てっきり引き留めると思ったが、咲山はすんなりと了承し、上機嫌な様子で真衣香たちについて来ようと携帯と財布を手にした。
カウンターを横切る時に、あ。と小さく声を上げ、真衣香は坪井の袖口を掴み小さな声で聞いた。
「お、お金ってどこで払えばいいの?」
「はは、お前ってほんと、俺のこと見上げてくる顔可愛いよね。うん、金はもう払ったから大丈夫だよ」
坪井も小さな声で、耳元に唇をつけて答えてくる。可愛い、なんて言われ、すぐに舞い上がってしまうあたり単純だなと思う。
とは、言っても、いい大人が奢られっぱなしでは良くないじゃないかと声をあげた。
「ダメだよ、前も坪井くんに出してもらって」
目を細め、頭をくしゃっと撫でられた。
「うーん。俺、彼女には金出させたくない奴みたいなんだよね。だから慣れよう、な?」
言葉のひとつひとつが、真衣香を嬉しくもさせ不安にもさせる。
恋人という存在は、本当に不思議だ。
「えーっと、私もいるんだけど。いい感じで酔ってるからって、イチャつくのやめてよね」
わざとらしい咳払いのあと、咲山が言って、坪井の腕をグイッと引っ張る。
「じゃ、マスター、涼太たち下まで送ってくるね。すぐ戻るから〜」
「うおっ、ちょ、夏美引っ張んなって、おい」
「立花!」と、咲山に引っ張られていく坪井が真衣香を呼んだ。
慌ただしくマスターに軽く会釈をして「また来ます、ご馳走様でした」と言い残し二人の後を追う。
背中から、マスターの、慌ただしい奴らだな。の声と、ため息が聞こえた。
小さなエレベーターは薄暗い灯りで、狭く、大人三人で乗れば密着してしまう。
一番最後にたどり着いた真衣香は急いで乗り込み、一階のボタンを押して扉をしめた。
すぐにエレベーターは動き出し、ガタガタっと音を立てながら下降する。
機械音だけが響く中、咲山が言った。
「ねぇ、涼太、今度の週末くらいには営業も落ち着くんじゃないの? 高柳さんにチラッと聞いたら言ってたよ」
「ん? まぁ落ち着くんじゃない?」
二人の会話が聞こえるけれど、真衣香は振り返るスペースも。そもそもそんな勇気も持てないので前を向いたまま聞き入る。
「じゃあ、また来週遊ぼうよ。 立花さんとさっき話してたんだけど、別に涼太と私が二人で会っても構わないって」
さっき話した……とは、トイレでの会話のことだろうか? 来週の話をした覚えはもちろんないけれど、要約すれば真衣香に身の程をわきまえて引け、と言っていたのだろうから。
(そういう話に繋がるのかな)
どう答えるのだろうと、ハラハラしていると背後から真衣香の顔に手が添えられた。 そのままグイッと上を向かせられる。
その先には、真衣香を見下ろす坪井の顔があった。
薄暗いエレベーターの灯りだけれど、ジッと見つめられるとさすがに恥ずかしい。
「え、つ、坪井くん……? どうしたの?」
「話したの? 俺と咲山さんが二人で会ってもいいって? お前抜きで?」
しかめ面で、低い声。
少し怒っていそうな、不機嫌そうな様子を感じる。
「え? えっと、そんな言い方はしてないけど……その」
坪井の逸らされない視線と、見えはしないはずの坪井の後ろにいる咲山の苛立つ瞳を想像して、どう発言すべきか定まらず口ごもっていると「うんうん、了解」と、坪井の満足げな声。
同時に、チン。と音がして、エレベーターが一階に到着したことを知らせる。
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