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プロローグ
僕の人生は、いつも誰かの「ついで」だった。
進路も、部活も、休日の過ごし方も。
「なんでもいいよ」と言って笑っているうちに、気づけば自分の意志で選んだものなんて何一つなかった。
ただ、波に流されるように生きていた。
そんな僕が――彼女と出会って、世界が変わった。
いや、僕自身が変わり始めたんだ。
あの春の日、風に舞う桜の中で彼女は言った。
「ねえ、なんでそんなに他人任せなの?」
それは、優しさでも責めでもなく、ただまっすぐな疑問だった。
その瞬間、僕の中の何かが静かに目を覚ました。
無色の春
高校二年の春。
クラス替え初日。僕はいつものように、「誰と仲良くなろうか」を他人の判断に任せていた。
「ねえ、翔太。隣の席、例の美術部の子じゃん」
親友の航太が、僕の耳元で囁いた。
視線を向けると、長い黒髪に透明感のある肌、どこか影のある瞳の少女が座っていた。
彼女の名前は、一ノ瀬 澪。
噂では、少し変わり者。でも成績も良くて、美術のコンクールでは全国入賞経験もあるらしい。
「話しかけてみたら?」と航太は面白がって言ったけど、僕はいつも通り、「いや、やめとくよ」と笑ってごまかした。
だけどその日の放課後、僕はふとしたきっかけで、彼女と二人きりになる。
校庭裏のベンチ。風が桜の花びらを運んでくる。
「……あなた、いつも周りに合わせてるよね」
唐突に、彼女がそう言った。
「え?」
「なんとなくわかるの。そういう人。目の奥が、ちょっと寂しそうだから」
彼女の言葉は、まるで僕の心の奥を覗いたようだった。
「……別に、困ってないし」
「ううん、本当は困ってる。気づいてないだけ」
その瞳に、なぜか嘘がつけなかった。
彼女の言葉が、胸の奥に小さな火を灯した気がした。
近づくと、見えてしまうもの
澪と話した次の日から、僕はなるべく彼女を避けるようにしていた。
理由は、自分でもはっきりとは言えなかった。
ただ、彼女のあのまっすぐな瞳が、僕の中の「何か」を暴くようで怖かったのだ。
「一ノ瀬さんって、翔太と話してたよね?どうだった?」
教室で誰かが言った。何気ない会話。それすら、少し重かった。
「……別に、普通だよ」
僕は曖昧に笑った。
笑うことに慣れている顔だ。自分でもそう思う。
けれど澪は、そんな僕を見ても、何も言わない。
毎日同じように席に座り、同じようにノートをとり、同じように教室を出ていく。
まるで、僕が話しかけてこないことを知っていて、受け入れているようだった。
それが、余計に胸に刺さった。
──放課後。
廊下の窓から差し込む夕日が、床を赤く染めていた。
僕が靴を履き替えて帰ろうとしたその時、ふと背後で声がした。
「……翔太くんは、ほんとは話したい人なのに、話すことから逃げるんだね」
振り返ると、澪が立っていた。
でも、彼女の表情には怒りも呆れもなかった。ただ、少しだけ寂しそうな目。
「違うよ、僕は……別に、無理に話さなくても」
「うん、無理にはしない。でも、それじゃ何も始まらないよ」
そう言って、彼女はゆっくり歩いて去っていった。
残された僕は、手のひらを見つめた。誰かと繋ぐことを、ずっと恐れていたのかもしれない。
自分を知られるのが怖くて。
何もない僕がバレるのが、怖くて。
選ばないことの癖
人には「癖」がある。
噛み癖、貧乏ゆすり、話すときに髪を触る癖。
僕には、「決めない癖」があった。
気づけば、いつも誰かの後ろを歩いていた。
──それが、いつからだったのか。
中学二年の秋。あの頃の僕は、まだ少しだけ「自分の考え」を持っていた。
美術部に入りたいと思っていた。
絵を描くのが好きだったわけじゃない。ただ、白い紙に何かを埋めていく感じが、心地よかった。
「美術部?地味すぎだろ〜翔太、お前ならサッカー部いけよ!」
そう言ったのは、クラスでいつも輪の中心にいる陽介だった。
僕は何も言えなかった。否定も肯定もできず、ただ笑って「そっか」と答えた。
その日、提出した入部届には、「サッカー部」と書いた。
それが、最初の「選ばなかった日」だった。
「なんでサッカー部入ったの?」と親に聞かれたときも、「楽しそうだったから」と答えた。
でも本当は、誰かに笑われるのが怖かっただけだ。
──それからだった。僕が流されるようになったのは。
クラスで流行ってるゲームも、みんなが好きって言う音楽も、「いいよね」って口に出して言って、気づけば、それが自分の本音になっていった。
何が好きで、何が嫌いなのか。
気づけば、自分でもわからなくなっていた。
放課後の帰り道、澪の言葉が思い出される。
「翔太くんは、ほんとは話したい人なのに、話すことから逃げるんだね」
たぶん、僕はずっと逃げてたんだ。選んで傷つくくらいなら、最初から選ばない方が楽だから。
でも澪は、それを見抜いていた。
そして、逃げた僕を責めることなく、ただ、向き合おうとしてくれていた。
風が吹いた。
顔を上げると、誰もいない夕暮れの空が、静かに広がっていた。
いないことで気づくこと
澪が、学校を休んだ。
朝のホームルーム。彼女の席がぽっかり空いているのを見たとき、不意に胸がざわついた。
(……まあ、たまたまだろ)
自分に言い聞かせる。風邪か、何かだろう。
でも次の日も、そしてその次の日も、彼女の席は空っぽのままだった。
──いつからだろう。
教室のどこかに、彼女の気配を探すようになっていたのは。
金曜日の放課後。帰り支度をしていると、偶然耳に入った会話。
「一ノ瀬さん、風邪だって。今日も欠席だよ。結構しんどいらしい」
その言葉を聞いて、僕の足は勝手に動き出していた。
夕暮れの坂道。スマホの画面には、以前美術のプリントを渡したときにもらった住所が残っていた。ただの配達係だったはずなのに、なぜか削除していなかった。
(なんで、行こうとしてるんだ)
自分でも理由はわからない。ただ、どうしても「知らないふり」ができなかった。
インターホンを押すと、しばらくして小さな声が返ってきた。
「……誰?」
「僕、翔太。クラスの。えっと……ちょっとだけ、プリント持ってきた」
沈黙のあと、カチッと玄関のロックが外れた。
玄関先に立っていた澪は、顔色が悪く、体も少しふらついていた。
「……ありがとう。でも、なんで来たの?」
彼女は、真正面からそう聞いてきた。相変わらず鋭くて、やさしい問い方だった。
「……わからない。でも、気になったから」
僕の声は小さかった。でも、嘘はなかった。
「そっか。……じゃあ、ちょっとだけ上がる?」
驚いた。でも、うなずいた。
彼女の部屋は、絵の具の匂いがした。壁にはいくつかのスケッチが貼られていて、窓際の机には未完成のキャンバスがあった。
「……最近、描けてないんだ」
彼女がぽつりと呟いた。
「描けない時って、ある?」
「うん。自分が透明みたいに思えるとき、特に」
澪の声はかすれていたけど、その目はしっかりこちらを見ていた。
「……翔太くんは、逃げるの、やめたいと思ったことある?」
その問いは、僕の奥にあった小さな痛みに触れた。
「あるよ。ほんとは、ちゃんと選びたいんだ。……でも、まだ怖い」
そう答えると、澪はふっと微笑んだ。そして、小さく言った。
「じゃあ、最初に私を選んでよ」
一瞬、時間が止まったようだった。
「別に、恋とかそういうのじゃなくていい。ただ、“会いに来る”っていう選択を、私に向けてしてくれたら、うれしい」
彼女の声は、少しかすれていたけど、それ以上に温かかった。