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箸が皿に当たる音だけがする。
カチ、コト、カチ。
それ以外、なにもない。
テレビも消えている。
時計の秒針だけがやけにうるさい。
テーブルの向かい側。
らんが座っている。
昨日まではいなかった存在。
なのに今は、「いない状態」が思い出せない。
「……」
「……」
味噌汁の湯気がゆらゆら揺れる。
らんは両手でお椀を持って、静かに飲む。
猫舌なのか、ふーって小さく息を吹く。
(音、立てるなよ)
思うくせに、
(……熱いんだろ)
とも思ってしまう。
いるまは自分の感情の向きがわからない。
同時に顔を上げた。
ばちん。
目が合う。
すぐそらす。
「……」
「……」
また沈黙。
らんが小さく笑おうとして失敗する。
「その……味、だいじょうぶ?」
「は?」
「ごはん」
「……普通」
「そっか」
それだけで会話が終わる。
続け方が、わからない。
醤油を取ろうとした瞬間。
手が触れた。
ぴた。
「っ」
らんが先に手を引く。
「ご、ごめん」
「……別に」
たった一瞬。
でも妙に熱が残る。
いるまは意味もなくコップを持ち上げて水を飲む。
(なんだよこれ)
触れただけだろ。
なのに心拍が一段上がってる。
らんは静かに食べる。
音を立てないように、気を使ってるのがわかる。
背中が少し丸い。
肩がちょっと内側に入ってる。
(そんなに縮こまんなよ)
言わないけど。
言えないけど。
「……ごちそうさま」
らんが立ち上がる。
皿を持ってキッチンへ向かう後ろ姿。
細い。
なんか、頼りない。
「置いとけ」
気づいたら口が動いてた。
らんが振り向く。
「え?」
「洗う」
「でも」
「いい」
短いやりとり。
らんは少し迷って、
「……ありがとう」
小さく言った。
その声が、やけに素直で。
いるまは背中を向けたまま皿を受け取る。
水の音が流れる。
後ろで、らんが立ったまま動かない気配。
「なに」
「……手伝うことあるかなって」
「ない」
「そっか」
足音が遠ざかる。
その音が消えたあと。
なぜか、胸の奥が静かになる。
部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。
(なんなんだよ)
うるさいと思った存在。
線を引いた相手。
関わらないはずのやつ。
なのに。
今日一日、らんの気配が家にあるだけで、
空気が少しだけあったかい。
「……意味わかんね」
目を閉じる。
壁の向こうで、物音がする。
本を閉じる音。
布団がこすれる音。
(いるな)
それを確認してから、いるまは眠りに落ちた。
らんは天井を見ながら思っていた。
(ちょっとだけ、怒ってなかった気がする)
それだけで、胸が軽くなっていた。