ジャラリ、と鉄の重なり合う音を鳴らし存在を示してくる鉄の塊を横目で睨みつける。私が逃げ出さないため、と言わずともわかるような足枷は見た目よりもずっと重く足首に響く。
「オレ出掛けるけど…逃げたらどうなるか、分かってるよな?」
虚ろというのが相応しいほど空っぽな笑みでスーっと首を指の腹でなぞるように触れられる。その動きに首を絞めるぞ、という意味なのだろうかとボロボロに崩れた思考で察する。
その途端、苦しみ狂う自分の死体が恐怖と共に脳に襲いかかってくる。
『は、い』
「ン、いい子。」
触れられた首と喉が一気に冷たくなり、体があり得ないくらい震え、奥歯が砕けそうなほどカチカチと重なり合う。
そんな私の唇に甘いリップ音を響かせ何度も何度もキスをおとしてくるこの人は恐らく正気ではない。いや、絶対に。
ガチャンと異常なほど重い音をたてて固く閉められた扉の音をぼんやりと耳に入れる。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
どう思い起こしてもバイク屋で会ったあの1日以外にイザナくんと会った記憶は浮かび上がらない。初めて会ったのだってもう何年も前の事だしまた会えたのが奇跡なくらいなのに。
『…うーん』
どう頑張ってもイザナくんが私を監禁する理由は分からず、今度はここに来るまでの記憶を辿る。
確か、と記憶のページ捲る。そうだ、確かバイト終わりだった。
その部分を思い出すと同時に、鮮やかな記憶たちが次々に掘り起こされていく。
「○○」
バイトが終わり、帰ろうと一歩踏み出した瞬間。
少し大人びた声にそう呼ばれ、バ先の先輩かなと迷うことなく振り返る。
だけど振り向いた先に居るのは先輩でも知り合いでもなく、見慣れない花札のピアスをユラユラと重力に従わせ揺らし、嬉しそうに笑みを刻む同い年くらいの男の子。
『……だれ?』
見覚えのないその姿につい困惑の声が洩れる。
学校の友達?近所の子?とグルグルと地球儀が回るように自主的に思考を巡らすが、やはり目の前で甘く微笑む青年と一致する子は見つからない。
「…は?オレのこと覚えてねェの?」
『…ごめんなさい』
ギュッと眉間に皺を作り、不機嫌そうに目を細める男の子の姿に私は反射的に謝ってしまう。なんなんだこの人。バイト中、客に理不尽に怒られときと同じような気持になり、心の中でムッと不満の息を洩らす。眉の間にしわを深め、真剣に記憶を辿る私に痺れを切らしたのか目の前の少年は1つため息を零してから口を開いた。
「シンイチローのバイク屋で会ったろ?黒川イザナだよ」
『黒川イザナ……え、イザナくん!?』
懐かしい名前が舌で弾み、驚きで目が瞬く。頭に浮かんだ面影と目の前の少年の姿が重なる。
頭に驚愕の色が浮かぶと同時に、数年前、初めてイザナくんと会ったときの出来事が走馬灯のように断片的に思い出す。回想は数秒頭の中を巡り、スッと潮が引くように消えていく。
最初に見たあの幼さを残した顔つきはもすっかり消え去り、大人っぽさを作っている
『久しぶり、覚えててくれたんだね。』
また会えるなんて、と嬉しさに動かされて反射的に顔は微笑みの皺を作る。
初めて会った時は…確か私が10歳、イザナくんが12歳の時だっただろうか。
キラキラと光る星と街に立っているお洒落な街灯たちが彼の姿を目立たせるように照らす。その姿が神秘的で、改めて6年間の成長を感じる。
「ウン、久しぶり。バイト?」
『そう、ここの裏にある居酒屋で働いてるの』
「この辺最近治安わりぃぞ」
『え、本当?』
久しぶりに会ったとは思えないほどテンポの良い会話に、そういえば最近、このあたりで暴走族関りの事件が増えてきているって聞いたな。と上目遣いになって記憶を探る。
「毎日こんな時間までバイトしてンのか?アブねぇぞ」
その言葉と共に吐き出したイザナくんの息が周りの冷気に冷やされ、透明だった息は霧のような白い色に変わる。それが夜に溶けるのを横目に、大丈夫だよ、と言葉を零そうとしたその瞬間。
「…こんな時間まで外ふらついてるってことはこうなっても文句ねェよなあ?」
どこか含みのあるその言葉に、え、と言葉を吐き出すよりも早く頭に強い打撃を受け、視界が激しく点滅する。波が引くように手足から力が一気に抜け、勢いよく体が地面へ衝突しビリビリと電流が走ったような痺れが体全体に響き渡る。意識を失いかけるようなあまりの衝撃に言葉が引っ込み、代わりに出てきたのは喉に引っかかったような濁点まみれの息で一瞬、自分の口から出たものだと理解できなかった。
「…あー、一回で気絶出来なかった?わりぃ、次はすぐ終わるから。」
そう哀れみを含んだ視線で倒れる私を見下ろし、手を握ったり開いたりと動作を繰り返すとイザナくんは、今度は私の鳩尾あたりに拳を沈めた。
その瞬間、人通りの少ない夜の道に私の声にもならない叫び声が響く。覗いたこともない胃酸すらも全て吐き出してしまいそうな衝撃と鈍い痛みに目の前が真っ暗になる。
カヒュッと肺に送り込もうと吸い込んだ息は喉に引っかかり、何度も激しくせき込む。
「お、今度はいけたか?」
「…おやすみ」
薄れていく記憶の中、不気味なのか美しいのか分からない、歪な笑みを浮かべたイザナくんの姿が映る。
助けて、そう口を開いたところで私の意識は糸が切れた様にプツンと途絶えた。
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