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昼休み、隣のクラスの担任が体調不良で長期休暇の為、代理で来た先生がいた。
みことはクラスメイトに誘われ一緒に野次馬をしていた。
廊下のざわめきの中、みことの身体は氷のように強張る。
新任教師の顔を見た瞬間、理性より先に記憶が甦った。
――笑いながら殴られた痛み。
――「役立たず」と罵倒する声。
――暗い部屋に閉じ込められた夜。
――そして、泣き叫ぶいるまを押さえつける姿。
「……っ……や、やめて……っ」
掠れた声が漏れ、肺が悲鳴を上げた。呼吸が浅く、速くなる。
空気を吸いたいのに喉が閉じ、酸素が入ってこない。視界が狭まり、耳の奥で自分の心音だけが爆音のように響いた。
床に膝をついたみことは、胸を抑え、必死に口を開け閉めする。けれど呼吸は途切れ途切れで、冷や汗が髪を濡らし、頬を伝って滴り落ちる。
「みことくん!? どうした!?」
みことの顔色がどんどん悪くなっていく。
周囲を見渡すと、すちが近くで歩いていた。
「奏先輩!! みことくんが、息ができてない!!」
クラスメイトの叫び声が飛ぶ。
すちはその声に反応し、振り返った瞬間、蹲るみことの姿を見つけた。
「――みことっ!」
全速力で駆け寄り、しゃがみ込みざまに肩を抱き寄せる。
みことの身体は熱を失ったように冷たく、肩は小刻みに震え、目は虚ろに宙を泳いでいた。
「っ……みこと、大丈夫、大丈夫だから!」
すちはすぐに片腕でみことを支え、もう片方の手で背中を優しく、一定のリズムで撫で続ける。
そして耳元に顔を寄せ、落ち着いた低い声で繰り返した。
「怖くない、大丈夫。ここは安全だ……ゆっくり、吐いて。俺に合わせろ。そう……吐いて……吸って……」
すちの胸元に顔を押し付けたみことは、震える手で制服を掴んだ。必死に縋りつくように。
「……っす、ち……にい……」
掠れた声に、すちはぎゅっと抱き締め、みことの額にそっと唇を落とした。
「みこと、ちゃんとここにいる。ひとりにしないよ」
少しずつ、みことの呼吸が整い始める。まだ乱れてはいるが、さっきのように窒息するほどではない。
すちはみことを庇うように抱き上げ、周囲の視線を遮るように背を向ける。
「すみません……こいつ、体調が悪いんで、俺が保健室まで連れていきます」
冷静に言いながらも、その声音には弟を守る兄の決意が滲んでいた。
保健室の静かな空気の中、布団に横たえられたみことは、まだ落ち着きを取り戻せていなかった。
胸は浅く小刻みに上下し、呼吸の音が掠れて乱れている。額にはじっとりと汗が滲み、握ったままのすちの制服の裾を離そうとしない。
「……っ……はぁ……はぁ……」
細い声と苦しげな呼吸。
すちは椅子に腰掛けながら、布団に身を寄せ、みことの手を自分の胸に導いた。
「みこと、俺だ。ほら、感じるだろ? 俺の心臓の音」
すちの胸に触れた瞬間、規則正しい鼓動がみことの掌に伝わる。
みことの肩はまだ強張っていたが、その鼓動を感じるうちに、ほんの少しずつ震えが和らいでいった。
「……こわい……いやだ……」
涙に滲んだ声が、途切れ途切れに零れる。
すちはその額にそっと口付け、落ち着いた声で繰り返す。
「怖くない。俺が守るよ」
乱れた呼吸を整えるように、すちは自分の呼吸に合わせて「吐いて……吸って……」とリズムを刻む。
みことは必死に従おうとし、すちの制服をぎゅっと握ったまま、震える唇で呼吸を真似た。
「……すち、にい……」
小さな声で呼ばれた瞬間、すちの胸が締め付けられる。
その呼び声には、不安と縋るような信頼が入り混じっていた。
「俺がそばにいる。だから、大丈夫だよ」
すちは背中を一定のリズムで撫で続け、苦しそうな表情のままの弟を、壊れ物を扱うように優しく抱き込んだ。
「…おまじない、して、お願い……」
みことの目から涙が零れ落ち、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
その必死さに、すちは胸が締め付けられた。
あやすように、まずは額に軽く唇を触れさせる。続いて涙で濡れた目元に、そして頬に。どれも優しく短い口づけ。
触れた場所に「安心していい」という印を残すように。
すちはみことを強く抱き寄せる。その胸の中で、みことはまだ震えてはいたが、少しずつ呼吸が整っていく。握る指先の力も、ほんの少しだけ緩んでいった。