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#短編
水底 ずい
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「おはようございます」
「ああ、六堂か。おはようさん」
朝の七時半前のこと。私はいつものように文芸部兼図書室倉庫にやってきていた。この時間から図書室を利用する者は早々いないので、朝は試験勉強や読書をするのにちょうど良い場所だった。
「先輩がこんな時間にいるなんて珍しいですね」
鞄を机の上に置きながら、先日借りてきた本を徐ろに取り出していく。分厚い本の山々に、いつか鞄の底が抜けてしまうのではないかという懸念は尽きない。
「ああ、今日は明け方に目が覚めてしまってな。教室に行くのもなんだから、時間まで此処にいようかと思ったんだが……。六堂は毎朝この時間に来ているんだな」
「自分は朝の人混みを避けているだけですよ」
先輩は読みかけの本を伏せると、私を感心したように見つめる。先輩が朝に弱いのは以前聞いたような気もするが、陸上部時代の朝練はさぞかし大変だったことだろう。
「今日は七種とは別か?」
「ななちゃんはいつもぎりぎりですよ。彼女も朝が弱いんで」
「そうか。お前らは七中の頃から一緒だからついな」
七ヶ崎中学は同じ敷地内に校舎があるものの、共有施設や大きな行事以外での接点が殆どなく、お互い何となくいる程度の認識しかない。
とはいえ、七ヶ崎高校の半数は七中上がりなので、垣根自体は思ったよりも高くないのだった。
「ななちゃんは喋り方や空気が穏やかですからね。一緒にいると落ち着くんですよ。てか、図書室倉庫ってこんなに広かったんですね」
此処へ入ってきた際は全く気にもかけていなかったが、改めて見ると大掃除と模様替えをした甲斐があるというものだった。
腰ほどの背丈に生まれ変わった新しい本棚は壁一面に沿うように置かれ、圧迫感が減ったことから従来の倍は広く見える。そして、作業机が全体的に増え、床にはカーペットが敷かれている。
なにはともあれ、地震でこちらがベニヤ板になりそうな本棚が取り除かれたことは大きい。
「あの扉はまま気になりますけど、仕方ないですね」
「結局本棚で隠しても上半分は飛び出るからな。だったら、最初からあの部分は開けておこうかと。先生も了承していたから問題はないだろう」
あの本棚に隠れていた扉は、相も変わらず強い存在感を主張している。文芸部の子たちは、「新しいネタになる!」と喜んでおり、確かに可能性の塊みたいな扉に違いないと思った。
「して、六堂。さっきから落ちそうになっている、その本はなんだ」
私がぼんやり扉を眺めていると、先輩は片肘をつきながらその本を指さす。視線を下に向けると、分厚い本の山々から『ヨモツ日記帳』が零れ落ちそうになっていた。
「あ、そうだ。実はこれ大掃除の時に見つけて、後で先輩に聞こうかと思っていたんですけど」
「けど?」
「読んだら面白かったんで、読み終わってから聞こうかなーって」
ははは、と誤魔化すように笑うと、先輩は貸してと言わんばかりに手だけを差し出してきた。私は逡巡した末にその本を手渡すと、先輩も同様に表紙と裏表紙を交互に見つめ、「多分、部誌だろうな」と呟いた。
「古くても結構面白いですよ」
「ふむ。どれが一番面白かった?」
「え、一番ですか? 自分もまだ途中までしか読んでいないんでアレですけど……」
そう言い淀みながら、『ヨモツ日記帳』を手に取りパラパラと捲りながら唸る。一番というのはだいぶ難しいものだ。
「そうですね。四百字以内のショートを大量に書いているこの人も面白いですけど、強いていうなら、この『佐枝子』って名前の人ですかね。『括られの木』とか『踊り場の少女』、あとは『紅桜』や『影』って作品書いてます。それ以外はまだ読んでいないんで分かりませんけど」
先輩は最初の数頁を軽く流し見すると、ややあって「放課後には必ず返すから、今日一日だけ借りてもいいか?」そう言った。
どうせ放課後までは読む時間を設けられないのだから、いいですよ、と私は二つ返事で了承する。
「じゃあ先輩、また放課後に」
そう言って別れた後の放課後、私はちゃんと本を返してもらった。正確には、私が普段座っている場所に先輩の荷物と『ヨモツ日記帳』がぽつん、と置かれていたという話なのだが。
どうやらあの日以降、先輩は学校に荷物を置いたまま、行方不明になっているという───。
コメント
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読み終わりました。六堂さんと先輩の、朝の倉庫での穏やかなやりとりが心地よかったです。特に『ヨモツ日記帳』の中から「佐枝子」さんの作品を挙げるところ、好きな作品を選ぶ迷い方に六堂さんの人柄が出ていて微笑ましかったです。ラストの「行方不明」で一気に不穏な空気になったのが印象的でした。この先、どうなってしまうんだろう…気になります。