コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
久しぶりの休日、講演会から戻った浩二はクタクタでソファーでのんびりくつろいでいた、鈴子はコンドミニアムに戻ってきてくれた浩二と一緒にいられて嬉しくてたまらなかった、鈴子のために抱えきれないほど持ち帰ったお土産を一つ一つ開けて丁寧にお礼を言った、だってその先々で自分のことを想って彼はこの土産を選んでくれたのだから
一つの箱の中からムーンストーンのブレスレットが出てきた
「まあ・・・綺麗、どうもありがとう浩二」
振り返ると浩二はスヤスヤ寝ていた、それを見て鈴子はガッカリした、今夜はおしゃれして夜景の見えるレストランで食事でもしようと思っていたが、どうやらそれもキャンセルしないといけないようだ
―二人の幸せを、どうしてこの人は粗末にするのかしら―
そしてその日の夜、案の定、鈴子の寂しさが爆発して、彼に講演会を減らす様にいつもの部下にするような命令口調で彼女は言ってしまった、当然部下では無い浩二はそれに反発し、二人は口喧嘩をした
そして怒った浩二はとても恐ろしかった、今まで定正や自分の部下の男性にこれほど荒い口調で怒られた事がなかった鈴子はとても傷ついた、そして何より彼の心が自分から離れるのが恐ろしかった
「僕が君を愛しているのは知っているだろう?でも、それは悪魔でも私生活の事なんだ、君にも社会的地位がある様に、僕にも政治家としての仕事があるんだ」
「でも・・・あなたはあまりにも忙しすぎるわ・・・私はただ・・・二人の時間を・・・」
鈴子が泣いて訴えるが、浩二はハッキリ彼女の言い分を否定した
「一つ、ルールをはっきりさせよう!君の仕事に僕は口出しをした事がない!だから君も僕の仕事には口出ししないで欲しい、それでお互い平等じゃないか?」
鈴子は蚊の鳴くような声で言った
ヒック・・・「ごめんなさい浩二・・ただ、私寂しかっただけなの・・・許して・・・」
そう言って、鈴子は浩二の胸に顔を埋めた、ハァー・・・と浩二はため息をついた
「分かった・・・もうこの事は忘れよう、いいね?」
「ごめんなさい!ごめんなさい・・・怒らないで・・・」
「もう怒ってないよ」
仲直りの夜は浩二は情熱的に鈴子を抱いた、彼に抱かれている間だけは全身全霊で自分に意識を向けてくれている、それが鈴子は嬉しかった、その夜は大満足で彼の腕の中で幸せに浸った
しかし、また翌日から浩二は二日間帰ってこなかった
・:.。.・:.。.
ある日鈴子は浩二の選挙マネージャーの良平に電話をした
「もしご都合がよろしかったら、今日、私と昼食をご一緒しません?」
『都合がつかない訳ではありませんけど・・・』
良平が答えた
『何か浩二の事で問題でしょうか?』
「いえ、そういう訳ではありませんけど・・・ただ、うちの人を応援して下さっている良平さんに、たまにはお話したいと思いまして・・・」
暫くの沈黙の後、良平は鈴子に言った
『わかりました、本日の午後一時なら構いませんよ、三宮のアベールで落ち合いましょう』
鈴子は約束通り一時十分前にイタリアンレストラン「アベール」のテーブル席に座っていた、上品なスーツ姿で、良平に言いたいことを言ったら、すぐに会議に戻らないといけない、一時きっかりに選挙ジャケットを着た良平が鈴子の前に表れた
浩二と同様、良平も背が高く、体格がガッシリしていた、学生の頃、浩二と同じラグビー部で体を鍛えた仲らしく、いつも鈴子が会議室などで見る、細身の企業家達とは男らしさが違う様だった、四角い顎でハンサムとは言えないが、彼は彼で独特の魅力がある男性だった
「浩二とはうまくいってますか?」
良平がエビフライランチをバクバク食べながら鈴子に聞いた
「ええ・・電話では毎日話しています」
「公演会は大成功を続けています、日に日に人が集まっていますよ」
「ええ・・・知っています」
良平は腰を浮かして、椅子に座り直した
「正直言いますとね、まさか浩二がこの大事な時期に同棲するとは思ってもみませんでしたよ、あの男は聖職者のような態度で、政治活動に全身全霊を捧げていましたから」
「ええ・・・知っています」
鈴子は、ためらいがちに先を続けた
「でも・・・ちょっと講演会が多過ぎると思いません?」
良平は怪訝な顔つきで言った
「どういうことですかそれは?・・おっしゃる意味がよく分かりませんが・・・」
「同棲していると言う事は彼はもう持つべき家庭があると言う事だと思いません?あちこち地方に飛んで、家庭をおろそかにするのは彼にとってもは酷だとは思いませんか?」
良平の表情を見て、鈴子は話の軌道を修正した、ここからが大事な交渉だ
「もちろん・・・彼を会社員の様に毎晩定時で仕事を終わらせろとは言いません・・・しかし、今の彼の講演ペースを考えますと先に体がダメになってしまうような気がして・・・」
「アイツはそんなにヤワではありませんよ」
じっと良平は鈴子の顔を伺いながら、今日ここに呼び出された本質を探ろうとしている、彼は言葉を選ぶように言った
「浩二の体調を気遣うあまり、彼の選挙キャンペーンのスケジュールをもう少し緩くしろと?今朝浩二にもっとスケジュールを詰めてくれと言われたばかりでね、この件を浩二とはお話合いになられたんですか?」
鈴子はもじもじして言った
「いいえ・・・先に良平さんに打診してみたかったんです・・・まだ投票日にはほど遠いでしょう?体調も心配ですし・・・もう少し家で休む時間も必要なんではないかと思いまして・・・」
「しかしですね・・・伊藤さん、県知事のポストは一つしかないんですよ?兵庫県民530万人で一人しかなれないんです、県のトップに登る人間がどれほど少ないか、そこに至る道のりがどんなに険しいかご存じ無い様ですな、この世界のことをご存知無いのは致し方ないとして、事情を少しでもお知りになればびっくりされますよ」
良平は熱心に鈴子に語る
「これからはもっと対立候補同士の競争は熾烈を極めます、人殺しもしかねないほどですよ、どちらかが蹴落とされることになるんですからね、あと八カ月です、八カ月で天国か地獄か決まるんですよ!俺達は全てを浩二にかけているんです、浩二だってここまで登り詰めるには並々ならぬ苦労を経てきたんです、負けてしまえばヤツは何の肩書もないただの市民に成り下がるんですよ?家賃も払えない!それなのにあなたは、講演会をやめさせてくれと簡単におっしゃるんですか?」
「いえ、そこまでは言っていません、ただ少し控えめにできないものかと・・・」
「その少しの制約が彼の名声を台無しにすることになるんでよ、まさかそんなことをお望みじゃないんでしょ?」
「そんなこと望むはずないじゃないですか・・・でも・・・体調をもし崩してしまう様なら・・・落選もいた仕方が無いとは思っています・・・落選後の彼の身の振り方は私が用意しています」
良平はその場で固まった、あきらかにこの女はいったい何を言ってるんだ?と言う顔をしている、鈴子は一瞬躊躇してから先を続けた、ここからが彼女が培ってきた交渉力の見せどころだと思った
「良平さんの選挙管理マネージャーとしての取り分は、浩二の政治家としての稼ぎの確か二十パーセントでしたね?」
「その通りですが・・・」
「もし浩二の講演会が減っても、そのことで良平さんにご損をかけたくありません」
鈴子は慎重な言い回しでその先を言った
「講演の損害分は、私が喜んで埋め合わせをさせて頂きます、ご希望の金額を提示していただければ―」
「いやいやいや、伊藤さん!ちょっと待って!ちょっと待って!」
良平はあわてて両手を前に突き出して振った
「この話はここまでにしましょう!」
「もちろんこれは彼には内密に・・・」
鈴子は続けようとしたがキッパリ良平に断られた
「あのですね!伊藤さん!このことはまず、浩二と話し合って下さい、いいですね?肝心なアイツの意思を無視して話合うことではありませんよ!」
まただわ・・・どうして浩二といい、この人といい、私の交渉技術が通用しないのかしら・・・やはりこの人達は権力やお金では動かないのね・・・
私にはそれしかないのに・・・
鈴子はどうすればいいか、分からず悲しくなった
数分後、食事を終えて去って行く鈴子を良平は店の窓ガラスからじっと見つめていた、凛と道路に立つ鈴子の前に静かに真っ白のリンカーンが停まった、運転手が降りて来て後部座席のドアを開け、鈴子が優雅に乗り込んだ、そして間もなくリンカーンは去って行った
「あの女はとんだ疫病神になるかもしれんぞ・・・」
ポツリと良平はその場で呟いた