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「……アリスさんの魔法、効かなかったみたいだね」
そう口にしたのは、榎先輩だった。
どうやら先輩もわたしやユキと同じように、アリスさんから夢を見ないよう魔法をかけてもらっていたらしい。
それなのに、わたしたちはこうしてまた、夢の中に閉じ込められてしまった。
窓の外は相変わらず闇に閉ざされており、それなのにも関わらず、廊下は薄ぼんやりとしていて微妙に明るく、まるでたまにイベントでやっているお化け屋敷か何かのようでとても不気味だ。
たぶん、榎先輩と一緒でなければ堪えられなかっただろう。
「これも、楸先輩の夢の中なんですかね?」
わたしが訊ねると、榎先輩は小さく首を傾げながら、
「さぁ?」
と何とも言えない返事を寄越した。
「あたしも最初はそう思ってたんだけど、何だか様子が違うんだよね」
「様子が違う?」
わたしも首を傾げると、榎先輩は「そう」と頷き、
「なんて言えばいいんだろう。あたしもまだ魔女として修業中だから、いまいちわからないんだけど、何となくわかるんだ。この雰囲気、真帆の色と違うって」
「楸先輩の、色?」
「真帆ってさ、あの子の瞳を見ればよく解るんだけど、たまに虹色の不思議な光を放ってるんだよね。気づいてた?」
「えぇ、はい」
「あれが真帆の帯びている魔力の色なわけ。でも、ほら」
と榎先輩はそっと白い壁に手をやり、
「――わかるかな? この夢、真帆の帯びている魔力より、ずいぶん黒いんだよ」
わたしもつられてその壁に触れてみたのだけれど、いまいちよく判らなかった。
ただ、何となく青とも黒ともつかない、グルグルしたイメージが一瞬、脳裏に浮かんできたような気はした。
「すみません、よく、わからなくて……」
戸惑い気味に答えると、榎先輩はあいまいな笑みを浮かべながら「そっか」と小さく口にして、
「まぁ、とにかく、あたしはこの夢、どうも真帆のじゃない気がしてならないんだよね」
「そうなんですか?」
「根拠はないんだけどね。ほんと、なんて言えばいいのかなぁ。邪悪、とも違うんだけど、なんかそわそわする感じ、わかる?」
「う~ん……」
言われてわたしはもう一度壁に意識を集中させた。
目を閉じ、ぼんやりとした薄闇の中に見えたのは――人影。
わたしはハッとして思わず壁から手を放し、数歩後ずさった。
それに対して、榎先輩は、
「なに? どうかした?」
慌てたように駆け寄ってくると、わたしの肩を優しく抱いた。
私は首を横に振りながら、
「――今、何か人影が見えて」
「え? どこに?」
辺りをきょろきょろする榎先輩に、わたしはもう一度首を横に振って、
「壁に振れた時に、見えたんです。瞼の裏に、ぼんやりとした人影が」
「瞼の裏に?」
「はい」
短く答えて、わたしはもう一度、壁の方に手を伸ばした。
「え? 大丈夫?」
訊ねてくる榎先輩に、わたしは、
「たぶん」
答えて、壁に右手を押し付けて――
「……」
けれど、今度は人影なんて見えなくて。
「どう?」
代わりに見えたのは、ぐるぐるとした青と黒の小さな渦巻き。
――これは、夢魔?
わたしは壁から手を放し、瞼を開いて榎先輩に顔を向けた。
それから口を何度か開こうと試みたのだけれど、今しがた瞼の裏に映った夢魔らしき影をどう説明したらいいのか、自分でもよく判らなくなってしまった。
まるで一瞬にして思考に靄がかかってしまったかのように判然とせず、頭の中から雲散霧消してしまったような感じだった。
わたしはその感覚に違和感を覚えながら、けれどそれ以上の感情なんて全くなくて。
「……いえ、やっぱり、なにも見えませんでした」
「ん? そっか」
どこか納得いかないといった感じだったけれど、榎先輩もそれ以上追及してくるようなこともなかった。
代わりに榎先輩はわたしの右手を軽く掴むと、
「とりあえず、先に行ってみようか」
「……はい」
わたしもそれに頷いて、再び廊下を歩き始めた。