私の名前は『サヤ』。
この世界で生まれ育った女の子だ。
私は生まれつき体が弱くて、ずっとベッドの上での生活を余儀なくされていた。
小さい頃は学校にも通えず、友達なんて一人もいなかった。
だから私はいつも一人で本を読んでいた。
そんな私にとって唯一の話し相手だったのが【妖精さん】だ。
彼女はいつも私の隣に居てくれた。
私の知らないことを教えてくれて、時には一緒に遊んでくれたりした人がいた。
今思うと不思議な人だったけれど、確かにいたのだ。
あの人のことを思い出そうとするたびに、何故かいつも同じ記憶が蘇ってくる。
――それは、ある日のこと。
「ねぇ、お兄ちゃん。どうしてこんなに暑い日なのに外に出てないの?」
「だって僕は外に出られない身体だからね」
「ふーん。それじゃあ今日は何して遊ぶ?」
「そうだなぁ。この前の続きをするかい?」
「夢中になる」「没頭する」という言葉がある通り、「夢」という言葉は「眠っていて見る夢」という意味ではなく、「現実を忘れるほどに熱中すること」を指す。つまり夢を見るということは「現実逃避」の一種であると言えるのだが、しかし同時に「夢」というのは「未来への希望」でもあるのだ。「将来こんなことをしたい!」という願望や目標が形となって現れることが「夢」であるならば、それは何も子どもだけに限った話ではないはずだ。夢を見ることは誰だってあることなのだから、それはもう立派な「成長」だと褒め称えるべきだ。
例えばスポーツ選手になりたいと思った時、君はどんな努力をしただろうか? スポーツの練習に励んだり、トレーニングをしたり、試合で結果を出したり。もちろん、人それぞれだと思うけど。しかし、君が望むような結果が出せなかったらどう思うだろう? 才能がなかったとか、運がなかったとか言う人もいるかもしれないね。でもそれは言い訳に過ぎないと思うんだ。結局、諦めずに最後までやり遂げられた人が勝つんじゃないかな。だから僕は、君の事を応援したいと思っているよ。頑張ってほしいな。
君はまだ若いんだ。これからいくらだってチャンスはあるはずだろ? それに君は優しい子だ。きっと良い奥さんになれるよ!
「うん……」
そう言って彼女は笑った。
けれどそれは、まるで自分の心を映しているようで……
ああ、なんて痛々しい笑顔なんだろうか……。
あの日見た空の色を忘れない。
忘れることなんかできない。
あの日の僕たちは確かにいたのだ。
あれほど愛しいと感じた日々はなかった。
あの頃の僕は今よりもずっと愚かだった。
だから、 もう二度と戻らない時間だと分かっていても、 思い出さずにはいられないのだ。
「私ね、この村が好きだよ」
「うん。俺も好きだ」
僕らが出会った場所は村の外れの丘だった。
そこで初めて彼女に会った。
丘を越えてどこまでも続く草原のように……
どこまでも広く深く続いている愛情……
それはまるで果てしない海原のごとく、 すべてを包み込むような優しさがある。
そこには苦しみもなく痛みもない。
穏やかに凪いだ心の安らぎがあるだけだ。
愛することの喜びがあり、愛の温もりがある。
そして、愛する人と過ごす日々がある。
たとえ離れていても、同じ時を共有しているだけで幸せだ。
相手を信じることこそが、この上ない幸福なのだ。
そして、ふたりの間に育まれるものがある。
やがて生まれてくるであろう我が子への深い慈しみもある。
愛する人の笑顔を見るたびに思うのだ。
ああ、これが幸せなんだなって。
いつまでも一緒にいたいなあって。
だから私は誓うよ。
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