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前職は舞妓
425
きょう
171
「……また、出やがった」雨の降りしきる深夜の事件現場。
黄色い規制線テープの向こう側で、俺は火のついていない煙草を乱暴に噛み潰した。
高架下のぬかるんだ泥の上に横たわる、まだ幼さの残る20代前半の女性の遺体。
濡れたレインコートを着た鑑識官たちが黙々と写真を撮り、青白い閃光が夜の闇を幾度も切り裂いている。
「……先輩。これで、三人目です」
隣に立つ佐藤が、雨と涙で顔をグシャグシャに濡らしながら拳を握りしめていた。
ワイシャツの袖が震えているのは、雨の冷たさのせいだけじゃない。腹の底から湧き上がる激痛のような怒りのせいだ。
連続強姦殺人事件。
ここ一ヶ月の間で、夜道の女性を狙った卑劣極まりない凶行が相次いでいた。
一人目、二人目、そして今日の三人目。
犯人は雨の夜、一人歩きの女性を暗闇から襲い、暴行を加えた上に首を絞めて命を奪っている。防犯カメラの死角を熟知し、DNAの採取を免れるための処置まで施している手慣れたクソ野郎だ。
「……峯岸さん」
背後から、小さな足音が近づいてきた。
傘も差さずに濡れたアスファルトを踏みしめて立ち尽くしていたのは、渚だった。
ブレザーを雨で重く濡らし、いつもは冷めているその瞳が、悲しみと恐怖で激しく揺れている。
「……渚。見るなとは言わねぇ。だが……無理はするな」
俺がそう声をかけると、渚は唇を噛み締め、小さく首を横に振った。
「……大丈夫。ううん……大丈夫にしなきゃいけない。……この人、すごく苦しかったはずだから」
渚はぬかるみの中に膝をつき、雨に濡れた遺体の傍らへと手を伸ばした。
被害者の女性の胸元——まだ冷たくなりきっていないその空間へと、震える右手を重ねる。
その瞬間——。
「……っあ……ッ、……ぁあ!!」
渚の口から、悲痛な喘ぎ声が漏れた。
激しい過呼吸を起こし、全身をガタガタと打ち震わせて泥の上へ倒れ込む。
「渚!」
俺は速攻で身体を伏せ、渚の細い肩を抱きかかえた。
渚の瞳は焦点を失い、雨の降る夜空を虚ろに見つめている。
犯人の身勝手で醜悪な欲望、激しい暴行の痛 we、首を絞められ息ができなくなっていく死の恐怖——その全てが、津波となって渚の脳内に直接流れ込んでいるのだ。
「渚! 離せ! もう十分だ、手を離せ!」
「……ダメ……っ! 離さない……!!」
渚は自分の指が折れんばかりの力で俺のスーツの袖を掴み返し、血が出そうなほど唇を噛んだ。
「……あいつ……笑ってた……っ! 『お前みたいなガキが夜出歩くから悪いんだ』って……ニヤニヤしながら……っ!」
「……っ!!」
俺の腹の底で、ドロリとした灼熱の殺意が跳ね上がった。
「……顔は……見えたか、渚」
俺が低く問うと、渚は激しい吐き気に襲われながらも、必死に言葉を絞り出した。
「ううん……黒いレインコートのフード……深く被ってて……顔は陰で全然見えなかった……。でも……っ!」
渚は自分の右手を強く握りしめた。
「……首を締められた時……必死で犯人の腕を振り払おうとしたの。……その時、犯人のレインコートの袖口から……『匂い』がした」
「匂い……? どんな匂いだ!?」
「……機械油の……焦げた匂い。それと……手の甲に、すごく固くて分厚い……ペンダコみたいなマメの感触……!」
「機械油に……手の甲の分厚いマメ……」
俺はメモ帳を取り出すまでもなく、そのキーワードを脳裏に刻み込んだ。
普通のサラリーマンや学生の手じゃない。金属加工や車の整備、あるいは機械修理に日常的に従事している人間の手だ。
「……佐藤」
俺が呼びかけると、佐藤は涙を拭い、血の走った目で俺を見つめ返した。
「はいっ!!」
「この管内にある自動車整備工場、鉄工所、機械修理工場……今すぐリストアップしろ。そして、雨の夜に急な残業や不在の多かった『手の甲にマメのある男』を全員洗うぞ」
「了解です!! 本部にもすぐに連絡してローラー捜査手配させます!!」
佐藤が雨の中を駆け出していく。
俺は胸の中で荒い息を吐く渚を抱き上げ、雨を避けるように高架下の乾いたアスファルトの上に座らせた。
「……よく耐えたな、渚。手がかりは十分だ」
「……峯岸さん」
渚は震える手で俺の手首を掴み、涙で濡れた瞳で俺を直視してきた。
「……絶対に捕まえて。……あんな奴、絶対に許しちゃダメ……!」
被害者の無念と、命を削って記憶を読み取った渚の怒り。
その重みを、俺は全身で受け止めた。
「……当たり前だ。俺たちの街で好き勝手暴れ回ったツケ、地獄の底まで取り立てに行ってやる」
俺は火のついていない煙草を投げ捨て、腰のホルダーに収まった冷たい金属の感触を確かめた。
雨はまだ降り続いている。
だが、暗闇の中で女たちを脅かす最悪の怪物に引導を渡すため、俺たちの追撃が始まった。
コメント
1件
読んだぞ、第21話。めっちゃ重くて熱かったわ。雨の夜の臨場感と、渚が遺体の記憶を読むシーンの生々しさがやばい。自分の体で被害者の苦しみをトレースする描写、痛くて涙出た。もっとスッキリした展開を求めてしまうタイプの俺でも、この切迫感には引き込まれたわ。犯人の手がかりが「機械油の匂い」と「手の甲のマメ」って、職人気質なリアリティあって好き。峯岸の「地獄の底まで取り立てに行ってやる」の台詞、痺れた。次の話、絶対読む。