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水の中に居るような、真冬の登山をするようななんとも言えない感覚だった。
ただ、寒いということは一貫していて、気を抜けば凍りついてしまいそうなほどだった。指先の感覚はなく、光がないから分からないがはく息も冷たく感じた。
アルベドにあの場をまかせて、私はリースと最後にあったあの会場に繋がる扉をくぐったが、扉の先は闇に包まれており、前も後ろも分からない状態だった。
「あの時と一緒……」
災厄の調査で出会ったあの肉塊の中に居るような感覚がした。
負の感情が渦巻き、飲み込まれてしまいそうな、自分なんてと自己嫌悪に陥ってしまうようなそんな空間が広がっていた。光がないから、自分がここに存在しているのかすら危うい。
私はそんな前も後ろも分からない道をただひたすらに歩いた。
リースに近付いている感覚も扉から遠ざかっている感覚も何もない。ただひたすらに広がる闇を歩くしかなかった。
アルベドはどうなったのだとか、皇宮の外はどうなっているのだとか、皆の存在が恋しくなった。でも、ここで泣き出しても何にもならないことを私は誰よりも知っている。
「痛い……っ」
ドレスはあのオレンジの実のようなもので良い感じに溶けたため、動きやすくなっていたが、はき慣れないヒールを履いてきたが為に、私の足は靴擦れを起こしていた。
「……いいや、別に。脱ごう」
私は一旦立ち止まり、ヒールを脱ぎ捨てた。私は、一応何か先にあるかも知れないと思い、ヒールを前に向かって投げた。すると、カンカン……とヒールが地面にぶつかって跳ねる音が聞え、私はまだ先に道があるのだと確信した。と言っても、ずっと続いているのだから、終わりはないだろうけれど。
靴は脱いだが、痛みを感じながら歩いていると、段々と体が冷えてきた。寒さを感じると、眠くなってくる。
このまま寝てしまったら、どうなるのだろう。もう二度と起きられないのではないか、と考えがよぎり、恐怖で震えた。
でも、私がこうやって意識を保っていられるのは、きっと、私自身の罪や、リースへの思いが主な原因なのだと思う。
私は、彼の優しさをすべてけって、彼が隣にいることが普通だと思ってしまった。そうして、自分の感情にまかせてリースを、遥輝をフって彼を傷つけた。きっとまだまだ掘り返せば幾らでも彼への謝罪の言葉と罪が出てくるだろう。
結局、私は、遥輝の優しさに甘えて、自分の都合の良いように行動していただけなんだ。
この寒さは、きっと彼の心の表れなんだろう。彼が幾ら混沌の力に侵されて暴走していたとしても、それは彼の長年積もった思いなのだから。
「私が、ここで諦めたら、リースだけじゃなくて、リュシオルもアルバも、トワイライトも……ブライトやアルベドだって」
大切な人がいるから頑張ろうと思える。
恐ろしい未来の「もしも」を考えてしまうけれど、その「もしも」の未来が来ないように私は歩くしかなかった。
一人で不安だし、泣き出したいし、立ち止まってしまいたい。
あの時だってそうだった。調査の時も結局途中で諦めて、飲まれてしまった。
私は気を強く持ちつつ、冷たい黒い床を歩き続けた。ぺたぺたと自分の足音だけがこだまする。すると、先ほどまで固い地面だったそれはとぷんと音を立てて水のように私の足を包み込んだ。
「……!?」
その瞬間、私は足元が崩れるような錯覚に陥ったが、なんとか踏みとどまった。しかし、足の裏が冷たく、底なし沼のような感覚に陥る。まるで、泥の中を歩いているようだったが、私の体は沈むことなくその水の上に立っていた。
一体これはどういうことなのかと不思議に思っていると、突然目の前にぼんやりとした光が灯り始めた。
その光の中から出てきたのは、リースだった。彼が歩くたびに、波紋が広がり彼の足下には黒い薔薇が咲き棘がこちらに向かって伸びてくる。
「リース!」
こちらにゆっくりと近付いてくるリースに私は叫ぶが、彼の虚ろなルビーの瞳を見て、ひゅっと喉の奥がなる。
彼は、どうやら操り人形のように動いているようで、表情も声色も一切なかった。彼の腕や首に黒い糸が絡まっているのが見え、その想像は一気に膨らむ。まるで、混沌が彼の糸を操っているかのように見えた。
「リース、リース!」
私は、泥濘む足下を気にしながら必死に彼の名前を呼んだが、全く反応がない。
やはり、酷く恐ろしく思える。魔王のような威圧感、負のオーラが濃くて、私は顔をしかめるしかなかった。だが、私は彼を救いに来たのだ。だから、ここで引き下がるわけにはいかない。
「リース、ね、一緒に帰ろう。こんな所にいないで」
「……えと、わー……る?」
と、ようやくリースの元にたどり着いた私は彼に呼びかけた。でも、彼に触れることは怖くてできず目の前で彼顔を覗いて名前を呼ぶ。
すると、リースはピクリと指先を動かして、ゆっくりと顔を上げた。彼の顔は、美しいルビーの瞳は濁りきっており、その得体の知れない底のない闇を見て私は身震いする。
彼は、私だと気づくと何度か口を開閉させた後、グッと唇を噛んだ。
「そうだよ。私だよ、エトワール。リースお願いだから、目を覚まして。このままだと、アンタは壊れちゃう」
「壊れる……? 俺が?」
「……っ」
リースは、自分の体を見下ろした後、私を見た。その瞬間、ぞわりと寒気がした。彼は、私の存在を認識していなかった。いや、そもそも見えていないような感じさえした。
私を見ているけれど、見ていないような、何だか上の空という感じで……
(いや、違う。私を見てるけど、今の私じゃなくて、きっと前世の私を見ているんだ)
何故か直感的にそう思った。
彼が見ているのはエトワールの姿をした私ではなく、あの天馬巡を見ているのだと。彼が私を認知できないのは、彼が求めているのが前世の私だったから。それでも、私をどうにか見ようとしているのは、中身が私だから。
言葉では上手く説明しきれないけれど、きっとそうだと、私は彼の肩に手を置いた。また、彼の身体が少し揺れる。
「リース、このままここにいても何も良いことない。闇に飲まれて、帝国も世界も滅んじゃう」
「ああ」
「ああって、そんなのダメでしょ!」
私の言葉にリースはあっさりと肯定したので思わず大きな声で叫んでしまった。
だって、この闇の中に取り込まれたら、もう二度と出られないかもしれないのに。
私がリースの頬に触れようとするが、彼がその手を避けるように一歩後ろに下がったので、私は手を止めた。
(リースが私を拒絶しているの?)
そんなことないって、自惚れそうになったが、彼はこの空間からでたくないようにも思えた。何故か。彼は私を冷たい目で見下ろすと、両手を広げくるりと背を向ける。赤いマントが翻るが、その赤さえもくすんで見えた。
「リース、お願い。一緒に帰ろう。このままじゃ、アンタも危険なの」
「いいや、ここは安全だ」
と、リースは言うと私の方を振返る。
私はギュッと拳を握って、彼の圧に押されまいと気丈に振る舞う。
彼は私のことをじっと見つめていたが、やがてふっと笑った。そして、彼が片手を上げると、足元の水がざわめき黒い薔薇の花びらが舞う。黒い花吹雪は、あっと言う間に視界を埋め尽くしてしまう。まるで、黒い雪が降っているみたいだった。
私は、咄嵯に目を閉じてしまったが、次に瞼を開いた時、目の前にはリースが立っていた。
彼の瞳には、確かに私が映っていた。彼は、私の頬に優しく触れると、そっと口を開く。
「ここは、俺とお前だけの空間だ。誰の邪魔も入らない、二人だけの空間」
「りー……」
つぅ……と私の唇をなぞるリース。その行動に、射貫く目に私は動けなくなってしまった。まるで金縛りにでも遭っているかのようだった。
彼は、愛おしそうな瞳を向けて、私に顔を近づけてくる。吐息がかかり、彼のルビー色の瞳の中にいる自分が見えた。私はリースを押し返すことも出来ずに、ただ呆然としているだけだった。
(どうしよう、この状況……拒めない)
動けないのもそうだったが、少しでも嫌だと抵抗の意思を見せればどうにかなったのかも知れないが、私は彼を拒むことが出来なかった。
怖くておぞましくて、そんな感情を彼に抱いたこと……まして、推しであるリース様にでさえ抱いたことなかった感情を今彼に抱いている。何故か。彼の全てが恐ろしく見えた。私の内部を舐めるような、ギュッと心臓を掴んで私の身体を引きちぎるようなそんな感覚。
痛くて、怖くて……それでいて、悲しかった。
「俺はお前にフラれてからもずっとお前の事を思っていたんだ。何故フラれたのか考え、答えを見つけようとした」
「……」
「だが、結局分からず仕舞いだった。だから、俺は考えた。どうして俺ではダメなのか。何が足りなかったのか」
「……リース」
「俺も悪かったさ。お前の好きなものを知りながら……それでも、存在しないものに、二次元とやらに嫉妬した。自分でも馬鹿馬鹿しく思った。だが、それ以上にお前の事が好きだった。俺はお前の恋人で、俺だけを見てくれるものだと思っていた」
彼は淡々と言葉を紡いでいく。
私は、彼の言葉を聞いていることしかできなかった。
彼が私に何を話そうとしているかは分からない。けれど、彼の表情はどこか苦しそうで、辛そうで……きっと、彼は後悔していたんだと思う。
でも、それ以上に彼の瞳に映っていたのは果てしない欲望だった。
「だから、この世界にきたとき……いや、お前が此の世界にきたときお前の趣味がない世界でなら、俺を見てくれると思った。俺だけを」
「リース」
「だが、お前は俺を避けるばかりで、終いには違う男に俺に見せたことのないような笑顔を見せて」
誰のことをいっているのだろうかと私は思ったが、思い当たる人物は幾らでもいた。
でも、彼は勘違いしているのではないかと思う。だって、攻略キャラで、彼らを攻略しないと自分の命が危ないのだから。けれど、こんなの言い訳にしかならない。確かに、辛いこともあったけど、話していてとても楽しかったし。
リースとは、遥輝とはあまり会話らしい会話ができていなかった気がしたから。
「どうすれば、俺を見てくれるか考えた。そうして、たどり着いた先がこれだ」
と、リースは笑う。
「二人きりになれば、二人だけの世界を作れば良い。そしたらお前は俺しか見なくなるだろう?」
「……っ、そんなことない!」
「そうだな。だがこれはゲームじゃない。現実なんだから。選択肢なんてないし、セーブポイントもない。リセットもできない。やり直しも出来ない」
「……」
「でも、この世界には俺とお前しかいない。二人だけの空間だ」
リースは冷たく虚ろな満面の笑みを浮べ、私の頬を撫でる。
「俺だけを見てくれ、巡――――」
そういって、彼は私の唇に噛みつくようにキスをした。