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堂河内も手伝ってくれたこともあって、部屋の片づけは二日でなんとか終わらせることができた。
真帆さんから追加で貰ったポプリのお陰だろうか、部屋の獣臭も綺麗さっぱり消え去ったが、けれどこれで解決、というわけにはやっぱりいかないらしい。
今もどこかでその古狐は鏡を壊した俺に仕返しをしてやろうと隙を伺っているらしく、登下校中、どこからか鋭い視線を感じ続けたのも確かだった。
魔よけのポプリは間違いなく効果を発揮していたが、その匂いも永遠に続くわけではないらしい。アカネさんから貰ったポプリの匂いは早くも三日目には薄れてしまい、耳を澄ませば、すぐそこで獣の唸り声が聞こえているような気がした。
「おい、まだなのか、鏡は!」
焦りを覚えた俺は、堂河内に訊いてみたが、
「まだ探してるみたいだよ。あれからずっと、店を留守にしてあっちこっち探し回ってるみたいだから」
「……そうか」
俺には、そう返事することしかできなかった。
代わりにさらに追加のポプリを貰い、肌身離さず持ち歩く。
いつになったら新しい鏡は手に入るのか、いつまでこんな状態が続くのか、それを考えるだけで夜もなかなか眠れなかった。
しんと静まり返った夜だからこそ、獣の息遣いはすぐ間近に聞こえ、ふと窓の方に目を向ければカーテン越しに巨大な狐の影が映し出されて、俺は布団を頭まで被って震えながら夜を過ごした。
そんな日々が五日ほど続いて、その朝、ようやく堂河内は俺に言った。
「例の鏡、手に入ったよ。僕が預かってるから、帰りに返しに行こう」
見せられたその鏡は、俺が割った鏡とよく似て古びていたが、あれよりもやや小さめでわずかに曇っているように見えた。
「本当に、これで大丈夫なんだろうな?」
「まぁ、やってみるしかないよ」
なんとも頼りない返事だったが、俺はそれ以上何も言わなかった。
そして放課後、俺たちは、あの祠の前までやってきた。
祠は俺が掃除した時とほとんど変わらない姿でそこに佇んでおり、接着剤で無理矢理直した鏡もそのまま祀られたままだった。
「じゃぁ、お願い」
堂河内に手渡された鏡を手に、俺は一歩前へ踏み出して。
『グルルルル……!』
突如そんな唸り声が聞こえてきたかと思うと、ざっと俺の前に立ちふさがるように、一匹の古狐が姿を現した。
古狐は俺が思っていたよりもずっと身体が小さくて、毛並みはボロボロで、けれど歯をむき出しにして物凄く怒り狂った表情で俺を見上げている。
今にも飛び掛かってきて、俺を食い殺さんばかりの様子だった。
「な、なんだよ、おい」
俺は踏み出した足を戻して、さらに一歩あと退る。
「ちゃ、ちゃんと鏡を返しに来たじゃないか、なぁ、許してくれよ」
けれど古狐は唸り声をあげたまま、一歩、俺へと近づいてくる。
「わ、悪かったって。わざとじゃなかったんだ。それにほら、ちゃんと代わりの鏡を持ってきたじゃないか。もう、許してくれよ。なぁ?」
また一歩、狐が足を踏み出して、
「そ、そんなに怒らないでくれよ、俺が悪かった。謝る。だから、許してくれよ、頼むよ、本当に、ごめんなさい、許してください!」
俺が頭を下げた、その瞬間。
『ガウウウゥゥ――!』
「うわぁっ!」
古狐は大きく口を開くと、牙をむき出しにして地を蹴り飛ばし、物凄い跳躍力で俺の首へと飛び掛かってきて。
「待って!」
すぐ横に控えていた堂河内の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、ぶおんっと辺りに突風が吹き荒れたのだ。
あまりの風の強さに俺は瞼を開いておくことができず、鏡を胸に抱きしめたままぎゅっと目をつぶった。
なんだ、なんだ? 何が起こったんだ?
思いながら、恐る恐る瞼を開くと。
「……えっ」
俺の前には堂河内の背中があって、堂河内は右腕を古狐の方に突き出し、その手の平を向けながら、
「お願いだから、もう許してあげて」
そう古狐に話しかけた。
古狐はといえば、俺に飛び掛かってきたままの状態で宙に浮かんでおり、その周囲をつむじ風に包み込まれながら、じっと堂河内を睨みつけている。
「代わりの鏡は用意しました。全く同じではないけれど、それなりの魔力は宿っています。これ以上、あなたも魔力を無駄にする必要はないでしょう? だから、これで終わりにしてくれませんか?」
堂河内が何をやっているのか、何を言っているのか、俺にはすぐに理解できなかった。
ただ、堂河内も、普通の人とは違うらしい、それだけはよくわかった。
――そうか、こいつも、魔法が使えたんだ。
堂河内と古狐はしばらくの間にらみ合っていた。
まるで眼で会話をするように、視線で思いを伝えるように。
やがて古狐がこくりと頷くのを見て取ると、堂河内はゆっくりと右手を下ろした。
その途端、つむじ風がぱっと消え去り、一時の静寂が訪れた。
戸惑う俺に、堂河内は小さくため息を吐いてから、
「――さぁ、鏡を」
と、もう一度促した。
「あ、あぁ」
俺は返事して、恐る恐る古狐の横を通り抜けて、新しい鏡と古い鏡を入れ替えた。
その途端、新しい鏡は一瞬、虹色の強い光を発して――何事もなかったかのように、気づくとただの鏡と化してしまったのだった。
まるで最初からそこにあったかのように、その場に鎮座ましましている。
「こ、これで、いいのか?」
確認するように振り向くと、すでにそこには古狐の姿はなく、真帆さんみたいな微笑みを浮かべた堂河内が立っているばかりで。
「あぁ、終わったよ」
そう言って、堂河内はこくりと頷いた。