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この日の出会いが、僕の人生を壊すことになるなんて、まだ知らなかった。
これは、なんの取り柄もない僕と、不思議な世界からやってきた少女の話。
僕は学校も、家も、嫌いだ。
食事の時間だって、眠りにつく直前の暗い時間も、嫌いだ。
教室ではいつも窓の外の空を眺めてばかりいる。
目立ちたくない。
目立てば、失敗すれば、また失笑が飛んでくる。
この箱庭で、僕はただの玩具だ。
「なぁ、購買でなんか買ってこい。もちろんお前の金でな」
「めんどくさいから私らの宿題やっといて」
「いいじゃん、そういうノリだろ?」
「体操着ないのー? あ、塵だと思って捨てちゃった」
いつだって、嘲笑が当たり前のように降ってくる。
先生だって見て見ぬふりだ。
なのに今日だけは、誰も僕を見ていない。
いつもとは違う。
教室中が落ち着かず、ざわざわしている。
教室は、どうしてこんなに騒がしいのだろう。
いつもとは少し違うだけの違和感、一軍と呼ばれる階級の奴らは、はしゃいで猿かと勘違いする。
Q.なぜはしゃぐ?
A.今朝、僕の席の隣に、新しい机と椅子が設置されていたから。
これが一体何を意味するか?
そう、新入生がやってくる、ということだ。
こんなに、ただ人が来るってだけで、舞い上がるんだろ。
僕にとっては大問題だ。人見知りだし、もし転校してきた子が女子だったら、男子から反感を買い、男子だったら女子から反感を買い……逃げ道ないじゃねぇか。
教室にいる一部の男子達は、僕を見てはヒソヒソ話している。
「なんであいつの隣に?」
「あいつの隣なんて、転校生も嫌、だろうな」
黙れ。
なんて、言える度胸があるわけない。
クスクスと言った人を苛立たせる笑い声は、ある種の才能じゃないだろうか。
窓の外に目を移せば、晴天。海のように広がる空には、白墨で落書きしたかのような飛行機雲がある。
空だけはいつもきれいだ。
僕の人生がどうであろうと、何も関係ないみたいに。
僕の席は窓側の一番端。
みんなが「この席が居眠りできて空眺められていい」と言っている席だ。
個人的には、一番後ろの席は黒板の文字が見えにくいし、なんとも言えない。
……と、呑気に自分の席について言ってる場合じゃない。
怖い。
転校生がどんなやつかは知らないが、教室中が興味を引かれて人が集まるに違いない。
そうなったら僕は邪魔者扱いされて……ああ、想像するだけで吐き気がする。
ああぁ……どうしていつもこう……!
僕は顔を俯かせて、机の下に手を隠し、爪で思い切り手の甲を押さえ込んだ。
汗が滲む。
今朝食べたものが吐き出てきそうだ。
「なぁ。」
突然、教室の中で女子に持て囃されている男子――高橋が声をかけてきた。
「な、なに?」
普段僕を見下してるくせに、なんなんだ今日は。
後ろで小馬鹿にするように傍観している女子が、「もっとハキハキ喋りなよ〜」と笑う。
うるさい。
人前じゃ声なんて全然出ないんですよ。
「転校してくる子、どんなやつだと思う? 俺はなー、すっげー美人がいいなぁ。」
「そうですか……」
「なぁ、お前は?」
普段は話しかけてもこないのに、どういう風の吹き回しだ。
僕にそんなこと聞いたって、つまらないとか言うんだろうな。
「普通の人が、いいです。」
「……つまんね。」
ですよね。
なら最初から聞いてこないでくださいませんかね。
教室は転校生歓迎の空気満載だ。
まだどんなやつかもわかっていないのに。
「ねぇ!さっき職員室に行ってみたら転校生らしき子いたよ!」
教室に、息を切らして興奮気味で話し出す女子の宮村さん。
「マジ!?男!?女!?」
「女子だった!凄い美人!」
よっしゃああ、と天井に手を掲げる高橋。そこまでか?
教室は一言で表すんなら喧騒だ。
遊技施設のごちゃごちゃとした、水中にいる時のような音と酷似している。
「………うはぁ……」
絞り出すようなため息。
「………あぁ……」
ため息その二。
「うー……」
ため息その三。
机に突っ伏して耳を塞ぐ。
黙れ。
黙れ黙れ、心の内で反芻する。
「……あー、無理……」
耳を塞いだまま、深呼吸しようとした、その時だった。
ガラッ。
教室の扉が開く音が、
さっきまでの喧騒を一瞬だけ切り裂いた。
ざわめきが、波が引くように弱まる。
扉を開いたのは先生だった。黒髪のぼさぼさの髪で、不精な髭を放置したままの。
視線は、一気に先生に向けられる。
先生はいつも通り教卓の前に立って、朝の連絡事項を始める……はずだった。
今日はひと味違う。
「えー、今日は連絡事項の前に、転校生を紹介する。」
花が咲くように、教室の奴らの表情は明るくなる。
ザワザワ騒ぎ出す生徒を静かにさせた後、先生は扉の方を見やった。
「入って来てください。」
小さな影が、教室に映った。
カタン、と。心地よい足音を鳴らして、一人の女の子が入って来た。
その子の髪型は、実に特徴的だった。
その子の髪型は、実に特徴的だった。
三つ編みを輪っかにして纏めた、いわゆる”砂糖天麩羅髪”と呼ばれる髪型。
抹茶を連想させる緑髪、そして何より特徴的なのが、
硝子のように繊細な、螺鈿色の瞳。
小さな影は黒板の前まで来ると、くるりとこちらに向き直った。
その動きは、子どもらしいあどけなさと、俳優みたいな人を惹き込ませる演技のようにも見える。
「黒板に名前を書いて、自己紹介をお願いします。」
転校生はこくりと頷き、白墨を手に取った。
だが、いざ書こうと黒板と向かい合わせになった時。
「霧ヶ峰……ってなんて書くの? もうひらがなでいーや。」
え?
そのまま特大サイズで「きりがみね ありす」と、
文字は斜めに歪んで、蚯蚓みたいに細い字が黒板いっぱいに広がる。
自分の名前の漢字分からないって、ある?
白墨を置くと、ぱっと笑顔になった。
「霧ヶ峰ありす……です!得意なことは手品!」
ぱんっ!
手を叩く音がやけに大きく、鼓膜が揺れる。
「そうだ!今からちょっと手品します!」
そう宣言すると、転校生は掌をひらひらと見せつけた。
「種も仕掛けもございません!でも念じると?」
両手をぎゅっと握り、数秒の沈黙。
全員、一体この子は何をやろうとしているんだと、目が釘付けになる。まるで液晶画面に夢中の子供。ただ急かすでもなく、彼女の言動をよく観察するだけ。
そして——
「そーれ!」
声と同時に手を掲げた。
その瞬間。
教室中に、飴が降った。
何も持っていなかったはずの手から生まれた飴玉が、無数に宙を舞い、
机や椅子、床にぱらぱらと激突。
まるで雹の嵐みたいな音が教室中に広がる。
まさに、これは——
豆まきならぬ、飴撒き。
僕の席までは、幸い飛んでこなかったものの、全員また、騒ぎ始める。
降り注いだ飴が床に転がり、カラカラと乾いた音を立てた。
一瞬だけ——静寂。
そして。
「えっ……すげぇ!?」
「なにこれ!?」
「飴!?マジで!?」
教室中が弾けたように騒ぎだした。
机から身を乗り出すやつ、液晶端末を取り出そうとするやつ、
拾った飴を宝物のように掲げるやつまでいる。
後ろの席の女子たちは悲鳴とも歓声ともつかない声を上げてはしゃぎ、
高橋は誰よりも早く飴を手に取って叫んだ。
「うおっ!?ほんとに飴!?すげー!不味い!苦瓜味だし!!」
開けて食べるな、というか苦瓜って何、美味しくなさそう!
「ねぇねぇ!もう一回やってー!!」
「どこにしまってたの!?」
「手、見せて!」
「やべぇ、本物の手品師じゃん!」
ありすは嬉しそうに笑いながら、
「それはねぇ……秘密!」
と、子どもっぽく口に指を当てた。
その笑顔に、教室の盛り上がりはさらに加速する。
……が。
ただ一人、盛り上がりに乗れず困っている人がいた。
先生だ。
「……あぁ、ちょっと、えぇ……あの……」
目の前で降ってきた飴玉の光景に、口をぱくぱくさせて固まっている。
黒板の前で、生活指導の説教寸前みたいな顔なのに、
どう扱っていいのかわからず完全に思考停止している。
先生……どうにかして。今が一番あなたに頼った瞬間だ。
そしてようやく、掠れた声で搾り出す。
「……そ、その……霧ヶ峰さん。えぇと……手品……は…… す、すごいね。……でも、次からは……その……廊下で……?」
なぜ“廊下”なのか自分でもわかってない言い方だった。
クラスの男子が吹き出し、女子がくすくす笑う。
先生は焦りながら続ける。
「とにかく!えー……できれば授業中は……やらないで……お願い……します……」
転校生は にっこり笑って、元気よく返事した。
「はーい!気をつけまーす!」
気をつける気ゼロの声だ。
先生はこめかみを押さえ、深いため息をついた。
多分、今日いちばん疲れた瞬間だと思う。
その横で、高橋が俺の肩を小突いてきた。
「お前……“普通の人がいい”とか言ってたよな?」
……うるさい。
本当に、黙っててくれ。
「じゃあ霧ヶ峰さんは……あそこの席ね。」
先生が、俺の隣を指さした。
よりによって、なんで僕の隣かなぁ。
転校生は嬉しそうに「はーい!」と言いながら、
飴を踏まないようにぴょん、と跳ねるような足取りでこちらへ向かってくる。
教室中の視線が、一斉に俺の方へ吸い寄せられていく。
その光景に、背筋が凍った。
やばい。
なんでこっち見るんだよ。
頼むから、普通にしててくれ……。
机の上で握りしめた拳は汗でぐしょぐしょだ。
手の甲がじんじん痛む。さっき爪を食い込ませすぎたせいだ。
「よろしくね!|アマノ君!」
ありすは満面の笑顔で俺に手を差し出してきた。
まるで、舞台の上でスポットライトを浴びてるみたいに自然で、
怖いくらい明るい。
でもいくら自然と言えども、違和感が残る。
僕の名前、なんで知ってる?まだ自己紹介してないはず。
「……よ、よろしく……」
声が裏返りそうだった。
案の定、後ろの方でクスクス笑う声が聞こえる。
高橋の声だ。
「いいなぁ〜天野、モテ期きたじゃん?」
からかうなよ。
こっちは死にそうなんだ。
転校生は席に座ると、物珍しそうに机を眺め、
椅子をガタガタ揺らしたり、落ち着きの”落”の字もない。
周囲は、未だにざわざわと奇想天外な転校生を観察している。
そして、時間など気にせず、近くの席の奴らは会話を開始する。
「ねぇ、さっきどうやったの?」
「マジで飴、どっから?」
「またやってよ!」
「え〜でも授業中はダメって言われちゃったから〜」
転校生は笑いながら、いたずらっぽく唇に指を当てて
「でも、内緒でなら……いいよ?」
と囁いた。
教室中がざわっと揺れる。
やめろ。
そんなこと言ったら、また人が集まるだろ。
……いや、もう視線が集まってるか。
「ダメですよ。」
先生が瞼を痙攣させながら、息まじりにそう言う。
「そんなぁ」と残念がる彼女の横顔を見ながら、俺はそっとため息をついた。
こんな……こんな強烈なやつが隣とか……
無理吐く。
まるで、物語の主人公みたいなやつが来た。
いや、違う。
“主人公どころか、事件そのもの”が来た気がする。
俺は机に額をつけ、そっと目を閉じた。
嫌な予感しかしない——。
それは、先生も同じだろう。転校初日から飴降らすんだ。これから混沌に包まれるに違いない。
「霧ヶ峰さん、飴、拾ってもらえますか。」
「ん? あ、はーい!」
アリスは何のためらいもなく返事をすると、
床に散らばった飴玉を、まるで宝石でも探すみたいに
ぱたぱたと教室中を駆け回り始めた。
「おっ、これは鉄味〜!」
そう言って、ひょいっと拾い上げ、にこにこしながら掌に乗せる。
……鉄味?
やっぱりおかしいよな。鉄って、つまり血じゃん。
なんでそれが“味”として成立してんだよ。
アリスは次々と机の下に潜り込む。
え、入るの?
マジで潜るの?
飴を拾うために??
「ちょっと通りまーす!」
「うぇ……!?」
ガタンッ。
地震みたいに椅子が揺れ、机も揺れ、生徒たちのざわめきが一斉に上がった。
「なにあの子」「近いんだけど!?」「うわ、こっち来る!」
その声が全部、
いつものみたいに俺を刺す矢じゃなくて、今日は別の方向へ飛んでいく。
……でも、だからって嬉しいわけでもない。
騒ぎの中心がすぐ隣で暴れてるせいで、
逆に俺は逃げ場がなくなっていた。
机に額を押しつけたまま、息をひそめる。
まるで、静かな地獄に巨大な爆弾が落ちてきたみたいだ。
……もう、混沌だ。
これから、やって行けるだろうか。
これにて、一旦閉幕。
またのご来場、お待ちしております。