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言い争いをしてから瑞記は態度を変えた。
あからさまに園香を避けて、ほとんど家に寄りつかなくなったのだ。
「なんて幼稚なの?」
ひとりきりの部屋で、園香は遠慮なく不満を零す。
返事はもちろんないが多少はストレス発散になるので、最近はよくひとりでブツブツ言うようになった。
不都合な話し合いから逃げる彼の態度には失望しか感じない。
しかし今となっては改善しようとする気持ちが湧いて来ない。
(瑞記が好きにするなら、私も好きにするわ)
園香は再就職の準備を進める一方で、身の回りの整理に精を出している。
細かいところまで確認したら、この一年の間に起きた出来事の記録のようなものが見つかるかもしれないと思ったからだ。
出来れば日記のようなものがあればいいが、あいにく園香にはその習慣がない。何度かチャンレンジしたことはあるが、初めてみてもすぐに三日坊主になってしまう。
となると代わりとしてメッセージや手紙のやり取り、またはスケジュール帳などが考えられるが残念ながらどれも見当たらなかった。
(めんどくさがりなところを直しておけばよかった)
今日も家の中を物色してみたが、結局何も新し発見はなく、園香はがっかりと肩を落とした。
(それにしても)
扉を開けたままにしている自室のクローゼットの方を見て、園香は眉を顰めた。中身は綺麗に収納されていて一見問題ないのだけれど……着る服が圧倒的に足りていない。
「私、毎日何を着てたんだろう」
仕事をしていなかったからかもしれないが、これでは不便だったのではないだろうか。
独身時代に着ていた服は引っ越しのときに処分したのか、クローゼット内の服は全て見覚えのないものだった。
バッグやアクセサリー関係もごくわずかで、毎日の通勤には対応できない。一週間後には初出勤の日を迎えると言うのに。
「買いに行くか」
この辺りに土地勘はないが、電車に十五分程乗ればショッピングセンターや百貨店が立ち並ぶ大きな駅に着く。
思い立ったらすぐに行動とばかりに園香は十分後には家を出ていた。
毎日散歩して家の周りの地理には多少詳しくなって来ている。
ちなみに瑞記は全くフォローしてくれない為、自力で道を覚えた。
本当に、考えれば考える程、優しくない夫だと実感する。
駅が見えて来たとき、スマートフォンが鳴った。バッグから取り出して確認する。
白川彬人の名前が表示されていて、園香は僅かに首を傾げながら応答した。
「もしもし、彬?」
「ああ。今話せるか?」
「うん、どうしたの?」
園香は道の端に寄り立ち止まる。彬から連絡が入るのは、実家からマンションに移ったときに報告して以来だ。
「来月から横浜の展示場で働くと聞いた」
「ああ、お父さんから? そうなの。契約社員って形で時短勤務なんだけどね」
「仕事が始まる前に一度会えないか?」
「いいけど、いつ?」
「出来るだけ早く」
なぜか分からないが、かなり急いでいる様だ。
「それなら今日の夜は? これからちょっと用があるんだけど、六時過ぎには空くから」
「分かった。時間の目途が立ったら連絡する」
「了解」
彬と電話を切ると、園香は違和感のようなものを覚えて顔を曇らせた。
なんとなくだが彬の様子がおかしかった気がしたのだ。はっきりと何がおかしいと言えないのだけれど。
(まあ、会ったら分るでしょ)
園香は考えるのを諦めて、急ぎ足で駅に向かった。
思いがけずに彬と会う約束をしたので、急いで買い物をしなくてはならない。
ショッピングセンターに着くと、園香はざっとフロア内の洋服店を見回し、それからてきぱきと必要なものを選んでいった。
午後七時。彬から待ち合わせ場所と連絡を受けた、レトロなダイニングバーの扉を開いた。
彬はもう着いていて、手提げ四袋という大荷物で現れた園香を見て驚いた様子だった。
「ごめんね、遅くなって」
「俺も今来たところだけど、買い物中だったのか?」
「そう。通勤で着る服がなかったから」
「随分、沢山買ったな」
「これでもまだ足りないくらい。服だけじゃなくて、靴とバッグも必要だからね」
どういう訳か、シューズクローゼットには夏のサンダルと、冬のショートブーツしかなかったのだ。
まるで新社会人が一から揃えなくてはならないような状況だ。ただ予算があるのでネットで安く買ったり、実家から使えそうなものを取って来るなどする必要がある。
独身時代の貯金があるとはいえ、あまり使い過ぎたくない。
瑞記から貰える生活費は月に六万円でそれで食費から園香の個人的な支出まで賄わなければならないのだから。
(……六万円って金額はどうやって決めたのかな)
園香の感覚では心もとない金額である。しかし家賃や光熱費など全て払って貰っているのだから感謝しなくてはならない。
と思うものの、七桁はしそうな時計を身に付けていたりするところを思い出すと複雑な気持ちになる。
(まあ自分が働いたお金で買ってるんだからいいんだけど、でもそれなら私が働くのを邪魔しないで欲しい)
「あれから冨貴川とはどうだ?」
考え込んでいた園香は、彬の言葉で我に返る。
「変わりない感じかな」
その返事で彬は上手く行っていないと察したようだ。
「名木沢希咲の存在が問題なのか?」
「え?」
予想外の言葉に園香は目を瞬いた。
「……彼女と瑞記の関係は一般的じゃないと思うけど、今となってはあまり気にしてないよ」
彼女の存在がなくても、瑞記は問題が多い夫だ。夫婦間に誰かが入り込むのが不快と言う以前に、そもそも夫婦が成り立っていない。それにしても。
「ねえ、前から思ってたけど、やけに名木沢さんを気にしているね。彬がそこまで女性を気にするのを初めて見る」
確かに客観的に見ると魅力的な女性だったけれど。
彬は非情に言い辛そうにしながら口を開く。
「園香に知らせるつもりはなかったが……名木沢希咲は前職の美倉空間デザインを解雇になってるんだ」
「解雇? それってどういう……」
なぜ彬が個人的な事情を知っているのだろうか。
「ソラオカ家具店は美倉空間デザインと取引があったのは知っているだろ? 名木沢希咲は仕事で知り合った相手とプライベートでも繋がり問題を起こしたんだ。その責任を取る形で退職をしたが、実際は解雇だ」
「うちの社員と……ねえ、その問題って具体的にはなに?」
「不倫だ。男の方の家族にばれて大事になった」