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「とりあえずな。
とりあえず、道場な」
自分に言い聞かせるように奥の間から出たあとで有生は呟いていた。
「だがまあ、お前のおじいさんもその方が安心されるだろう。
安心させておいて、いずれ、とも思うが。
お前に関しては此処の方が安心かもな」
「え?」
「俺は時折、お前のような奴に狙われるから」
と有生が言うので、
「他にも何処かの七代目か八代目を呪ってるんですか?」
と思わず訊いてしまい、
「そうじゃない」
と言われる。
「お前のように俺を恨んで殺しに来る奴がいるから。
俺と住んでたら、お前も襲われるかもしれないだろ?
此処なら、誰が来ても返り討ちに遭うだろうが」
まあそうですねーと猛者揃いの住み込みの男たちを思い浮かべていると、
「御坂社長、夏菜さん、ちょっと」
と加藤に呼ばれた。
行ってみると、みんなが道場に集められていた。
「この方が今まで夏菜さんを祟っていらした御坂有生社長です。
今日から夏菜さんの婚約者になられました」
と加藤がみんなの前で、これ以上ないくらいザックリな紹介をする。
加藤さん……。
冷やし中華はじめましたみたいな感じで、さらりとすごいことを言っている、
と夏菜が思ったとき、夏菜の前にいた雪丸が笑って言ってきた。
「まるでロミオとジュリエットですね」
ええ。
愛がないことを除けば……。
すると、そこで、ずい、と銀次が前に進み出て言う。
「じゃあ、その坊主。
失礼、その坊ちゃんがこの道場を継ぐんですかい?」
「いえ、私は道場は継ぎません。
特に修行もしていませんし、そのような資格はないと思います」
と有生は真っ当なことを言う。
「じゃあ、道場はどうなるんですかい?」
とぐいぐい突っ込んでくる銀次に有生は、
「道場は……
おにいさんが継がれるのでは?」
と言った。
うーむ。
兄か。
あの兄か……と思っていると、加藤が、
「それが、耕史郎様は行方知れずで」
と有生に説明する。
「連れ戻しましょう」
いや、何処から……?
我々にも発見できないのに? と夏菜は思う。
それにしても、お父様の情報網をかいくぐるとは。
兄、意外になかなかのやり手。
やはり、お兄様の方が道場もお父様の会社も継いだ方がいい気がするんだが。
でも、こんなに見事に姿を消すなんて、よほど継ぎたくないんだな、と思ったとき、
「あ……」
と気づいた。
「お兄様を連れ戻したら、お兄様が七代目になられますよ?」
「だが、男とは結婚も子作りもできんだろうが。
憎み合う一族をひとつにすることができなくなるだろ。
お兄さんには道場だけを継いでもらえ。
お前、この祟りをなくす気はあるのか」
と何故か叱られる。
いや、貴方、祟ってないって散々言ってましたけど、と思っていると、代わりに銀次が反論してくれた。
「しかしっ、私は納得いきませんっ。
こんな今までお嬢に祟っていたような男っ。
ちょっと顔がよくて、ちょっといい会社を経営してて。
意外に誠実そうなこんな若造なんてっ」
ほめ殺しか……?
「こんな誰からもモテそうな奴、すぐにお嬢に飽きて、浮気するに違いありませんっ」
いや、銀次さん。
貴方の中の私の評価、社長の評価より低いですね……。
「ともかく、この道場の跡取りと結婚するのなら、それなり強くないとですよっ。
失礼っ」
と銀次はいきなり、有生に向かっていった。
「こらっ、銀次っ」
と加藤は言ったが、特に止めなかった。
次の瞬間、銀次は床に叩きつけられていた。
おおっ、とどよめきが上がる。
「おおー」
「やはり、次期総帥となられるお方っ」
「力を隠しておられたのかっ」
「謙遜しておられたんだな。
日本人の美徳を体現されたような方だっ」
「さすがは夏菜様の選ばれた方!」
選んでません……。
あえて言うなら、怨念と因縁とおじいさまが選ばれたのです。
そこで、チラと有生を見て夏菜は思った。
……どうなんですか?
貴方自身は私を選んではいないのですかね? と。
祟りだのなんだのめんどくさいことを言い出す小娘と一族を黙らせたいだけで。
「……くっ。
やはり、黒木さんの師匠。
強かったかっ」
と無念そうに畳の上に膝をついたまま銀次は言う。
負けたんだったんですね、黒木さんにも。
そして、その人は黒木さんの師匠じゃなくて、上司なんですが。
「……親分」
と銀次は有生に呼びかけた。
「ちょっとまだ認めたくないんですが、親分」
無礼を働き、申し訳ござませんでした、と銀次は両手をついて頭を下げる。
すごく言いたくなさそうなその口調に、
いやいや、銀次さん。
社長も特に親分とは呼ばれたくないと思いますよ、と夏菜は思っていた。
加藤はそんな二人をただ笑って見ている。
その顔を見ながら、夏菜は、
さっき加藤さんが銀次さんを止めなかったのは、社長の腕がわかっていたからなのかもしれないな、と思っていた。
「親分、なにかご用事がありましたら、お命じください」
「いや、なにもないから」
嫌々ながらも、何故かなにか命じられたいらしい銀次と、なにも命じたくないらしい有生の会話を夏菜は聞いていた。
夕方、みんなで外の切り株型の椅子に座り、雪丸が薪を割るのを眺めていた。
時折、ちょっとぐらつくが、雪丸はそれなりサマになる感じでやっていた。
「……雪丸」
と有生が立ち上がる。
「ちょっと俺にもやらせろ」
「ええっ?
若がですか?」
と雪丸は笑う。
親分とか、若とか……と苦笑いする夏菜の横で、銀次がいじけていた。
「私より先に雪丸にお命じになるとかっ」
なんだろう。
あっという間に、社長を中心にこの家の中が回っているような。
カコーン! と気持ちの良い音を立てて、薪が割れて飛んだ。
「さすがですっ、若っ」
と雪丸が手を叩く。
車を取りに戻ってきていた黒木も静かに手を叩いていた。
……おかしい。
一緒に暮らすことになったのに、全然、ラブラブ同棲生活にならないが。
いや、別にあの一撃娘とラブラブになりたいわけではないのだが、と思いながら、有生は小学校の廊下の流しのような場所で歯を磨いていた。
小学校と違うのは、屋敷が木造なので、いい木の香りが漂っているということくらいか。
まあ、みんなで並んで歯磨きしたりする、この合宿所のような状態では、なにもラブラブになりそうもないが……と思ったとき、
「では、おやすみなさい、若」
「おやすみなさい」
と一緒に並んで磨いていた気のいい道場の男たちに挨拶された。
うっかり、こういうのも悪くない、と思ってしまう。
……いやいや。
肝心の夏菜は何処だ、と彼女を探そうとしたとき、
「あ、ちょうどよかった。
御坂社長」
と加藤がやってきた。
お風呂上がりに廊下を歩いていた夏菜は雪丸に出会った。
あ、お疲れ様でーす、と笑うと、
「お疲れ様です、夏菜さん。
いやあ、あっという間に結婚決まって、よかったですね」
と言われた。
「いや、別によくはないんですけど……」
と言うと、
「そうなんですか?
あまり抵抗なさらないから、もう諦められたのかと」
と雪丸が笑ったとき、
「お嬢」
と障子の陰から声がした。
ひっ、と思って見ると、銀次だった。
少し開いた障子の隙間から銀次が低い声で言ってくる。
「お嬢……。
もし、破談にしたければ、親分に呆れられるようなことをしたらいいですよ」
「意識しなくても、今にもしそうですけどね~」
と雪丸が軽く失敬なことを言ってきた。