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金曜日はやってくる。
働いていようがいまいが平等に。
輝馬はわざわざこのために身に着けたスーツを着崩すと、缶ビールをノートパソコンの脇に置き、ワイプスの画面に繋いだ。
来週、この画面に繋いでいる自分はどうなっているのだろう。
部長からお達しがあり、無事、庶務課に異動になっているだろうか。
総務から書類が送付されてきて、それに雇用形態の変更の同意書にサインさせられ、子育て世代や定年間近の女性社員に紛れて、書類と雑務に押しつぶされそうになりながら、ただ壁時計を見上げる日々を過ごすのだろうか。
「……そんなの、死んでもごめんだ」
輝馬はパソコン脇に並べた名刺を見つめた。
『城咲』
花屋のパート。
フラワーアレンジメントの講師。
しかしあんな高そうな車を乗り回し、普段着は上から下までブランドもの。
さらにはあんなファミリー向けの分譲高いマンションに一人で住んでいる。
『首藤』
介護職をしているとは言うが、身に着けるものはアクセサリーを含め、すべてブランド品。
肌にも髪にも金と手間をかけているのがわかる。
もしかしたら体系や顔も整形手術やエステで変えた可能性も……?
『留守』
「…………」
輝馬はその名刺を手にした。
そこに記載されている電話番号を見下ろす。
でももし万一、詐欺だったら?
首藤灯莉も城咲も騙されていたとしたら?
それどころか二人もグルで自分を嵌めようとしていたら?
「………はは」
輝馬は笑った。
あり得ない。
首藤はまだしも、城咲は実家の“お隣さん”だ。
せっかく高い部屋を買ったばかりだというのに、隣人とのトラブルなんてリスクが高すぎる。
さらにはマンションの植木も任されているとのこと。
得意先のマンションで自分から揉め事を起こすとは思えない。
(留守に電話してみるか。今日のワイプスが終わったら)
そう思ったところで、
『おっ疲れさーん!!!』
赤坂の明るい声が響いた。
自分の画面も繋いで、ディスプレイを見つめる。
今日は11人。まあまあの参加率だ。
表示されている自分以外の10個のワイプから、目が勝手に左下にいる峰岸を探し出す。
今日はすでに風呂にでも入ったのだろうか。
少し濡れた髪をタオル生地のシュシュで横に一本に束ねており、いつも以上に色っぽい。
『それじゃあ、今日もー、かんぱー……』
赤坂が酎ハイの缶を掲げようとしたところで、
『あ、ごめん。その前に報告』
左上にいた佐藤が手を上げた。
「……?なんだよ」
輝馬が思わず言うと、彼はへへッと照れたように頬をかいた。
『えーとなんだ。今日はスペシャルゲストがいまーす』
『ええ!?』
『誰?』
元3-4のメンバーがざわつく。
輝馬も眉間に皺を寄せた。
『じゃじゃーん!!』
佐藤に抱き寄せられて狭いワイプに入ってきたのは、
『お、お久しぶりです』
昨日会ったばかりの首藤灯莉だった。
『ええー!?本当に首藤さん!激変ビフォーアフター!!』
赤坂が掠れた声で叫ぶ。
『めっちゃかわいいじゃん!』
『すげえ!』
『芸能人みたい!』
クラスメイトの賛辞が続く。
『ほらー、だから言ったっしょ?』
自分が褒められているわけではないのに、佐藤が照れくさそうに笑う。
首藤はというと、久しぶりに見る元クラスメイト達が珍しいらしく、褒められるたびに小さく会釈を繰り返しながら、きょろきょろと画面をのぞき込んでいる。
『え、てかなんで一緒にいんのぉ?』
クラスメイトでお調子者だった鈴岡が両手の人差し指でカメラをさす。
『ああ。ええっとお……』
佐藤は照れくさそうに首藤を見つめ、首藤も笑顔で佐藤を振り返る。
『実は俺たち、付き合うことになりましたー!!』
『ええええええ!?』
『じゃあ今日は祝い酒じゃん!かんぱーい!!』
途端にワイプスは祭りと化した。
みんなが驚嘆して手を叩き、酒を口にしながら称賛した。
『しつもーん。なんでそんなに綺麗になったの?』
女子の一人から質問が飛ぶ。
『お父さんが病気で亡くなってしまって。そうしたら実は多額の借金を抱えていたことがわかって……』
一気にクラスメイト達は顔を歪めた。
『借金返済のために頑張ってたらいつの間にか痩せてたっていうのが本当のところで。あ、でも借金も無事返し終わったからいいんですけど』
少ししんみりした空気を、
『……すげえだろ?!』
佐藤が鼻を擦りながら盛り上げる。
『お前じゃないわ』
『首藤さん、偉いねー。佐藤じゃなくて!!』
ヤジに2人は顔を見合わせて微笑んだ。
「………………」
輝馬は一気に華やいだワイプスを見つめた。
『あはは。なんか結婚記者会見みたいになったー』
佐藤が指輪を見せるお決まりのポーズをとりながら笑っている。
(なんだよ。てめえのことを褒めてんじゃねえよ。現役時代は見向きもしなかったくせに)
『はずかしー……』
その横で佐藤に同じポーズを無理やり取らされている首藤も、俯きがちに微笑んでいる。
(お前、昨日は俺にモーションかけて来たくせに、どの面下げてそこにいるんだよ)
顎から下、腹から上。
身体のそこらへんに重くて黒い感情がたまっていく。
それはまるで漆黒のマグマのようにゆっくりとゆっくりと流れ、時折真っ赤な溶岩からは湯気が吹き上がる。
輝馬はスマートフォンを手にした。
【俺さ】
LAIN画面を開き、文字を打ち込む。
【やってみるよ。そのサイト】
送った先はーーー。
画面の中の彼女は何かに気づいたように視線を下げた。
そして数秒後、顔を上げて画面を見つめた。
ピロン。
通知音がする。
スマートフォンを見下ろすと、
【明日会える?】
首藤から返信が来ていた。
元同級生にもてはやされながら、
付き合った彼氏に肩を抱かれながら、
この女は今、高校時代に恋した男に返信を打っている。
(……お前もたいがい最低だな)
輝馬は画面を上目遣いで睨んだ。
今ならーー
今なら、首藤を思い切り抱ける気がする。
佐藤のアホ面を思い出しながら、
首藤の照れたピンク色の頬を思い出しながら、
壊れるまで犯してやる。
そう。
あのオモチャと同じように。
画面に向かって鼻で笑ったところで、
キラン。
また通知音がした。
今度はスマートフォンからではない。
ワイプスサイトの個人メッセージだ。
「?」
輝馬はマウスを握ると、「開く」ボタンを押した。
――峰岸優実 【市川君、大丈夫?】
(峰岸?)
画面を見つめる。
峰岸はみんなが笑っているワイプの中で一人真剣な表情でカメラを見つめていた。
――市川輝馬【大丈夫だよ。どうして?】
慌ててキーボードを叩く。
――峰岸優実【だったらいいんだけど。ほら、市川君と首藤さん、高校時代にいろいろあったから】
「…………」
輝馬は画面の中の峰岸を見つめた。
(心配してくれてるのか……?)
――峰岸優実【もしここじゃ話しにくいことがあったら、いつでも話聞くよ?】
そこには峰岸のものと思われるLAINのIDが記されていた。
(ヤバい。なんだこれ……IDゲットしたんだけど……!)
高揚に思わずにやけそうになる口元を慌てて抑える。
市川輝馬【ありがと。マジで1回会え―――】
そこまで打ち込もうとしてから慌ててスマートフォンに切り替える。
LAINの画面を開き、IDを打ち込む。
【市川です。心配してくれてありがと。マジで1回会える?】
がっついていて情けないと自分でも思う。
しかしこのチャンスを逃すわけにはいかない。
既読はすぐについた。
そしてーーー。
【いいよ。明日の夜とか時間ある?】
天にも昇る気持ちだった。
思わずスマートフォンを両手で構える。
【もちろん!】
【わかった。私、日中ちょっと用事があるから、また連絡するね】
「!!」
画面の中の峰岸を見つめる。
(マジか……)
すると彼女は伏せていた視線をカメラに戻し、にっこりと微笑んだ。
(うわ……ヤバい……!!)
ピロン。
通知音が鳴る。
輝馬はその緩み切った顔でスマートフォンを見下ろした。
【それじゃあ3時に、辰見駅のハンバーガーショップの前で】
「ん?」
違う。今度は首藤からだった。
3時に首藤。夜に峰岸。
大丈夫だ、被らない。
それに辰見駅なら、峰岸が住んでいる場所からも遠い。リスクは少ない。
辰見駅、か。
輝馬は視線を上げた。
(確か紫音の美術学校がその駅だったな)
どうでもいいことを考えていたら、口の端からビールの苦いゲップが漏れた。