いくら薬棚がたくさんあるって言っても、お客さんが来たらちゃんと見えるようになってるはずなのに。
シャバラとシュヤーマがお店の玄関に様子を見にいってくれた。
「……もしかして、ちっちゃい子だったりするのかなぁ」
レジ台から身を乗り出して、ちょっとお店の中を確認してみる。
見えるのは二匹のふわふわなお尻尾だけだ。ほかの足音も聞こえない。
「変なお店だと思って、帰っちゃったのかなぁ」
せっかくお客さんがきたと思ったのにって、頬杖をついたとき。
レジ台に、トンとなにかが置かれるような音がした。
「あ、わ、いらっしゃいませ!?」
やっぱりお客さん、どっかにいたの!?
あわてて顔を上げた私が見たのは、真っ黒い毛並みをした、きれいなネコだった。
ツヤツヤのふわふわだぁ……。
思わず見とれていると、大きな緑色の目が笑ったように見えた。
「お忙しいところ大変失礼します。そちらのお二方にご案内いただいたのですが、こちらはどのようなお店なんでしょうか」
小さな頭がコテンと傾ぐ。
いやいや、まって?
このにゃんこ、しゃべってるよ?
しゃべってるよ!?
「あの、もし……?」
驚きすぎて固まってる私を、ネコさんが心配そうに覗いてきた。
「っ、すみません! ちょ、ちょっとだけ待っててもらっていいですか!? すぐ戻りますから!」
ポカンとしているネコさんに何度もあやまりながら、いったん家の中に入る。
「し、篠上さん! 篠上さぁん!!」
「なんだ、うるせぇ」
「にゃんこ、にゃんこが来て……! しゃべってふわふわでモコモコで……!!」
「ネコくらいしゃべるだろ。騒ぐようなことか」
「しゃ、しゃべらないでしょ!?」
これで騒がなかったら、どんなことで騒ぐのよ!
興奮してる私に、篠上さんは大きなため息を吐いた。
開いていた本を閉じて、まっすぐ私を見る。
「……この店の客は人間だけじゃない。寿命じゃないのに死にかけている、いろんな魂だ」
「魂って」
おばけ、ってこと?
……おばけは死んだ人だから、ちょっとちがうのかな。
「お前がここにいるのは、死の気配を覚えるためだ。普段ならオレがさっさと振り分けて体に戻すんだが、この一年はそれをお前に任せる」
死の気配のことは、運命の神様のところで聞いた。
それが分かれば、ちゃんと自分でよけられるようになるからって。
だけどこのお店がそういう場所だなんて、初めて聞いた。
「じゃああのネコちゃんも、死にそうになってるってこと?」
「この店に入れたんなら、そういうことだな」
「お店の薬で、魂を体に戻せる?」
「薬と、あとはまじないだな。どんな薬、どんなまじないを使うかは、帳場の引き出しに手引き書を入れてあるから確認しろ」
「読めば分かるよね?」
「よっぽどバカじゃない限りはな」
ここに来た翌日、とにかくお客さんが来たらこれを読めと言われた本がある。きっと、篠上さんが言ってるのはそれのことだ。
こう言うってことは、きっと本当に、読めばちゃんと分かるんだろう。
だけど。
「ちゃんとできたら、褒めてくれる?」
あのネコさんは私にとって、初めてのお客さんだ。うまくできる自信なんてない。
それでも誰か一人でも褒めてくれると思えば、頑張れる気がした。
『……だめ、かなぁ』
篠上さんは黙ったままだ。もしかすると、反応に困ってるのかもしれない。
一年間、私の親代わりになってくれてると言っても、それは運命の神様がむりやり頼んだみたいなもんだ。篠上さん本人は、私と親子っぽい関係を作ろうとは思っていないかもしれない。
だけど少しでも、と思ってしまう。
私はここに来る前から何度も篠上さんに助けられて──もうとっくの昔から、この人を信じきってしまってるんだから。
金色の目をじっと見ていると、やがて根負けしたように、篠上さんが頭を掻いた。
「……褒めてやるから、さっさと行ってこい。客を待たせてんじゃねぇよ」
「っ、うん!」
やった、言ってみるもんだ!
約束だからねと叫んで、お店に戻る。篠上さんはなんだかんだ言っても、きっと優しい人だって、なんとなく分かる。
でなきゃきっと、こんな面倒なことを引き受けたりしてくれない。
思わずニヤけた顔を戻せないまま、お客さんがいるはずのレジ台に駆け寄った。
「おまたせしました、おうかがいします!」
ネコさんは薬棚の上を優雅に歩いていた。
ビンがたくさん並んでいるのに、どうやってるのか一つも落っことしたりしない。まるでリボンがすり抜けるみたいに、スルスル歩いていく。
大きな目をキョロキョロ動かしながら探検している姿は、ため息が出るくらい可愛かった。
だけど、見とれてばっかりいられない。
「お客さまー。すみません、おまたせしましたー」
二度目の声かけ。そこでやっと、ネコさんのお耳が動いた。
「あら、ごめんなさい! あんまりめずらしいから、いろいろ見させていただいてたの」
「いいえー、気にしないでくださいー」
このネコさん、言葉づかいまでなんだかお上品だ。きっといいお家で飼われてるネコさんなんだろう。シャバラとシュヤーマも、なんだかネコさんの前では背筋を伸ばしてる気がする。
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