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第71話 笑っていろ
眩しさが、縫季の視界を満たした。
地面は敷石だった。
踏んだ瞬間の『痛み』で、自分がまだ存在していることを知った。
輪郭は不安定。足は震える。腕は透けて見えるほど薄い。
それでも――まだ動ける。
胸の光だけは、はっきりと温かい。
縫季はゆっくりと顔を上げた。
風が吹いた。
香ばしい匂いが漂う。炭火の匂い。焼き菓子。果物。
――市場。
また市場だ。
だが、今までとは違う。
人々の声が明るい。笑い声が空気を満たし、争いの気配も、恐怖の影もない。
縫季は息を呑んだ。
胸の光が、強く揺れた。
(……近い)
そう感じた。
縫季は震える足で歩き出した。体は石のように重く、歩くたび輪郭が揺らぐ。
視界の端が白く滲む。
(……頼む)
(今度こそ)
祈るように歩き続ける。
そのとき――
聞こえた。
帝辛の声が。
「はは、そこまで急がずとも食べ物は逃げぬぞ」
柔らかい笑い声。民に語りかける穏やかな声音。
縫季の胸が跳ねた。
「帝辛……?」
声にならない囁きが漏れる。
縫季は音のするほうへ、ふらふらと歩いた。
人々の間を縫うように進む。
そして――見た。
帝辛が笑っている。
涙はない。無理な作り笑いではない。狂楽香の影も、目の奥の死色もない。
小さな子どもが帝辛の袖を引くと、帝辛はしゃがみ込み、目線を合わせて話しかけた。
肩の力が抜けている。言葉の端に優しさが滲んでいる。
何より――
目が笑っていた。
縫季は、その場に崩れ落ちた。
膝が敷石にぶつかる音が響いた。
痛い。
でも、それすら嬉しい。
縫季は胸の光にそっと触れた。
魂の震えが返ってくる。
縫季の全身から力が抜けていく。
(……間に合った)
輪郭が薄くなっていく。体の感覚が遠のく。
だが、胸の光は揺るぎなく温かい。
縫季は微笑んだ。
帝辛の笑い声が、市場の風に混じって響く。
その声を耳にしながら、縫季は静かに目を閉じた。
その瞬間――縫季の体が、大きく傾いた。
視界が揺れ、世界が遠のき、胸の光だけが、最後の灯のように震える。
「おい、大丈夫か?」
近くにいた民の声が響いた。
「誰か、あの方が……!」
声が重なる。
ざわめきが広がる。
#ダークファンタジー
Hp2
115
#BL
#ヒューマンドラマ
Hp2
409
帝辛が振り向いた。
民の視線の先。
地に崩れかけている、見知らぬ男。
体は透けかけ、顔色は死人のように青白く、それでも――胸元だけが、微かに光っている。
帝辛の目が、その光を捉えた。
一瞬、息を呑む。
懐かしさ。
理由も分からない、強い引力。
帝辛の足が動いた。
民を押しのけ、駆け寄る。
縫季が、完全に倒れる直前――
帝辛の腕が、縫季の体を受け止めた。
温かい。
縫季が何度も探し、何度も失った、あの温度。
「……そなた……そんな体で……」
帝辛の声が、縫季の耳に届く。
戸惑いと驚き。だがそれより先に――心配と、焦り。
縫季は声を出せない。
もう香を動かす力がない。言葉も、息も、輪郭も、崩れかけている。
ただ――胸の光だけが震えている。
帝辛はその光に気づき、息を呑んだ。
「……これは……」
縫季の胸に灯る、微かな魂の輝き。
帝辛の魂自身が、懐かしむように震えて応える。
帝辛の腕に、縫季の体が沈む。
縫季は、最後の力で帝辛を見上げた。
自然な笑顔の帝辛。
泣いていない。狂楽香に頼っていない。誰にも縛られていない。
少し年を重ねた顔。深い落ち着きを帯びた目。
この世界線の帝辛は、成熟している。
孤独に耐え、民を守り、それでも笑える力を持っている。
縫季の口元が、かすかに緩む。
(……見つけた……)
(お前の……笑顔……)
その瞬間――縫季の輪郭が大きく揺らいだ。
帝辛の手が、縫季の背へ回る。
「しっかりしろ……!」
必死の声。
縫季の呼吸が、細く揺れる。
胸の光が、帝辛の胸元に触れた。
二つの魂が、かすかに共鳴する。
帝辛が息を呑む。
「……お前は……誰だ……」
声が震える。
知らないはずなのに、懐かしい。
会ったことがないはずなのに、どこかで知っている。
縫季は、薄れゆく意識の中で、ただ一つの願いだけを抱き続けていた。
(……ここで……終わらせたい……)
市場のざわめきが遠ざかる。
世界が白く滲む。
周囲の民が、心配そうに見守っている。
帝辛は、縫季をしっかりと抱きかかえた。
「そなた……名を……名を教えてくれ……」
帝辛の声が、必死に縫季を繋ぎ止めようとする。
でも、縫季の輪郭は薄れていく。
縫季の唇が、わずかに動いた。
音にはならない。
でも、形だけが残る。
――笑って、いろ。
帝辛は、その唇の形を読み取った。
胸が、強く鳴る。
(……この言葉を……私は……)
どこかで聞いた。
いつか、誰かに言われた。
帝辛の目が、熱くなった。
「待て……待ってくれ……!」
縫季の輪郭が、さらに薄れていく。
胸の光が、帝辛の香に呼び起こされるように、ゆっくりと脈を強めていく。
帝辛は、それを感じた。
温かい。懐かしい。
涙が、頬を伝った。
理由も分からないのに、泣いていた。
そして――
コメント
1件
うわああああ第71話読んだよ…!!😭💦💦💦 帝辛が自然に笑ってる…!狂楽香じゃなくて、本当の笑顔で子どもと話してる姿がもう尊すぎる…「目が笑ってた」って表現にやられたよ…縫季がずっと探してたもの、これだよね…! 胸の光がふたりの間で共鳴するシーン、魂のレベルで繋がってる感じがしてエモすぎた…「笑っていろ」って最後に伝えるところ、縫季の人生の全部が詰まってるみたいで泣ける…涙が止まらんかった😭💔❤️