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「白、着たいんです」
土曜の午後、ひなのは衣装室の鏡の前に立って言った。
「逆プロポーズでも、白は着たい。だめですか」
「お客様のお式ですから、お好きな色で」
「お式じゃないけど。でも、お式みたいなものだから」
ひなのは鏡に映った自分を、スマホで撮った。かれんがその後ろから、ひなのを撮る。
衣装室の担当は、今日は私だった。十月二十日に、この部屋で誰が担当したかは、まだ確かめていない。確かめる前に、ひなのが自分で言う気がしていた。
「ねえ、佐倉さん」
ひなのはドレスのラックを一つずつ見ながら、こちらを見ずに言った。
「先に言っておいたほうがいいこと、もう一個あって」
「はい」
「ここ、彼の奥さんの職場なんです」
鏡の中で、ひなのが歯を見せて笑った。
「高梨さんって人。飾り付けの。だからここにしたの」
私はドレスのラックの端を、手で押さえた。ラックは動かなかった。
「奥さんの職場で、奥さんの記念日に、奥さんから取り戻すの。全部、上書き。ここにした理由、それだけ。写真がきれいなのは、ついでです」
「……そうでしたか」
「十月に下見に来たとき、彼も一緒だったんです。『今日はあいつ休みだから』って。彼、スタッフの通路のほうをずっと見てた。かわいいでしょ」
かれんが半拍遅れて笑った。
私は、鏡を見た。鏡の中の私は、客に向ける顔をしていた。手も、いつもの手だった。
「それで、当日なんですけど」
ひなのがこちらを向いた。
「その人、絶対出さないでください。高梨さん。サプライズが台無しになるから。佐倉さん、守秘義務ありますよね? ちゃんと、その人には言わないで」
私は一度、息を吸った。十年で覚えた長さの息だった。
「承知しました」
ひなのが満足した顔になる前に、私は続けた。
「当日、高梨は現場に出しません。お約束します」
「よかった」
「スタッフの当日の配置は、私が決めます。担当は最初から最後まで、私が務めますので」
「佐倉さんがいてくれれば安心」
ひなのは白いドレスを一着、ラックから外して体に当てた。
「見てみたいな、高梨さん。どの人? 地味な人ばっかりだから、分かんない」
「スタッフの個人情報は、お答えできません」
「えー。写真くらい」
「お答えできません」
ひなのは「つまんない」と言って、鏡に戻った。鏡の中のひなのは、自分しか見ていなかった。
「そういえば、十月に来たとき、ここの担当はショートの女の子だったんですよ。あの子はいないの?」
「本日は、私が担当します」
「ふうん。あの子、彼のこと、じろじろ見てた」
私は、ラックの端から手を離した。確かめることが、一つ増えた。
◇
ドレスを三着試したあと、ひなのは打ち合わせ室で字幕の続きを出した。
「最後のカットは、これ」
スマホの画面に、ひなのの字で一行あった。
『奥さんから取り戻した日 12.12』
「プロポーズの瞬間の写真に、これを重ねて。それで映像は終わり。泣けるでしょ」
「字幕は、ご指定どおりに入れます」
「一文字も変えないで」
「一文字も変えません」
私は打ち込んだ。『奥さんから取り戻した日 12.12』。打ってから、画面をひなのに向けて確かめてもらった。ひなのは「完璧」と言った。
一文字も足さない。一文字も引かない。一ノ瀬の条件は、そういう条件だった。
◇
夕方、ロビーに全員が集まり、坂上が最後の挨拶をした。
「庭のミモザは、三本とも、この式場ができた年に植えた。二十二年になる」
老眼鏡を額に上げたまま、坂上は庭のほうを見た。
「ミモザは二月に咲く。十二月の灯りは、咲かない季節に咲いているように見せるために、私が始めた。本物が咲くまでのつなぎだ。つなぎを二十二年やったことになる」
誰も笑わなかった。美咲が、私の隣で鼻をすすった。
「佐倉」
「はい」
「頼む」
それだけだった。坂上は老眼鏡を下ろし、スタッフ一人ずつと握手をして、門から出ていった。私は石畳の上で、二十二年のつなぎが、黄色く点くのを見た。
「チーフ、泣かないんですね」
美咲が言った。
「泣かないのが仕事」
「それ、本気で言ってます?」
「本気」
美咲は「すみません」と言って、ロビーに戻った。
◇
夜、灯りの点いた庭に、一ノ瀬が立っていた。
「閉めない」
私が隣に立つと、一ノ瀬は庭を見たまま言った。
「本部に出した。この式場は残す。坂上の退任も、パートの見直しも、残すための数字だ」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。条件がある」
一ノ瀬は、三本目の木を見た。
「十二月十二日の式が、新ブランドの最初の実績になる。本部の人間が来る。報道も入るかもしれない。失敗すれば、新ブランドは別の店で始める。この式場の全員の契約を切る」
「失敗しません」
「根拠は」
私は、ひなのの字幕を思い出した。一文字も変えない。
「依頼者の望みを、全部そのまま叶えますから」
一ノ瀬は、しばらく黙った。
「依頼者は、何を望んでいる」
「奥さんの職場で、奥さんの記念日に、奥さんから取り戻すことです。本人がそう言いました」
「君は、それを叶えるのか」
「叶えます。全部、そのまま」
一ノ瀬は、私の顔を初めて見た。灯りの色で、表情は分からなかった。
鞄の中で、スマホが震えた。
私は取り出して、画面を見た。悠人からだった。
『来週から会社の近くのマンスリーに泊まる。ピッチ終わるまで帰らない。荷物は日曜に取りに行く』
一ノ瀬が、横からその画面を見ていた。見て、何も言わなかった。
コメント
1件
うわあ…このエピソード、重たいのにすごく鮮やかだった…!😭✨ 「奥さんの職場で、奥さんの記念日に、奥さんから取り戻す」ってひなのが笑顔で言い切ったシーン、背筋が冷えたよ…。でも佐倉さんが「高梨は現場に出しません。お約束します」って即座に返したところ、プロとしての覚悟が滲んでて痺れた…!🔥 しかも最後の悠人からのライン、「来週から会社の近くのマンスリーに泊まる」って…佐倉さん、仕事もプライベートも両方重荷を背負ってる感じが切ない😢💔 一文字も変えないって縛り、全部そのまま叶えるって宣言、めっちゃカッコよかったです!次が気になりすぎる…!