岩崎と月子の事を、あーでもない、こーでもないと、一同が心配しているその頃──。
当の二人は、拾った人力車に乗って、病院へ向かっていた。
月子は、母の事を切り出すべきか、自身の病院代すら持ち合わせがない事を、岩崎へ切り出すべきか、悩みに悩んでいた。
「……寒いのか?」
沈みこんでいる月子の様子に、岩崎が声をかける。
「え?い、いえ……」
言われてみれば、多少肌寒さは、感じられた。何か羽織ってくれば良かったと、月子は思うが、手持ちの、羽織ものを着れば、ますます、みすぼらしくなっていただろう。
そんなことを思うと、返す言葉がなく、月子はうつむいた。
「君、どうして、すぐに、うつむくんだ?ちゃんと、自分の意見を言いなさい。少なくとも、私は、君に尋ねているのだから……」
少し強めの口調で岩崎は、月子へ意見する。
その勢いに、月子は、ますます、小さくなった。
「……い、いや、まあ、それは、その。奥ゆかしさ、と、いうものを教育されている結果なのだろうが……なんだ、その、言わねば、私には伝わらない……と、言うこともあると……まあ、そんなところで……」
岩崎は、ゴホンと咳払いし、そっぽを向いて、そろそろ着くだろう。などと、口ごもる。
不機嫌そうな岩崎へ謝ろうと、月子は、恐る恐る顔を上げた。
が、すぐ隣に座る、岩崎の横顔を目にして、月子は、思わず息を飲む。
今までの騒ぎで、岩崎の顔をまともに見ていなかった月子だった。
今更ではあるが、岩崎を間近に見ると、常に大声のぶっきらぼうな口調とは裏腹に、線が細いというべきなのか、彫りが深い整った顔立ちで、とても品の良い綺麗な容姿をしていた。
なにより、威厳がある口調とは裏腹に、若い。
岩崎は、三十六歳と聞いているが、口ひげがなければ、二十代でも通るのではないかという具合で、月子は、正直驚いた。
人様の容姿を、凝視するのは、失礼な事だと思いつつも、つい、見入ってしまう、そんな岩崎の見た目に、月子は一人、おろおろする。
「うん、やはり、寒いのか。仕方ない」
落ちつかない、月子の様子に、岩崎は、何を思ったのか、自身の上着を脱ぐと、月子の肩にかけた。
「え?!あ、あの?!」
「私は、ベストを着ているから、上着は無くても大丈夫だ。あと少しの事だろうしな……」
そして、車夫へ、病人だから、急いでくれと、声をかける。
その一言で、人力車の速度は上がり、月子が母の為に、熱冷ましなどの薬を貰いに通《かよ》った、見覚えのある通りが見えてきた。
──病院の前で止まった人力車から、月子は、岩崎の手を借り、座席から降りた。
これで、と、岩崎が車代を支払っている。
結局、岩崎に頼ってしまっている。
月子は、正直に持ち合わせが無いことを告げるべきだと思い、声をかけようとするが、岩崎は、月子が羽織っている上着を取ると、さっと腕を通した。
そして、内ポケットに財布を仕舞うと、あっという間に、月子を抱き上げる。
「!!」
「いいか、君は、急患だ。しっかり、私に掴まっていなさい。では、行くぞ」
岩崎は、それだけ言うと、入り口ドアを開け、診察を頼むと、声を張り上げる。
「すまん!急患だ!足を挫いたがまったく歩けん。骨は大丈夫だろうか!」
岩崎の大声に、待合室に座っている患者達はざわついた。
「逐一、順番を待っていたら、いつまで待たされることやら。何事も、声をあげた者の勝ちなのだよ」
岩崎は、妙な理屈を月子に言うと、クスリと笑った。
月子の胸は、ざわついた。岩崎の笑みはなんなのだろう。
かっと、月子の頬が、火照る。
「おや、顔も赤い。熱があるか?!すまんが、順番を譲ってもらえないだろうか?」
患者達に声をかけつつ、岩崎は、ズカズカ奥へ進み、診察室を目指している。
「あ、あの……」
「構わん、構わん。患者と言っても、どうせ、暇潰しに集まって来ているような者達だ。多少、順番がずれても、支障はない」
岩崎は、平然と言い切った。
勢いに押されながら、月子は、とくとくと高鳴る鼓動が、何を意味するのか分からないほど、混乱した。
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