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「やっと着いたー!」
頭の上に白猫のララを乗せたままカーネは腕を振り上げて喜びの声をあげた。もちろん、控えめな声で。
『お疲れ様でしタ、カカ様』
もう森と言った方が正しいような林を通り抜け、一人と一匹はシリウス公爵家の邸宅からソレイユ王国の城下街の一角であるカルム地区に到着した。ヒト族の支配地域の中でも最大と言えるこの街は活気に溢れ、あちこちで色々な物が売買されている。大小様々なサイズの店舗の小売店だけではなく、目抜通りのシンボルマークとなっている大きな噴水の周囲には露店などもずらりと並ぶ。人通りもかなり多く、ちょっとでも油断すると簡単にはぐれてしまいそうな程である。だがその点ララは街に近づいてからはずっとカーネの頭の上に乗っているので、お互い迷子になる心配はしなくて良さそうだ。
此処まで来るのに馬車でなら二時間程度の距離のはずなのだが、体力の無い“ティアン”の体で歩けば一日近くもかかってしまった。それにより自分の計画があまりに無鉄砲であった事をカーネは足の疲労感で痛感しているところだ。体の事を慮って休憩を何度も取ったのにこのザマだ。『目下の目標は体力作りだな』と、カーネは心に決める。体力が無い事には仕事探しすら不安でならない。
『ところデ、街まで来テ、この後はどうするつもりだったノ?』
「……えっと、まずは住み込みで出来る仕事でも探そうかな、と思ってる」
屋敷の侍女達は皆住み込みで働いていた。貴族のお宅で働くのは高望み過ぎるだろうが、せめて商家のお宅で働ければとカーネは考えている。旧邸ではほぼずっと一人で掃除などをこなしていたから無謀な計画ではない。料理は未経験だが、多分やって出来ない事はないはずだと考えている。
『そうなのネ。……この近くで、となるとやっぱりセレネ公爵家かしラ。あとは王宮か貴族のタウンハウスで雇って貰うって手もあるけど、そうなると紹介が無いと厳しいわネ』
「ん?セネレ公爵家は紹介がなくても雇って貰えるの?」
『アタシにコネがあるワ。絶対大丈夫ヨ』
「そ、そっかぁ……」
実体が無いのに何故⁉︎誰を相手に、どうやってコネを持ったの?と思ったが、そもそも選択肢として選ぶ気が無いので、カーネは敢えてそれを口には出さなかった。
(……セレネ公爵家は絶対に駄目ね。この体ではメンシス様に会いたくなくって逃げたのに、今度は『雇ってくれ』とか、どの面下げてって感じだし)
「もしくは、治療魔法が少しは使えるから、治療院で雇ってもらえないかな」
『ふム。悪くない考えネ。じゃあ目下の所はそのどちらかで考えてみるとしテ、ひとまずは今夜の宿に向かうとしましょうカ。ア、でもその前に換金が先ネ』
「……換金?」
『ソ。カカ様の所持しているお金は古銭なノ。持ち出した宝石も全部売っテ、お金にしちゃいましょウ』
「そ、そうだね」
(何で、そこまで知っているんだろう?)
あの時は絶対に誰も周囲には居なかったはずなのに、何故そこまで知っているのか不思議でならない。だけど実体のない存在なら何もかもお見通しであってもおかしな事ではないのかな?とカーネは思う事にした。
ララの案内で行った古物商に宝石と古銭の金貨を全て売り払ったおかげで、カーネの懐は随分と暖かくなった。だが困った事に彼女には金銭感覚が全く無い。街まで出た経験も無いので当然買い物のやり方もわからないし、このままではぼったくられても全く気が付かないで支払ってしまうだろう。だが、その辺もララにこっそりアドバイスを貰いながら何とか切り抜ける事が出来た。
カーネが初めて買ってみた品は露店に売っていた一個の林檎だ。2クラン程度の安い品だが、カーネにとっては初めての経験で、心臓はバクバクしっぱなしだった。
「か、買えた……」
「毎度ありー!」と言う店の店主の言葉を背にしながら、カーネとララが噴水の側に向かい、縁に座る。
『良かったわネ。あの店で買って正解だったでしょウ?』
「うん」とカーネは素直に頷く。
ララから貰った眼鏡を通して見た街の人々は無色の者ばかりだった。すれ違う人の中には髑髏マークの付いている人がちらほらいたのでそれは避けつつ、目が合った瞬間にぱっと暖色系の色味を纏った店主の店で買い物をする事にした。
明るい色を纏う人は軒並み好意的な感情を持っている。暗い色か髑髏マークを避ければいいんだなと改めて学び、実地体験は本当にいい勉強にもなった。
『食べてみたラ?』
「そうだね」と頷き、鞄からハンカチを取り出して林檎を拭く。「ララも食べる?」とカーネは訊いたが、『人前だシ、やめておくワ』と断られた。
真っ赤な林檎に口を付け、シャクッと音を立てながら噛み、ゆっくり味わいながら咀嚼する。沢山運動した後だからか余計に美味しい気がする。きっとこれ以上美味しい林檎とは二度と巡り会えないだろうなとカーネが思っていると、ララが思い付いた様に口を開いた。
『もう夕方も近くなっているシ、この後は宿屋に行ってみなイ?今日これからいきなり仕事先を見付けるのは無理があるシ、今夜は宿屋で凌いデ、まずはそこを拠点にしましょウ』
「そうだね。そうしようか」
『街外れに“月下草”という名の宿があるノ。そこが安全だかラ、今夜はそこに泊まりまショ』
「“月下草”?」
『うン、こっちヨ。ついて来テ』
そう言って、ララが音もなく地面に降り立って宿への案内を始める。カーネは鞄を掴み、彼女に続いた。
「それにしても、珍しいね。この国で“月”の文字がつくお店の名前って」
太陽神・テラアディアを信奉しているソレイユ王国では、月の女神を連想する『月』の文字を使う事はとても少ない。毛嫌いされた文字という程ではないにしても、神殿で語られている月の大神官・ナハトの物語のせいで『裏切り』を連想する者が多いのが現状である事は、街に出た経験がなくても知っている程周知の事実である。
「そう言えば、さっきの古物商の名前も……確か、“月の雫”だったね」
“月”の文字を店名に取り入れている店は数少ないはずなのに、最初の古物商も次の店も。二軒とも“月”がつく。たったの二軒だけではあれども、ただの偶然と片付けるには、この国ではちょっと難しい。
『えェ、そうネ。この街で何か困った事があったラ、“月”の文字の入る店に飛び込めば助けてくれるわヨ。まァ、そもそもアタシがカカ様を一人で放置する事はないけどネ』
「えっと、それはどうして?何故助けてもらえるの?」
ララが少し振り返り、『何処も真っ当な者がお店を任されている店だからヨ』と言ってニコッと笑う。その笑顔に懐柔され、カーネは素直に「そうなんだね」と返した。
『じゃア、急ぎましょウ。暗くなると街の姿が一変しちゃうかラ』
「そうなんだね、わかった」
夕暮れにはまだ早そうな時間帯だが、目的地である宿は街外れにある為、ララが少し足早で歩き出す。それに続くカーネの姿を少し遠くからじっと見ている者が居た事に彼女は気が付いてはいない。
それがたとえ、熱い想いをのせた視線であっても。