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僕に限らず教師はたいてい性善説を信奉している。生徒を信じられなくなったら終わりだからだ。もちろん裏切られることもある。いやむしろ裏切られることの方が多いかもしれない。そのときは裏切られることも僕らの仕事のうちに入ってると割り切るしかない。
だから、夢香が娘たちと転居したマンションの部屋に決まった男が出入りするA4に引き伸ばされた写真を何枚も見せられたときは正直驚いた。
「今回の仕事は簡単でした。不倫カップルというのはたいていそうですが、頭の中がお花畑でね、警戒心がゆるゆるのことが多いんですよ。奥さんはその中でも極端にゆるゆるでした。まだ小さな娘が二人もいるところに男を連れ込むなんて、ここまで大胆なのは珍しいです」
興信所の所長が妙なことを感心してるが、夢香の不倫が確定したと言われて、僕はそれどころではない。証拠は三回分。男は二度夜七時ごろ夢香たちの部屋を訪れ、夜十時ごろ部屋から出ていった。当然、娘たちも部屋の中にいたはず。どんな間取りになっているか知らないが、娘たちに気づかれずに事に及ぶことは可能なのだろうか?
「妻と男はただの友達で部屋に入ってただ娘たちと遊んでいただけ、という可能性はありませんか?」
「そう言われると思って、こんな証拠も取りました」
見せられたのは男が部屋を出ていくとき、夢香とキスをしたり抱き合っている写真。残念ながらこれで二人の不倫関係は確定した。思わず力が抜けて、ため息が出た。
「僕はこれからどうすればいいんでしょうか?」
「それはご主人の考えることです。証拠を突きつけて離婚と慰謝料を求めるか、離婚せず心を殺して再構築を持ちかけるか。奥さんの場合、ここまで大胆にできるのはどうせ何もできないとご主人を馬鹿にしきっているのではないかと推察されます。その場合、再構築は極めて困難でしょうね」
興信所は抜かりなく男の素性も調べていた。松永賢人、50歳、三年前に妻子と別居して最近離婚が成立した。こおろぎ観光という旅行社に課長として勤務。夢香が同じこおろぎグループのこおろぎハウスという住宅メーカーに勤務しているが、関係あるのだろうか?
「話はまだ終わりじゃないですよ」
「というと?」
「さっき証拠が三回分あると申し上げましたが、まだ二回分しか示してないじゃないですか」
「そういえば」
「実は奥さんが男とホテルに出入りした写真も撮れてます」
「なんだ。最初からその写真を出してほしかった――」
撮影時刻は娘たちがまだ学校にいる真昼。その写真を見るなり、僕は言葉を失った。その男は松永ではなく、僕がよく知っている男だった。
最後に、興信所の所長が、離婚するなら弁護士をつけた方がいいとアドバイスしてくれた。報告書と証拠と弁護士の紹介状を受け取って興信所の事務所を退出してすぐ、和海と誠也に夢香の不倫が確定したことをLINEで伝えた。
「倍返ししようぜ!」
まもなく二人から同じ文面の返信があって驚かされた。
夢香の不倫が確定したといっても、今いっしょに暮らしてるわけじゃないから、異世界の出来事のようで今一つ現実感がない。
よくないニュースもいくつかあった。小麦によると、真希も望愛も夢香の嘘を信じて、僕を憎んでいるらしい。
私たちが寝たあと毎日のようにお父さんがお母さんにひどい暴力を振るっていた。しかもお父さんにはお母さん以外に好きな人までいた。お母さんは私たちのために泣く泣くうちを出るしかなかった――
二人とも素直でいい子たちだから、洗脳するのは簡単だっただろう。僕は最愛の娘たちにそこまで憎まれていることが何より悲しかった。
また、四月の給料日に僕の口座に給料が振り込まれてないことを知って、夢香は鷲本弁護士を通して婚費の支払いを請求してきた。要求額は毎月三十万円! 共働きなのに。僕が応じないなら、即座に調停に移行するという。
相手が弁護士を立ててるのなら、こちらも立てないと対等の戦いはできないようだ。興信所紹介の杉原烈彦弁護士にすぐに連絡を取った。興信所の所長によると、その弁護士は性格は変わっているが腕は確かだという。
杉原弁護士の事務所も横浜市内にあった。先日行ってみた相手側の鷲本弁護士の事務所からそこまでは、車で十分くらいの近距離だ。
事務員に案内されて個室で待っていると、やがて若い男がのそのそと現れた。事務所のウェブサイトによれば年齢は35歳のはずだが、実物は四十代にしか見えない。
「弁護士の杉原です」
四十年生きてきたけど今まで弁護士に縁がなくて、初めて縁があった弁護士が鷲本夫妻のような悪徳弁護士だったから、僕は相当警戒していたと思う。
「いいですね。親の仇を見るようなその目つき。僕は無条件に依存してくる人はあまり助ける気にならないのですが、あなたのような目をした人にはサービスしたくなっちゃいますね」
なるほど、確かに変わっている。
気にせず、今までの経緯を全部説明した。二十分もかかった。
「なるほど。奥さんはご主人のDVと不倫を吹聴して、娘二人を連れ去った。お子さんを連れ戻しに奥さんの実家に行けば警察に逮捕され、示談金を三百万円も支払った。調べたら奥さんの方が不倫していたのに、娘たちは奥さんに洗脳されて父親であるご主人を憎んでいる。家のお金も全部奥さんに奪われたのに、毎月三十万の婚費まで請求されている。ご主人もなかなかハードモードな人生を歩んでいますね」
「笑いごとじゃないんですけど」
連れ去られが縁で友だちになった只野佐礼央が一人息子の虐待死を知って自殺したことを思い出した。彼の死因は自殺だけど、実際は不倫した奥さんと、奥さんに子の連れ去りを助言した弁護士に殺されたようなものだ。
「僕は弁護士というのはみんな正義の味方だと思ってました」
「僕も正義の味方じゃありませんよ。そういう弁護士をお探しなら、よそを当たった方がいい。まあ、そんな弁護士、十人に一人いるかどうかですけどね」
「正義の味方じゃない? つまりあなたもあの鷲本弁護士と同類ということですか?」
「いや、僕は悪いやつを地獄に突き落とすのが好きなんですよ。どんな感動的な名作映画だって、今まで威張りくさってたやつがすべてを失って絶望してる姿を見るのに比べたらゴミみたいなもんです。そんな僕は正義の味方とは言えないでしょう?」
夢香は三年前から僕にさんざん悪態をついて裏で不倫していた。一方で僕の虚偽のDVや不倫を吹聴し、僕の信用を失墜させた。しかも僕を逮捕させて僕の親に土下座させて多額の示談金まで奪い取った。ただ離婚して合法的にたかだか数百万円の慰謝料を受け取るだけでは気がすまない。娘たちの親権も含めてすべてを僕に奪われた夢香の絶望した顔が見たいと思った。
僕は即断即決して杉原弁護士を代理人とする契約を結んだ。お金よりも親権と復讐を優先したいという僕の意向を、杉原弁護士は、悪魔のような笑みを浮かべながら聞いていた。
「真っ当な方法では別居親が親権を取るのは無理ですが、お嬢さんたちが自分からご主人の家に戻ってくればそれで解決です。だからそれまで絶対に離婚しないで下さい。そのとき親権がなければ誘拐になってしまいますからね。復讐したいけどどうしていいか分からない? そんなの簡単ですよ。やられたことを全部やり返してあげればいいんです。単独親権制度の下で認められてることなら、こちらも最大限に利用しようじゃないですか」
そのとき、誠也からLINEのメッセージが届いた。
誠「直美のスマホを調べたら、あいつ、夢香の不倫を知ってた。というよりむしろあおってた。スクショしたから見てくれ」
夢「体の相性もいいし、心も満たされる。やっぱり運命の人は彼だったんだ」
直「ミミズは?」
夢「そもそもミミズは人じゃないしね笑 最近、私のご機嫌取ろうと必死だから毎日マッサージさせてる。彼、もう五十歳で会うたびマッサージもしてあげてるから、私もちょっと体が疲れてるんだよね。ちょうどよかったわ」
直「ミミズかわいそ」
夢「これくらいで? あいつ、これから突然一人ぼっちになるから、さすがに心を病んじゃうかもね」
直「ちょっとは罪悪感ないの?」
夢「不倫したことに? 1ミリもないよ」
直「(爆笑のスタンプ)」
夢「(爆笑のスタンプ)」
誠「おれが直美を選んだのは自業自得だけど、俊輔に夢香を紹介した責任を感じてる。夢香に制裁するなら全面的に協力する。言われた通りにするから何でも言ってくれ」
知らなかった。僕はミミズと呼ばれていたんだな。少しだけミミズに親近感を持った。
なんて言ってる場合じゃないようだ。夢香と直美のトーク画面を杉原弁護士に見せると、さらに邪悪な笑みを浮かべてみせた。
「いいねえ。このイキリ具合。つぶし甲斐があるというのはこのことですね。よし、反撃の最初のターゲットはこのお義姉さんにしよう」
杉原弁護士に伝えられたことをそのまま誠也に伝えた。すぐにOKのスタンプが帰ってきた。