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第6話:水に沈む都市図
「このまち、地図にないんです。存在してるのに」
依頼人の少女は、空になった瓶を両手で抱えていた。
彼女の名はユン=ハルカ。
腰まである白灰色の髪を三つ編みにし、肩にはびしょ濡れのウールマント。
足元は膝下まで濡れており、黒革のブーツの縫い目から水がしみていた。
瞳は淡い緑で、話しながらもどこか“夢を見ている”ようなぼんやりした印象があった。
ここは《ウミガリ湖》。
過去に沈んだ街が“月に一度だけ姿を見せる”と言われる霧の湖だった。
魔央建設・記録設計課のモトイ・デゼルは、ユンの話に首をかしげた。
背は高く、赤みの強い褐色の肌に黒の長髪。前髪を結って額を見せ、
長身に黒ずんだ水耐魔布のコートを羽織っている。
手には水中構造の簡易スキャン機を持ち、背中に何本もの設計巻物を差していた。
「つまり、君たちは今、地図にない“沈む街”で暮らしてる。
でも、それが月に一度だけ姿を見せる──」
「そうです。
でも、私たちの街はもう壊れかけていて、
次に沈んだら、たぶん……もう浮いてこない」
ユンはそう言うと、濡れた瓶の底から、くしゃくしゃの地図の切れ端を取り出した。
だがそこに描かれていたのは──**“何もない湖”**だった。
「建設依頼として、どう受け止めるかですね」
隣にいたのは、美術担当のイネくん。
水色の球体。いつものように無言で浮かんでいるが、
今回は少し、浮き方が不安定だった。水面の湿気が彼の輪郭に微振動を起こしている。
モトイが言う。
「君の街の座標を、正しく記録することが“建設”の第一歩だ。
だが、地図に書けない街をどう建てる?」
ユンはかすかに首を振った。
「建ててほしいのは、地上の街じゃありません。
“沈んだままでも生きられる”街なんです。
水の中でも、街が私たちを拒まないように──そんな構造がほしい」
モトイは目を細めた。
「なるほど……“浮かべる”んじゃなく、“水に溶け込む街”か」
そのとき、イネくんがふわりと動いた。
空中に描かれたのは、波のように揺れる半透明の都市構造図。
すべての建材が“水流と共に揺れる構造”で、建物に隙間が設けられていた。
モトイが読み取って口にする。
「……これは、“呼吸する街”だ。
水が出入りし、住民が気圧と呼吸を共有する。
沈むことで壊れるのではなく、沈んだ時こそ“都市の中心”が現れる設計──」
「やってもらえますか?」
ユンの瞳は、水面のように静かだった。
モトイは少し笑った。
「沈んでも壊れない。
それは、設計者にとって、いちばん難しくていちばん燃える依頼だ」
契約は、瓶のガラスを魔法で“印章”に変えて結ばれた。
工期は潮の満ち引きに合わせ、17日間。
街の基礎には“水圧反転素材”を使い、壁には“水に沈むほど安定する魔法樹脂”を流し込んだ。
街灯は水面下に沈むことで発光し、水中での視界を補った。
そして──街は再び沈んだ。
しかし、誰も焦らなかった。
なぜならそこには、**水に包まれたまま“生き続ける街”**が確かにあったから。