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ミアは高鳴る鼓動を抑えようと、両膝の上でこぶしをぎゅっと握り締めた。
(ネストさんとバイスさんは、私の過去を知っている……。どっちだろう……。真実か……それとも……)
ほんの数秒の時間が、ミアには永遠のようにも感じられた。
「ミア、話したくなければ無理に話さなくてもいい。人には多かれ少なかれ秘密がある。俺はそれを無理に聞こうとは思わない」
ミアが顔を上げると、そこには真剣な眼差しで自分を見つめる九条の姿があった。
(いつもやさしく微笑みかけてくれるお兄ちゃん……)
その表情はいつもとは違っていた。戸惑いの色を隠しきれてはいなかったのだ。
(お兄ちゃんはやさしい。その声を聞くだけで、波立つ心も自然と落ち着く……)
このまま黙っていれば、自然と昨日までの生活に戻れるのだ。予定通り適性試験を受けて、コット村へと帰るだけ。
(お兄ちゃんに心配を掛けたくない……)
だが、それは偽りの日常だ。たとえ元の生活に戻れたとしても、過去のわだかまりは消えやしない。
(それを隠し続けたままの生活に意味があるのか? 本当にそれで満足できるのか?)
ミアは自問自答を繰り返す。
(お兄ちゃんが真実を知った時、私の事を信じてくれるだろうか? もし、信じてくれなかったら……)
ミアの中に込み上げてくる不安。それは小さな胸が押しつぶされてしまいそうなほど。
(お兄ちゃんに嫌われたくない。もう一人ぼっちは嫌だ……)
「大丈夫だミア。ゆっくりでいい」
そんなミアを見かねて、九条はいつものようにミアの頭をやさしく撫でた。
それだけだった。たったそれだけの事なのに、ミアはこれ以上ないほどに安堵した。
ここが自分の唯一の居場所であり、拠り所なのだと悟ったのである。
(お兄ちゃんは私を守ってくれると言ってくれた。きっと大丈夫……。お兄ちゃんになら話せる。隠し続けて後悔するよりずっといい……)
ミアは勇気を奮い立たせ覚悟を決めると、開けるつもりはなかった記憶の扉に手を掛ける。
そして、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
「私の最初の担当がロイドさん……。ロイドさんのパーティと一緒にダンジョンに巣食うミノタウロスの討伐をするっていうのが担当としての初仕事だったの。地下六層までは難なく辿り着けた。でも、ミノタウロスには手を出さなかった。そこで持ち掛けられた話が、別の街で買ったミノタウロスの角を討伐の証としてギルドに納品するって話……」
ミアは感情を押し殺し、当時の情景を思い出しながらも淡々と語っていく。
九条には、公平な立場で聞いて貰いたかったのだ。
「私は不正は良くないって言ったの。そうしたら、お前が報告しなければバレないって脅されて……。拒んだ私は、装備と荷物を奪われてダンジョンに置き去りにされた……。一生懸命走ったの! だけど、追い付けなかった……。周りには魔物の群れ……。私にはどうすることもできなくて、隠してた帰還水晶を使った……」
ミアは、今でもふと迷うことがある。どうしてあの時の自分は上手く動けなかったのだろうと……。
あの時不正に加担していれば、こうはならなかったんじゃないかと……。
「ギルドにはちゃんと報告した……。討伐しなかったこと。不正しようとしていること……。それから半日でロイドさんのパーティがギルドに帰ってきた。……報告は……わたしが……パーティを……見捨てて……逃げたって……」
ミアの瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
感情を抑えているはずなのに、込み上げてくるそれを必死に耐えた。
「……ホントなのに……誰も……信じて……ぐれなぐで……わだじ……わだじは………ッ」
ミアの瞳から一粒の涙がこぼれると、握った拳に滴り落ちる。
それを皮切りにボロボロと溢れ出てくる涙は、既にミアには止められなかった。
(ダメだ。しっかりと最後まで話さないと……。これでは泣いて同情を買っているみたいにみえちゃう……なのに……)
そんな思いとは裏腹に、声が思うように出てくれない。
もう誰にも話すことはないと思っていた過去の記憶。思い出せば思い出すほど悔しくて涙があふれる。
当然と言えば当然なのだ。ロイドはガンガン力を付けていて勢いもあり、この辺りではかなり名の知れたパーティ。
対してミアは、担当選別を拒否し続けてきた不真面目なギルド職員。
どちらを信用するかなんて最初から決まっていた。
泣きながら、それでも必死に話そうとしているミアを九条は静かに抱き寄せた。
ミアから出て来る声は嗚咽ばかり。これ以上は聞けなかった。
辛く悲しい過去の記憶。それだけでも後のことは十分想像が出来る。
「ミア、もういい。お前は悪くない……」
九条はミアを抱きしめながら背中をさすり、泣き止むまでそうしていた。
(やはり連れて来るべきではなかった……。そうすれば辛い過去を思い出させることもなかった……)
自責の念にかられ、唇を強く噛みしめる。
「九条。ここからは俺とネストが話す。最初に言っておくが、ミアの為に調査をした訳じゃない。俺たちは俺たちなりの目的があった。結果としてミアの言っていることが真実だった。ということだ」
バイスとネストは顔を見合わせると、無言で頷いた。
「ロイドたちはギルドに六本の角を納品した。それはちょっとした話題になった。僅か半日足らずで六体のミノタウロスを倒すのは至難の業。それをやり遂げた。ギルドは大いに沸いたし、その功績を称えロイドたちには臨時報酬が出たほどだ」
「でも、それは無理なのよ。ダンジョンのあるアンカース領はウチの領地。ダンジョンの魔物が地上に出てこないようにする為に、定期的に討伐依頼を出すわ。その依頼をロイドたちが受けた。アンカース領まで馬で駆け、小型のダンジョンではあるけれど六層まで潜る。そこで討伐対象との戦闘を経て来た道を戻るなんて……。どう考えても半日で達成できる工程じゃない」
ミノタウロスは牛の首を持つ人型の魔物だ。身長は小さい者でも二メートル。大きな斧を武器として使用することで知られている。
地下五層から十層程度を縄張りとしていることが多く、軽くて丈夫な角が武器や防具に使われることがあるため、定期的に討伐依頼が出されている。
「おかしいと思った俺とネストは、すぐにダンジョンへと潜ったが、ミノタウロスの死体は一体も確認できなかった。ロイドたちの不正を確認したと同時に、ミアの言っていることが嘘じゃないということがハッキリしたわけだ」
「じゃあ、それをギルドに報告すればいいだろ」
それは、九条がどれだけ憤っているのかが理解できる程に荒い口調だ。
「もちろんしたとも。ギルドはアンカース領の領主。つまりネストの父親に依頼料を全額返金した。にも拘らず、ロイドが不正した事実は公表しなかった。勢いのあるロイドたちの評判を落としたくなかったのか、ロイドたちに買収されているのかはわからないが、依頼料を返金されたこちらとしては、もう口出しはできないんだ」
目の前の小さな女の子一人救えない無力感に打ちひしがれ、奥歯を噛み締めるバイス。それはネストも同様であった。
「最初に言ったが、ギルド内部の事までは冒険者が何を言っても意味がない。だからここで九条は勝て。そうすればギルドはロイドを見限る。カッパーに負けたシルバーなんか持ち上げても意味がないだろ?」
徐に立ち上がったカガリは、ウロウロと落ち着かない様子を見せていた。
「主、お気持ちは分かります。しかし気を落ち着けてください」
それは九条の耳に入らない。ミアを撫でながらも、負の感情が沸き上がって来るのを押さえきれなかったのだ。
「……模擬戦中にロイドが死んだら、事故扱いになりますか?」
その声は低く、憎悪に満ち溢れていた。
「いや、待て九条! 事故じゃ済まない! 気持ちはわかるが落ち着け!」
「そ……そうよ九条! 落ち着いて! 殺しちゃったら真実も闇の中だわ。殺さずに勝ってロイドの口から真実を話してもらいましょう。それがいいわ!」
バイスとネストは必死になって九条を止めた。それだけの実力があることを知っているのだから当然である。
「九条が本気を出したらギルドが潰れちまう。……いや、ギルドなんてどうでもいいが、そんなことで九条を罪人にはしたくない!」
「九条。あなたなら私たちをダンジョンで殺すことも出来た。けど、そうしなかったのは、あなたが悪人じゃないからよ。ロイドのしたことは許せることじゃないけれど、あなたの人生を懸けるほどの相手じゃない。よく考えて!」
落ち着きを取り戻したミアは、ぐちゃぐちゃになってしまった自分の顔を袖で拭うと、憎悪に満ちた九条の鋭い瞳を見つめ笑顔を見せた。
「お兄ちゃん。私は大丈夫だから……。お兄ちゃんが捕まっちゃったら一緒にいられなくなっちゃう……。私はお兄ちゃんがいればそれでいい……」
「ミア……」
ミアの笑顔は、無理に作ったぎこちないもの。九条を掴む手は小さく非力。
そんな年端も行かない子供を騙し、貶めようとしたのだ。
(到底許すことなぞ出来やしないが、それで俺がミアの傍にいてやれなくなるのは不本意だ……)
九条はミアの為にと、ほんの僅かばかり溜飲を下げた。
しかしそれでも尚、九条がロイドに怨嗟を覚えたのは事実であり、二人が争うには十分な理由であったのだ。