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要、すごいなあ。♡♡♡ずに勝つっていう発想がもう、この世界の空気に合ってないというか、でもだからこそ効くんだろうな。「取るより買う方が長く食える」って気づかせるために、わざわざ台帳と証を用意して六十人一人ひとりを記録するところとか、ほんとに要らしい。権田が「遅い」って言った意味が「遅すぎて怖い」に変わるところ、ゾクっとした。 「絶対はないから仕組みを作る」――この一文がもう、この話の芯だよなあ。一人目が薪を割りに来たラスト、じんわり温かかった。
塩尻の隊長が来たのは、三月だった。雪が、溶け始めていた。
十九人ではなかった。六十人。塩尻の御殿から、四十人を連れてきていた。トラックが、三台。峠の小屋から、二時間の距離に、野営した。権田が野営した、同じ場所に。
隊長は、四十代の男だった。元、警備会社の、権田の部下。権田のように、立ち方で分かる種類の人間ではなかった。落ち着きなく、周りを見ていた。
要は、まだ、東京に発っていなかった。発つ前に、隊長が来た。
「米を、三割」隊長は、峠の小屋で言った。「権田さんは、二割と言った。権田さんは、もういない。おれが、三割と言う」
「権田さんは、『取らん』と言いました」要は言った。「米は、僕らのものだと」
「権田さんは、もういない」
「生きてます」
「生きてるが、決められない。決めるのは、おれだ」
要は、隊長を見た。隊長の目は、必死ではなかった。怖い目だった。権田が倒れ、東京が割れ、名古屋が来るかもしれない。塩尻の三百人を食わせる米が、足りない。だから、木曽の米を取る。
怖い人間だった。冬が怖い人間と、同じ。
「三割、渡さなければ」要は聞いた。
「六十人で、取る。鍬と鎌では、止められない」
*
四つの村の長が、集まった。諏訪からは、佐久間が、山を越えて来た。下流からは、ばあさまが、川と山を回って来た。
「戦うか」隣村の長が、また、言った。
「戦えません」要は、また、言った。
「じゃあ、三割、渡すのか」
「渡しません」
「どっちも、しないのか」
「どっちも、しません。三つ目を、します」
大畑が、聞いた。
「三つ目とは」
要は、壁の十二条を見た。それから、新しい三冊の台帳を見た。つむぎの記憶から書き直した三冊。表紙に、『盗まれても、人が覚えている』と書いた三冊。
「六十人を、市に、入れます」
沈黙があった。
「……入れる?」
「御殿の六十人を。市の台帳に、名前を書く。証を払う。米を売る。組合に入れる。御殿の二十人には、もう、そうした。二十人は、三ヶ月、証で味噌を買った。市の台帳に、名前がある。一人は、御殿を抜けて、ここにいる」
「六十人は、米を取りに来た。買いに来たんじゃない」
「取りに来た。でも、取った米を、どうするんですか。塩尻に運ぶ。塩尻の三百人が食う。一ヶ月で、なくなる。また、取りに来る。取るたびに、木曽は、米を作らなくなる。作っても取られるなら、作らない。来年、木曽に米はない。塩尻は、また、飢える」
「それは、隊長の問題だ」
「隊長の問題です。でも、隊長は、それを、わかってない。怖いから。わかってないなら、教える」
「教えて、聞くか」
「聞かないかもしれない。でも、六十人のうち、何人かは、聞く。塩尻峠の二十人のうち、一人は、聞いた。六十人なら、三人は、聞く」
佐久間が、言った。
「三人が聞いて、どうなる」
「三人が、市の台帳に名前を書く。証を受け取る。市で、米を買う。取るんじゃなく、買う。三人が買えば、隣の三人が、『取るより買う方が、来年も米がある』と気づく。気づいた者が、また、買う」
「五十七人が、取る間に、三人が、買う」
「はい。五十七人は、取る。取られた分は、組合の蔵から、市の人間に補う。四百枚、ある。三割なら、持つ。一年は」
「一年経ったら」
「一年経ったら、六十人のうち、何人が、取る側に残ってるか。僕の読みでは、半分以下です。権田さんのいない御殿は、割れてる。割れた御殿の兵は、自分で考え始める。考えれば、取るより買う方が、長く食えると、わかる」
ばあさまが、言った。
「殺さずに、勝つ、か」
「殺しません。勝つかどうかは、わかりません。でも、殺したら、市が御殿になる。それは、しない」
*
隊長は、翌日、米を取りに来た。
六十人。木曽の蔵。三割。三百キロ。
大畑は、蔵の前に立っていた。止めなかった。ただ、立っていた。六十人が、米の袋を担いで、蔵から出ていくのを、見ていた。
要は、蔵の脇に、机を出していた。三冊の台帳。証。つむぎ。
六十人が、通り過ぎるたびに、つむぎが、顔を見た。
「覚えました」
一人ずつ。六十回。
要は、三冊に書いた。『塩尻の御殿、六十名。米三百キロ、持ち出し。顔、全員、記録』。
隊長が、最後に、通った。要の机を見た。
「何をしてる」
「台帳をつけてます。あなたがたが、何を持っていったか」
「それで、どうなる」
「どうもなりません。今は。でも、来年、あなたがたが、また来たとき、台帳に、今日の三百キロが書いてある。来年、取れる米が、今年より少ないとき、その理由が、台帳に書いてある」
隊長は、要を、長い間見ていた。
「……権田さんが、お前を、『遅い』と言ってた意味が、わかった」
「遅いです」
「遅すぎて、怖い」
隊長は、米を担いで、峠を登っていった。
六十人が、消えた後、要は、三冊を閉じた。
「お兄ちゃん」ひかりが、来た。「三百キロ、取られた」
「取られた」
「組合から、出す?」
「出す。三百枚」
「蔵が、百枚になる」
「なる。一年、持つかどうか、わからない」
「わからないのに、やるの」
「わからないから、やる。わかってたら、仕組みは要らない」
ひかりは、兄を見た。それから、少し、笑った。
「お兄ちゃん。それ、去年の冬、私に言ったことと、同じ」
「言ったか」
「言った。『絶対は、ない』って」
要は、うなずいた。
夕方、六十人のうちの、一人が、峠を下りてきた。米の袋を、担いでいなかった。証を、一枚、持っていた。塩尻峠の若い男が、抜けるときに、渡したものだという。
「味噌を」男は言った。「これで、買えるか」
「買えます」孫が言った。「二枚です。一枚足りない。でも、働けば、一枚、払う」
「何を、すればいい」
「薪を、割ってください。一束で、半枚」
男は、薪小屋に向かった。
一人目だった。