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ゆうき あきや
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#心理描写重視
第207話:十勝川の主(巨大イトウ)の降臨と、シロ様への平伏
雪解け水が流れ込み、力強い水音を響かせる春の十勝川。
日々の激しい農作業の合間を縫って、俺たち限界集落の陣地メンバーは、貴重なタンパク源の確保と慰労を兼ねて川釣りに来ていた。
「お兄さん! なんだか今日はいっぱい釣れそうな気がしますよ!」
「ああ。雪解けの時期は水中の酸素濃度も上がり、魚たちの活動も活発になる。兵站(ロジスティクス)拡充の好機だ」
小春ちゃんがウェーダー(胴付長靴)を履きこなし、楽しそうに釣り竿の準備をしている。
俺もOD色の作業着の上にライフジャケットを装着し、川岸の安全確認を怠らない。
陣地の最終防衛ラインたる巨大ヒグマは、浅瀬に立ち込んで器用に前足で魚を狙い、純白の神獣シロ様は、川辺の乾いた大きな岩の上を特等席にして、ぽかぽかと春の陽射しを浴びている。
サファイアブルーと琥珀色のオッドアイが、川の水面を静かに見つめていた。
ジンバルに固定されたスマホからは、五千万人の同接リスナーに向けた大自然の釣り配信が流れている。
『うおおお! 大自然の川釣り最高!』
『シロ様が岩の上で香箱座りしてるの尊すぎる……』
『クマが普通にシャケ待ちしてるの草』
和やかな空気が流れていた、その時だった。
ギュイイイイイインッ!!
小春ちゃんが持っていた釣り竿が、ありえない角度で限界までしなり、リールのドラグが悲鳴のような音を立てて逆回転を始めた。
「きゃああっ!? お、お兄さん! なにか、すっごく重いのが……っ!」
「小春ちゃん、無理をするな! ヒグマ、援護しろ!」
小春ちゃんが川に引きずり込まれそうになった瞬間、巨大ヒグマが「グォォッ!」と咆哮を上げ、二足歩行で駆けつけて釣り竿を一緒に掴んだ。
ヒグマの数百馬力にも及ぶ圧倒的なパワーと、小春ちゃんの踏ん張りが、水底の『何か』と激しい綱引きを繰り広げる。
バシャアアアアアッ!!!
凄まじい水しぶきと共に、十勝川の水面を割って『それ』が姿を現した。
全身が鈍い銀色と赤みがかった巨体。まるで丸太のような太さ。
「……は? デカすぎだろ……」
俺の口から、素の驚きが漏れた。
釣り上げられ、川岸の浅瀬で激しく暴れているのは、体長二メートルを優に超える巨大な『イトウ』だった。
日本最大の淡水魚であり、『幻の魚』とも呼ばれるイトウ。
しかし、ここまで規格外に巨大な個体など、生物学的にあり得ない。それはまさに、アイヌの伝承に語られる『十勝川の主』、あるいは川の神(カムイ)そのものであった。
「うわあああ! なにこれ、怪獣!? 川の主様だよ!!」
小春ちゃんが腰を抜かして尻餅をつく。
ジンバルのカメラが巨大イトウを大写しにした瞬間、チャット欄が人類史上最大のパニックに陥った。
『うわああああああ!! ネッシーかよ!!』
『2メートルのイトウ!? ガチで川の神様じゃねえか!!』
『伝説の魚だ! これ歴史的発見だろ!!』
浅瀬で暴れ回る巨大イトウが、その圧倒的な力でヒグマさえも吹き飛ばそうとした、まさにその時。
岩の上に座っていた純白の神獣シロ様が、ふわりと立ち上がり、川の主を見下ろした。
サファイアブルーと琥珀色の瞳が、巨大な魚の目を真っ直ぐに射抜く。
ピタリ。
暴れ狂っていた巨大イトウの動きが、嘘のように完全に停止した。
そして、信じられない現象が起きた。
巨大イトウは、自ら浅瀬を這いずるようにして完全に陸の上へと上がり、シロ様のいる岩のすぐ下までやってくると、二つの大きな前ヒレを地面にペタンとつけ、頭を深く垂れたのだ。
まるで、絶対的な上位の神に対して、ひれ伏して『土下座』をするかのように。
『ミャウ(川の守護、ご苦労様)』
シロ様が小さく喉を鳴らすと、巨大イトウは歓喜に震えるように尾ビレをパタパタと動かした。
神獣による、川の主の完全なる調伏(平伏)。
この文字通り神話の一編のような光景を目の当たりにし、五千万人のリスナーが絶句する中、世界の経済と環境保護を裏で操る超弩級VIPたちのチャット欄が、極彩色の大爆発を起こした。
ピコーン! ピコーン! ピコーン!
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”The River God bows to Shiro-sama!! This is the true hierarchy of nature! I am buying the entire Tokachi River system to protect this sacred fish! Take my 500 trillion yen!“(川の神がシロ様に平伏した!! これぞ大自然の真のヒエラルキーだ! この神聖な魚を守るため、十勝川水系を丸ごと買い取るぞ! 私の五百兆円を受け取れ!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”A legendary creature submitting to absolute beauty! I will establish a global freshwater conservation fund under Shiro’s name! I bid 600 trillion yen to secure the riverbanks!“(伝説の生物が絶対的な美に服従した! シロの名を冠した世界的な淡水保護ファンドを設立しよう! 川岸を確保するために六百兆円を提示する!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$5,000MeTubeギフト)無限連発』
『”Oh my god!! A fish bowing is the ultimate fantasy movie scene!! I’m sending 800 trillion yen to cast that fish in a blockbuster movie with Shiro!!!“(なんてこと!! 魚が土下座するなんて究極のファンタジー映画のシーンよ!! あの魚をシロと一緒に大作映画に出演させるために八百兆円を送るわ!!!)』
総額数千兆円規模の電子マネー(赤スパ)が、川のせせらぎを凌駕するほどの極彩色弾幕となって画面を完全に埋め尽くした。
国家予算どころか、地球規模の水資源買収資金が乱れ飛び、様子を見に来ていた地元漁協の組合長が「ひぇぇぇ……! イトウ一匹に八百兆円……! わしの漁船が笹舟に見えるべさ……!」と呟き、タモ網を抱えたまま気絶している。
誰もが、この世界一美しく、川の主すら服従させる神獣の奇跡に魂を震わせているそのド真ん中で。
俺――アキヤは一人、土下座する巨大イトウのすぐ横に展開したマイ陣地(折りたたみ椅子)に腰掛け、ストイックに薄型の特製タッパーを開けていた。
中に入っているのは、完璧な水加減でストイックに炊き上げられた『氷結状態の玄米おにぎり』と、自家製の『大豆ミートと海藻エキスで作ったフェイク・キャビア』である。
俺は、数千兆円の赤スパのまばゆい光と、陸上で土下座を続ける巨大魚を横目に、一切の感情を排した元・社畜の無表情で、大豆ミートを氷結玄米おにぎりの上に乗せ、淡々と咀嚼し始めた。
ゴリッ、バキッ、モグモグ……。
(……ふむ。氷結玄米の暴力的なまでの硬度と、大豆ミートベースのフェイク・キャビアがもたらす上質な塩分。巨大水棲生物との予期せぬ遭遇というイレギュラー事態においても、己の自律神経を冷静に保ち、擬似的な海産物で脳を満たす究極の兵站食だな)
己の肉体という名のロジスティクスを完璧に維持しながら、俺は水筒の冷やしほうじ茶で喉を潤すと、五千万人を突破して世界の魚類学者の常識を完全に破壊し尽くしているカメラと、腰を抜かしている小春ちゃんにキリッとした真顔を向けた。
いつもの『限界言い訳タイム』の発動である。
「小春ちゃん、特大サイズのタンパク源の確保ご苦労。そして画面の向こうで、ただの水棲生物の異常行動に巨額の資本を投下して川の神の平伏だと騒いでいる皆さまも、全員冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『巨大イトウが土下座して数千兆円が飛び交ってるのに、絶対にブレない男!!!』
『主の限界言い訳タイム・川の神の平伏完全スルー編ww』
『さあ、この明らかにヤバい魚の土下座をどうやって需品科の業務にするつもりだww』
俺は淀みない口調で、極めてフラットに言い放った。
「これは川の神でも、神獣への平伏でもありません。この大型のイトウが陸上で前ヒレをついて停止しているのは、急激に深場から浅瀬、そして陸上へと引き上げられたことによる『急激な水圧の変化』が原因です。魚の平衡感覚を司る三半規管(内耳)が水圧の急減によって致命的なエラーを起こし、空間認識能力を喪失した結果、重力に対して最も安定する姿勢(腹這い)を強制的に取らされているだけに過ぎません。シロ様の方を向いているのも、単に岩に反射した太陽光の光量変化に視神経が反応して、明暗順応のバグを起こしているだけですね。ええ、すべては冷徹な『物理的な減圧症』と『三半規管のシステムエラー』です。私がカチカチの氷結玄米を噛み締めているのも、土下座という名の非科学的な擬人化に惑わされず、一刻も早く水棲生物をリリースして陣地のロジスティクスを正常化させるための、需品科としての徹底した『現実認識防壁構築訓練』です」
「んなわけあるかあああ!!!」
ドガァァァァァンッ!!!!
春ののどかな十勝川の岸辺に、重装甲車のハッチを真っ二つに叩き割ったような凄まじい破砕音が響き渡った。
小春ちゃんが、巨大イトウをすくうために用意していた『特注・マグロ一本釣り用のタモ網の柄(超高強度カーボン製・漁業用鈍器仕様、重量約七キロ)』を両手で軽々と大上段に構え、俺の頭頂部に向かってパーフェクトなフルスイングを見舞ったのだ。
七キロの硬質なカーボンシャフトが肉体に直撃した、鐘を突いたような恐ろしい大爆音が、川面へと虚しく響き渡る。
「ただの水圧の変化と三半規管のエラーで、魚がこんなに綺麗にヒレを揃えて、シロちゃんに向かって崇めるように土下座するわけないでしょうが!! どう見たって、川の主様が、自分よりも遥かに上位の存在である『白き神様』に気づいて、敬意を払ってご挨拶に来た激エモな奇跡でしょうが!! 大自然の神秘が詰まった土下座を、冷たい減圧症とかシステムエラーとかいうお役所言葉で粉砕するんじゃないわよ!! そもそもなんで川の神様の前でフェイクのキャビア食ってんのよ!!」
『小春ちゃんのキレキレ特大タモ網スマッシュ炸裂www(音が完全に攻城兵器ww)』
『水圧の変化による三半規管のエラー(ただの川の神の土下座)』
『明暗順応のバグ(シロ様への絶対的な服従)』
『適応力バグおじさん、ついに伝説の巨大魚の平伏を減圧症に分類しやがったww』
『言い訳が理不尽すぎて、壮大な神話だったのに腹筋が完全に崩壊したわww最高すぎる!!』
俺の理不尽極まりない海洋生物学的な限界言い訳と、小春ちゃんの容赦ない七キロのカーボンツッコミに、五千万人の視聴者たちはロマンへの熱狂から一転、大爆笑の渦へと叩き落とされた。
『ミャウ(ほんと、川の主が挨拶に来ても硬い棒で叩かれないと目が覚めない、特大サイズの鈍感下僕ね)』
岩の上から、純白の神獣シロ様が呆れたように俺を見下ろし、その美しいオッドアイの瞳を優しく細めてゴロゴロと喉を鳴らした。
サファイアブルーと琥珀色の二色の瞳は、数千兆円の電子マネーの輝きよりも遥かに眩しく、春の陽射しの中で、まるで世界中のどんな宝石よりも温かく美しく輝いていた。
浅瀬では、巨大イトウが「バシャッ」と一礼するように尾ビレを跳ねさせて川の深みへと帰っていき、ヒグマが「グゥ〜♪」と満足そうにそれを見送っている。
「……まぁ、理由はどうあれ。陣地に接触した巨大水棲生物が速やかに自然へと帰還し、専属アシスタントによる七キロの質量ツッコミが川辺でも完璧に機能していることが確認できたのなら、作戦としては完全勝利だ」
俺はカーボンシャフトの凄まじい衝撃で痺れた頭をさすりながら、春の風が吹き抜ける十勝川のほとりで、再びタッパーの氷結玄米おにぎりを口に運んだ。
「完全勝利じゃないですよ! ほら、この気絶してる漁協の組合長さんどうするんですか! スマホも大変ですよ、VIPの人たちが川を丸ごと買おうとしてますってば!」
「慌てるな。まずはその障害物(組合長)を川岸から安全な場所へ退避させるのが先決だ。水資源の買収争いより、明日の陣地拡張スケジュール(兵站)のほうが重い」
「だからお兄さんの優先順位、絶対におかしいですからね!? ヒグマさーん、組合長さん踏まないで! 誰か早く軽トラ回してーっ!?」
気絶した組合長を巡って川辺でワーワーと騒ぐ俺たちの声と、十勝川の買い取りに湧き上がるチャット欄の通知音が、春の青空へと響き渡る。
そんなカオスな日常の延長をよそに、シロ様は「やれやれ」といった様子で小さくあくびをすると、ポカポカとした岩の上で心地よさそうに再びオッドアイの瞳を閉じた。
コメント
1件
もう、今回も最高でした…!✨ 巨大イトウがシロ様の前に平伏した瞬間、神話のワンシーンみたいで鳥肌が立ちました。それなのにアキヤさんが「水圧の変化による三半規管のエラー」って完全スルーするから、笑いが止まらなかったです(笑)小春ちゃんの七キロカーボンツッコミもお見事で、ロマンと現実のぶつかり合いがたまらない。シロ様のオッドアイの描写が本当に美しくて、心が洗われました。次回も楽しみにしてます!