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「ん……ッんん……ッ!」
リースは私の唇から離れようとしなかった。何度も角度を変えては、私の口を貪るように口づけをする。
怖くて腰が抜けそうで、必死に彼の胸板を叩くが、全く意味をなさず酸素を吸おうと口を開いた瞬間彼の舌が入ってきそうになり、私は思わず彼の唇に噛みついた。
「……いゃ、はあ……はぁ……」
ポタリ、ポタリと彼の唇から血が滴り落ちる。彼の唇を噛んでしまったことに罪悪感を感じながらも、私は彼に背を向けるとそのまま駆け出した。
背後からは、クスリと笑い声が聞こえた。私は、振り返ることなく走った。走って、走って、走り続けた。
怖かった。怖かった。馬鹿な頭は、初じめてのキスはレモンの味とかいう迷信を信じていた。でも、実際は鉄臭い、苦くてしょっぱいものだった。
「何故逃げる?」
不意に耳元で囁かれた低い声に私は身体を震わせる。
後ろを振り向くのが怖い。恐る恐ると振り向けば、そこにはリースの姿があった。私は咄嵯に逃げようとするが、彼に腕を掴まれてしまう。
恐怖心がピークに達し、私は泣き出してしまった。
「泣くほど嫌だったのか?」
「ひっ……ごめんなさい、ゆるしてください……もう、こわいことはしないでください……」
「何を言っているんだ? 俺はお前を愛しているんだ。愛しい女を怖がらせるわけないだろう」
「ならなんで!」
私は涙目のまま彼を睨む。
すると、彼は悲しげに微笑んだ。その表情に、私の心臓がキュッと掴まれたような痛みが走る。
(どうしてそんな顔をするの?)
私が問いかけようとしたとき、私の腕を掴んでいない方の手で先ほど私が噛んだ唇に触れていた。
痛々しく腫れ上がったそこを見て、私は息を飲む。彼は気にしていないのか、傷口から流れる血液に指先をつけてペロりと舐めた。
その姿に私はゾクリとする。
彼の瞳に映った私は、怯えていてまるで小動物のように震えていた。
「こんなに拒まれるなんて思っていなかった。そんなに俺が恐ろしいのか?」
と、温度のないルビーの瞳が私を射貫く。
恐ろしい。そう言ってしまいたかったけれど、また彼を傷つけるような気がして、これ以上口を開くことができなかった。何を言っても彼に届きそうにない。けれど、彼と向き合っているだけでは何も始まらないとも思っている。
けれど、いつもと違う、本当に闇に飲まれて我を失っているリースに、遥輝に私の言葉なんて届くのだろうかと。
彼のルビーの瞳は温度がない上に、悲しく揺らめいている。
「……っ、ちが、違う。私はアンタが恐いんじゃない。ただ……」
「ただ、なんだ?」
私は言葉を紡ぐ。けれど、やはりうまく言葉が出て来ない。けれど、ここで黙ってしまったら駄目だと思った。
だから、私は勇気を出してもう一度口を開いた。
「……っ! リースは、私の知っている遥輝は優しい人だよ。でも、今のアンタは優しくない」
「…………」
沈黙が続く。リースは目を丸くしたまま何も言わなかった。
やっぱりこんなことを言ったところで彼に届かないのかもしれない。そう思った時、彼がフッと笑みを浮かべた。
それは、とても冷たく暗いものではあったが。
そして、再び冷たい空気が流れる。
しばらくすると、彼は笑いが堪えきれないというように大きな手で顔を一掃し、私を見下ろす。
「何を言うかと思えば、そんなこと」
「そんな事って……」
「俺は十分優しいと思うが? お前の趣味にも付き合い、お前がどれだけ俺に興味を示さずとも愛し続けた。お前の趣味に口を出すことも、お前の言いつけを守って学校では他人のフリをすることも……全てお前のために。これが優しくなくて何だと言うんだ」
「……それは」
遥輝が言いたいのは、前世の私達の関係についてだろう。
彼自身は、闇に飲まれていることに気づいていないのかも知れない。飲まれて、見えなくなっているのだ全てが。
「俺は耐えてきた。お前が幸せならそれでいいって、お前の幸せが俺の幸せだって思って生きてきた。だから、お前が何をしようがそれがお前の幸せならと……だが、一緒にいればいるほど、お前に触れたくなって、お前の全てが欲しくなって、底の見えない欲がわき出てきた」
そう言うと、彼はゆっくりと私の頬に触れる。私はビクッと身体を震わせた。
すると、彼の手が止まる。
その手は微かに震えていた。きっと、私が恐怖で怯えていると思っているのだろう。少しだけ見えた彼の残った残心に少しの希望が見えた。彼が自分の欲と、私を傷つけまいとする心と戦っていることを。
「巡……」
私の本当の名前を呼ぶ彼は、酷く痛々しかった。弱々しかった。
抱きしめたいのに、身体が動かず、私ただただ悲しい彼をみることしかできなかった。
「自分の底知れない欲でお前を傷つけてしまいそうで怖かった」
彼の声は、震えていた。今すぐにでも泣き出してしまいそうなほど、悲しみに満ちたものだった。
私は、無意識のうちに手を伸ばした。ようやく伸ばした手が届きそうだったのに、しかし、あと数センチの所で思いとどまる。
彼に伸ばしかけた手を握りしめる。
彼を許せる?
と、酷い私が話しかけてくる。先ほどの闇飲まれた彼にキスされたこと。ファーストキスだったのに、あんなに強引に酷く奪われてしまったこと。それをどう思うのかと問いかけられる。
私は答えられなかった。
ただ、怖いという思いだけが残っていた。
けれど、それでも。
(……遥輝をこのまま放っておけない)
私には、もしかしたら彼を救うことができないかもしれない。でも、側にいてあげたいと強く願う。
私は勢いで飛び出して、私にしか助けられないと豪語したけれど、私じゃなくてトワイライトの方が彼を助けられるのではないかと弱腰になってしまう。彼女は優しくて理想のヒロインで、遥輝がリースとして攻略キャラとして物語に世界に組み込まれているのなら、もしかしたら私が助けるべきじゃないのかも、私なんかが助けられるわけないんじゃないかって。
何でこんなに弱腰になっているのだろうと、弱音を吐いているのだろうと自分で自分が嫌になった。
先ほどの怖いキスのことを思い出して、身体が震え始めた。ここが混沌の中であること、負の感情の巣窟であること。気をしっかり持たなければ自分も飲まれてしまうことなど分かっているはずなのに。
「巡?」
「……リースは、遥輝は、何で私が好きなの?」
「何だ急に」
「いいから教えてよ」
私は震える声で彼に問いかけた。
すると、彼は躊躇いがちに話し始めた。
「……お前に初めて会った時、お前は俺の事よりパンを優先しただろ? その後も、俺が話しかけても俺の事なんてどうでもイイみたいに」
と、彼の口から零れた言葉は私に恋なんてするわけない見たいな内容だった。
「でも、俺にはそれがよかった。俺を好きだという奴らは皆容姿や、勉学スポーツができるという表面上の価値、俺しか見ていなかったからな。それが不快だった。俺は、努力して積み上げたものをそんな言葉で片付けられることに」
ギリッと奥歯を噛むリース。
そういえば、彼は何でもできる完璧イケメンだったなあとぼんやりと思った。でも、彼のいったとおりそれが努力なしに積み上げられたものでないことは私も一目で分かった。遠くから見ていれば、何でもそつなくこなせる完璧だが、彼と話してみればそれが努力によって成り立っているものだって分かった。
私もそうだったから。
(ああ、だからかも知れない……)
「だから、お前が俺に興味がなかったこと……そんな人間と出会ったのは初めてだった。気づいたらお前を目で追っていた。そうしている内に、お前から目が離せなくなって、好きになっていた。お前は俺の努力を見てくれていただろ?お前は俺の表面上の価値ではなく、俺という人間を見てくれていた。お前だけは、俺という存在を見ていた」
かなり美化されている気もしたが、彼から見た私とはそういうものなのだろうと、思った。
確かに私は彼の必要以上に褒めたりしなかった。それは二次元に没頭していたからって言うのもあるけれど、何となく遥輝は褒めて欲しいという感じではなく分かって欲しいという感じだった。静かに寄り添って欲しいというような。
リースは、私を愛おしそうに見る。
彼がそんな風に私を好きになっていったんだと、彼の口から語られて少しだけ心が温かくなった気がした。けれど、見つめられている冷たいルビーの瞳を見れば、その考えはすぐに流される。
「巡は、俺の事どう思っていたんだ?」
そう、私は一番困る質問を投げかけられた。
どう思っていたかなんて今でも分からない。私がどうして彼を恋人として何年も側に起き続けていたのか。
リースは私の返答を待っていた。私は口を開くことが出来なかった。
「……分からない」
口から出たのはそんな言葉だった。
リースはその言葉を聞いて、酷く傷ついたような表情を浮べた。そうして、私の頬を包むように手を当てる。
「巡……俺は十分待った」
そう言うと、彼は私の頬を撫でた。
私の頬に添えた手は、酷く冷たかった。まるで、氷のように。
そして、ゆっくりと顔が近づいてくる。私はそれに抵抗できなかった。
そうして、また唇が重なる。今度は触れるだけの優しくて切ない接吻。
「……巡」
私の名前を口にし、彼は私の肩に顔を埋める。
私は、ただただされるがままになるしかなかった。抱きしめればよかっただろうか? 私の腕は空を切るばかりで何も意味をなさない。
しばらくして、彼はゆっくりと顔を離す。
私は、彼の悲しそうな苦しそうな複雑な表情を見て、思わず目を逸らす。
「ここにいれば、俺は幸せになれるんだ。俺もお前も。二人だけの世界だ」
「ダメだよ……そんなの」
「何故だ?」
「……皆リースのこと待ってる」
「誰も待ってはいない」
私は、必死に彼を説得するが、彼は頑なだった。
どうすれば、彼を説得できるだろうかと、彼の閉ざされた、囚われた彼の心を救うには。
沈黙が流れる中、リースは私を説得するように喋りかける。
「巡もここにいればいい。ここなら、お前を傷つける者は誰もいない。お前はもう苦しまなくて良いんだ」
「……」
「お前を縛るものは何もない。俺はずっと側にいる。お前を永遠に守り続ける。俺が守る。お前を傷付ける奴は誰であろうと許さない」
「それでも、私はここにいられない」
そう私が言えば、リースの目は大きく見開かれた。
拒絶するわけではない。でも、この二人だけの世界は否定したかった。そんなの幸せでも何でもない。
「……何故だ?」
「リース」
「何故分かってくれない? 俺だけを見てくれない?」
「リース!」
「誰がお前を――――」
ブワッとリースの身体から闇が溢れ出した。
私は咄嵯にリースを押し倒し、彼から離れる。
すると、今まで私が立っていた場所が足下から崩れ始める。いや、沼に引きずり込まれていくような感覚。
「……っ」
「巡と俺の邪魔は全員殺す」
「リースダメッ!」
私は、彼を掴もうと手を伸ばすが、その瞬間グッと足を引っ張られ、私は闇の中に引きずり込まれる。息苦しい、暗い海の底へと落ちていく。
最後に見えたリースの顔は、どんなのだったかな。
(あ……ぁ……)
沈んでいく感覚に、私は抵抗することができず目を閉じた。