騒ぎ立てる。

「今日も忙しかったんですね。毎日遅くまでご苦労様です」

そう気づかわしげに微笑む彼女は、今はゆったりとした淡い桃色のワンピースを着ていた。

俺と一緒に行って買った物の中の一着だった。

あの時購入した服や小物を、彼女は上手に着まわしている。

出会った頃に来ていた服は清楚で愛らしかったが、少し地味で幼い印象を与えた。

その点、スタイリストの安田さんが選んでくれた服は、大人びたデザインながらも、優しい色合いやゆったりとした生地が純真な彼女に合っていた。

今着ているものも柔らかそうな素材のもので、彼女の華奢な身体を優美に包みつつも、身体のラインをなめらかに際立たせている。

そこに緩く結った髪を肩に流している様が、どこか艶っぽい。

思わず、リビングの柔らかな灯りに照らされたそのうなじと、涼しげに開いた胸元に目が行く――。

目を逸らすように自室に行き、私服に着替えて戻ると、美良が訊いてきた。

「お風呂湧いていますよ。それとも夕食にしますか?」

夕食?

ダイニングテーブルを見やると、ラップに包まれた皿があった。

今夜も作ってくれたのか……。

じり、と鈍い痛みが胸を刺す。

俺が彼女を愛することは、けしてしない。

だからいっそ、嫌われてしまう方がいい。

そう思った。だから、昨日までは夕食の有無の連絡を入れるようにしていたが、今日はわざと入れなかった。

そうして連絡を寄こさない俺のことを嫌えばいい。彼女が俺を嫌悪すれば、俺も踏ん切りがつく。

そんな企てを自分で考えたはずなのに、罪悪感の痛みがつらい。

これくらいで根を上げるわけにはいかない――俺は煩わしそうにしながら、そっけなく言った。

「ああすまない、夕食は軽食ですませてきたからいらないよ。忙しくて連絡を忘れていた」

「そうでしたか、食べてこられたんでしたらよかったです」

彼女は気にした風もなく冷蔵庫におかずをしまうと、にっこりと笑った。

「でも余計なお世話かもしれませんけど、栄養は気にされてくださいね。結局は事故で亡くなってしまいましたけれど、うちの両親は自営で忙しかったけど食生活だけはちゃんとしてたんです。その甲斐あってか、いつも元気でしたから」

俺の身体を気遣うやさしさに、つい胸が温かくなる。

考えてみれば、俺になにかあれば彼女はまた家族を失って独りになってしまう。

だから俺の不規則な生活が心配なのかもしれないな……などと思ってつい別の罪悪感に胸を締め付けられる自分を叱咤し、冷ややかな口調を続ける。

「気遣いはありがたいが、食事の準備はしなくていい。以前も言ったはずだが?」

「もちろん、覚えていますよ」

やや責めるような口調にしたが、美良は明るい調子でやんわりと返す。

むきになって俺はさらに口調を強めた。

君という鍵を得て、世界はふたたび色づきはじめる〜冷淡なエリート教授は契約妻への熱愛を抑えられない〜

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