テラーノベル
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全ての支度を終えたリリアンナが玄関ホールへ降りると、見慣れた後ろ姿があった。
「……クラリーチェ先生」
名を呼ぶと、振り返った彼女がほっとしたように微笑む。
「よかった。……お見送りに間に合いました」
控えめながらも誇らしげなその視線に、リリアンナの胸の奥がきゅっと締めつけられる。
立ち居振る舞い、言葉遣い、視線の置き方。
今日この日のために教わってきたことが、すべて試される日なのだ。
「とても綺麗ですよ、リリアンナ様。……ここまで本当によく頑張りましたね」
クラリーチェはそう言って、そっと手袋越しにリリアンナの手を包む。
「どんな視線を向けられても、あなたはあなたでいて? ――背筋を伸ばして、凛とした態度で。決して呼吸を忘れないこと」
リリアンナは小さく頷いた。
「はい……。私、クラリーチェ先生に教えていただいたことを無駄にしないよう頑張ります」
言葉ではそう言いながら、リリアンナの心の中はざわついている。何年もかけてクラリーチェが教えてくれたことを全力で体現しなくてはいけないのに、心の奥にどうしても拭えないざわめきが残っていて、ベストを尽くせる気がしない。
(クラリーチェ先生、ごめんなさい……。私……)
心配そうに眉根を寄せるリリアンナに、クラリーチェが優しく微笑みかける。
「そんなに泣きそうな顔をしないで、リリアンナ様。大丈夫。あなたはただそこに黙って立っているだけで、十分美しいのだから」
クラリーチェの優しさが、胸に痛かった。
「……ありがとう……ございます」
瞳を潤ませるリリアンナを、クラリーチェがそっと抱き寄せる。
ナディエルは、そんな二人の様子を背後でそっと見守りながら、今から乗る馬車の中で、ランディリックがリリアンナの心のわだかまりを少しでも取り除いてくれることを祈らずにはいられなかった。
「リリアンナお嬢様、そろそろ……」
名残惜しそうに抱き合う二人に、執事のラウが申し訳なさそうに声を掛ける。
「ランディリック侯爵様がすでに外でお待ちです」
その声にリリアンナが小さく肩を震わせたのを、ナディエルは見逃さなかった。
「行ってらっしゃい、リリアンナお嬢様」
クラリーチェも思うところはあるだろうに、これ以上リリアンナを引き留めることは得策ではないと思ったんだろう。
スッと身を引くと、リリアンナに別れの言葉を告げた。
その声に背中を押されるように、リリアンナは玄関先へ進む。
そんな主人のあとをナディエルは影のように付き従い、そして――そこで足を止めた。
外にはすでに馬車が用意されていて、その傍らには、――正装に身を包んだランディリックが立っていた。
いつもよりも整えられた装い。
社交界の場にふさわしい、付添人としての洗練された姿。
親子に近い年の差を差し引いても、うら若き貴族令嬢・リリアンナの横へ立つのに、彼ほど適任者はいないように思われた。
そんなランディリックの姿を見るなり、リリアンナの足がほんの一瞬、ためらうように止まる。
「……リリー」
名を呼ばれ、視線が合う。
ランディリックの表情も、先ほどのことを引きずっているんだろう。いつもよりずいぶん硬い。だが、そこにあるのは苛立ちではなく、明らかな緊張だった。
「馬車で……道すがら少し話をさせてほしい。どうしても、伝えなければならないことがあるんだ」
逃げ場は、もうない。
ここで拒めば、それこそ〝何もないまま〟会場へ行くことになる。
「……分かりました」
そう答えた自分の声が、リリアンナには他人事のように聞こえた。
コメント
2件
ちゃんと話せるかな?
どうなるんだろう。