テラーノベル
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長い長いと思っていた海外での仕事は、過密なスケジュールがトラブルなく進んでくれたこともあって想像以上に時間の経過はあっという間だった。だが、セキのアドバイスもあり、俺は何かにつけて涼ちゃんに連絡を入れるようにした。
「単純接触効果、ってあるでしょ」
セキはなんだか得意げに指を立てながら俺に言った。そんなこと言い始めたら、俺と涼ちゃんは1年のうちで最も顔を合わせる間柄なんだけど、と内心思いつつも、彼曰く些細な連絡に対する反応をみるのも、相手の自分に対する気持ちを見極める方法の一つだと言うのだ。
「離れている時も連絡するっていうのは相手に自分の存在を印象付けるのにも効果的だし、どうでもいい相手からのどうでもいい連絡って早く切り上げたくなるでしょ。未読でしばらく置いちゃうとかさ。でも次の会話に繋がるような返信くれたりしたらそれはちょっと前向きに思えるよね」
涼ちゃんはもともと連絡がまめな方ではない。だから向こうに行っている間、セキの言葉に背中を押されて、些細なことも連絡してみようとは決心しつつも、返事がなかったり遅かったりしたとしてもあまり落ち込んではいけないと自分に言い聞かせていた。
しかし、嬉しい誤算というべきか、彼は俺のくだらない「報告」に反応を返してくれるどころか「○○はどうだったー?」というように話を繋げてくれたのだ。「あさ」と一言だけ送って朝食の写真を送り付ければ「右上の何~?おいしそう」とか、「今日の撮影めっちゃ疲れたー」と送れば「お疲れ様~!いいの撮れた?今日は晴れだったの?」とか。空いた時間などにぱっとスマホを開くと必ずと言っていいほど涼ちゃんからの返信が来ている。それは不思議な感覚でもあったし、異国の地で抱きがちな不安や心細さを確実に解消するものとなっていた。
帰国の日、空港には、ちょうど予定していた仕事が早く終わったからと涼ちゃんが迎えに来てくれていた。若井はちょうどレギュラー番組の収録が被ってしまっているらしく、自分も迎えに行きたかったと寂しそうにしていたと涼ちゃんが教えてくれた。
「別に、わざわざ良かったのに」
本当は来てくれて嬉しいのに、照れくさくて言葉が素っ気なくなってしまう。
「え〜だってせっかくだもの、それに1週間も会わないってなかなかないじゃない。元貴、背伸びた?」
伸びるわけねーだろ、嫌味か!と突っ込みをいれると、彼は楽しそうにあははと笑う。
「せっかくだしごはん食べて帰ろーよ」
俺は思わずぱっと時計に目を遣る。今日はまっすぐ帰ってVWIにログインするつもりだったのだ。
「あ、何か用事あった?」
俺の動作に目ざとく気づいた涼ちゃんが尋ねてくる。俺は慌てて首を振った。別にセキとは約束をしている訳では無い。ただ一応ログインできるとしたら今日くらいからかなと伝えてあるだけで、涼ちゃんとごはんに行けるならその方が優先するべき事項のはずだった。一緒に帰国してきたマネージャーも誘うと、彼はこの後用事があるから帰るという。ならば涼ちゃんとふたりきりだ。
「俺、トマトのパスタ食べたい」
いっつもそれだね、と涼ちゃんが笑う。
「向こうで散々食べてきたんじゃないの?」
「それが聞いてよ!実はさ……」
タクシーの中は俺の向こうでの仕事についての話題でいっぱいになる。やがて車は、よく皆で行くイタリアンレストランに到着した。
食事中も俺はどことなく落ち着かなかった。涼ちゃんと楽しく話をしながらも、何時までに帰れればもしかしたらセキがまだログインしてるかもな、なんて同時に考えてしまう。1週間ぶりだもんな、仕事の話はどっから身バレに繋がるか分かんないから出来ないけど、向こうにいる間に涼ちゃんからきたメッセージのこととか具体的なことは省いて話してみよう。あと今日迎えに来てくれたこととか、一緒にご飯食べたこととか……。報告したいこともいろいろあるんだよな……。
「元貴」
涼ちゃんの声に、はっとなって慌てて顔をあげる。彼は少し申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「ごめん、よく考えたら帰国したばかりで疲れてたよね……今日はもう帰ろうか」
俺は思わず自分の頬を思いっきり殴ってやりたい気分になった。馬鹿!なんで目の前に好きな人がいるってのに、他の人にその話をすることに気を取られているんだよ、おかしいだろ!
「違うんだ、ごめん、ちょっとぼーっとしちゃってただけで」
「……それだけ疲れてるんだよ。元貴明日も早速スケジュール入ってるもんね、頼んだデザート来たらそれ食べて帰ろ」
涼ちゃんはまるで駄々をこねる子供を優しく諭すみたいに話す。そのあとの会話のことはよく覚えていない。俺が何か冗談を言って、それに涼ちゃんが笑った気もするけれど、どの会話も歯がわずかに欠けてしまった歯車みたいに、機能しない訳では無いけれどぴたりとうまく噛み合ってくれないような感覚があって、お気に入りのチーズケーキは砂を噛んだように味がしなかった。
せめてセキに話を聞いてもらおうと思い待っていたけれど、その日、セキは結局VWIにログインしてくることはなかった。
「元貴ッ!」
涼ちゃんの焦ったように叫ぶ声が聞こえた。寝不足で全然働かない頭が「何かあったのかな」なんて、呑気に身体への指令のための言葉を選んでいる途中で俺の身体に衝撃が走る。背中に走る激痛。それから視界いっぱいに広がる床板の木目。それがぐんぐんと近づいてきて俺は自分が倒れている途中なのだと知る。こういう時、やたら時間の経過がゆっくり感じるのは何なのだろう。ちゃんと受身が取れるように頭がフル回転してるのかな。でもそれに伴ってくれない俺の身体は、文字通り手も足も出ずにそのまま重力に従っていく。俺は来たる衝撃に備えてぎゅっと力強く目を閉じた。……しかし、思っていた痛みは全く訪れない。おそるおそる目を開けると、誰かが倒れ込む俺を背中から抱きしめるようにして、庇ってくれたのだと分かった。俺の身体を守るように添えられた腕、嗅ぎ慣れた甘い匂い……。
「涼ちゃん……?」
慌てて起き上がろうとするよりも先に
「涼ちゃんっ!元貴っ!」
若井の放った焦りの滲んだ声が響いた。強ばってしまったのか上手く動かない身体を、駆け寄ってきた若井が助け起こしてくれる。
「おい、大丈夫か?涼ちゃんも」
若井の顔面は蒼白、という表現がぴったりなくらいで、俺とその後ろで小さく呻き声をあげた涼ちゃんを交互にみている。唇が震えて上手く喋れずにいる俺の代わりに、涼ちゃんが
「俺は平気……元貴は?痛いところある?急にびっくりしたよね、落ち着いてからでいいよ」
と、ゆっくりと背中をさすってくれる。その背中に鈍い痛みが走って、思わず俺は顔を歪めた。
どうやら、最初に俺の背中に走った激痛の原因は、剥がれ落ちてきたステージセットの一部なのだと周りが話しているのを聞いていて分かってきた。セットの一部と言ってもそんなに大きなものではなく、木製の手のひらサイズくらいの飾りだったのだが、それなりの高さから落ちたのもあって、俺の背中には立派な痣が出来ていた。
「頭に当たらなくて良かったよ」
涼ちゃんが(見た目はかなり痛々しいらしい)痣をみながら息を吐いた。実際のところ、怪我はそんなに酷くはなく、触れられると確かに痛みは走るが、そっとしておけばわりあい自由に身体を動かしても平気で、今日の収録も予定は押したが問題なく行えそうだった。
「涼ちゃんありがとう……」
俺がぼーっとしていなければ、涼ちゃんの声に反応してちゃんと避けられたはずなのに。そうしたらこんな大事にもならなかったし、涼ちゃんにだって怪我をさせることもなかった。彼は俺を助けようとした時に腕と膝を擦りむいていた。
「俺は大丈夫だよ、服の上からだから軽く擦りむいただけだし……本当はもっと早く走れたら元貴が怪我する前に助けられたのになぁ」
長距離だけじゃなくて早く走る練習もしなきゃ、と彼は腕を振って走るジェスチャーをしてみせる。俺があまり気に病まないようにとあえて明るく振舞ってくれているのが分かった。そこにスタッフから新しい氷嚢をもらってきてくれた若井が顔を出す。
「元貴が現場で気が抜けてるのは珍しいよな、なんかあった?」
「あ、いや……ただの寝不足」
お前はいつも寝不足だろ、と苦々しく言われてそれはそうなんだけど、と俺はまだ落ち着かない鼓動を抑えるためにそっと胸の辺りに手を当てる。まさか昨日セキに会えないかと遅くまでVWIにログインしていた上にその後寝付けなかったなんて、くだらなすぎて話せない。
「昨日もなんか心ここに在らずって感じだったんだろ?」
涼ちゃんが心配してたんだよ、と若井が気まずそうに目を逸らす。いつの間にそんな話を若井にしていたんだろう。
「スケジュールみてたら疲れが溜まって当たり前のハードさだ……心配になるよ」
若井の言葉に重ねるように、涼ちゃんが黙ったままそっと俺の手に触れた。その表情は不安と懸念に満ちている。ふたりに心配だけではなく迷惑までかけてしまった。しかも、とてもくだらない個人的な理由によって。俺は情けなさと恥ずかしさで目頭が熱くなるのが分かった。
コメント
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なんだかもっくんにとって「仮想」の方に重きが置かれ始めてる、、? なんだろう、何とも言えない、上手く言語化できない不安感がある、、