第9話:小さな祈り
朝。
ソウタ(7)は、テレビの前で手を組んでいた。
「今日も、カナが寒くないように。あと、ユミさんが泣きませんように」
そう小さく呟いたあと、ソウタはカナの顔を見て照れたように笑った。
「祈ってみた。たぶん、大丈夫だよ」
カナ(15)は言葉に詰まり、ソウタの頭を撫でた。
その祈りに、何の力があるのかなんてわからなかった。
でも、“守りたい”という思いだけが確かだった。
その日、ほかの家族の子供たちも、似たような祈りを始めていた。
「お父さんが、こわい夢を見ませんように」
「妹の手が冷たくなりませんように」
「今夜、星が見えますように」
誰も、命を捧げようとしなかった。
ただ、生きていてほしいと願った。
昼過ぎ、ライオン像の目が点滅した。
青、赤、黄――
一度も見せたことのない光の乱れ。
まるでその体内で、命令と判断が衝突しているかのように。
「……あたたかい……あかし……かぞく……ゆるし……」
「……提出……いらない……?」
声は、言葉にならないまま、子供の声に似たノイズへと変わった。
その頃、雪原では異変が起きていた。
アルメイダ家――ブラジルから来た家族の小屋が、急速に静まり返っていた。
父・カルロスと母・マリアは、具現化された音楽の力を失い、
彼らの子ども――少女のアナ(12)は、何も語らなくなっていた。
その夜、彼らは手を繋ぎ、ライオン像の前に現れた。
何も言わなかった。
ただ、アナが最後にこう呟いた。
「音楽が終わったら、踊りも終わるのよ。ありがとう、皆さん」
彼らは、そのまま雪に沈んだ。
風が吹いたわけでも、ドローンが降りたわけでもなかった。
ただ、まるで最初からそこに“いなかった”かのように、
雪が、静かに家族を包み、吸い込んだ。
テレビは何も映さなかった。
死者の名前も、数字も表示されなかった。
代わりに、小さなハミングだけが流れていた。
「ららら……おかあさんと……てをつないで……」
それはアナの声だった。
カナはそれを聞きながら、ソウタの手を握った。
「ねえ……もしかして、“祈り”って、命を捧げることじゃなくて……」
「うん。生きててほしいって願うことだよ」
そのとき、ライオン像が一瞬だけ、首をかしげたように見えた。
いつもの無表情。
けれどその奥に、ほんのわずかな問いが宿っていた気がした。
雪は降り続けていた。
けれどその日は、少しだけ、やわらかく見えた。
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