テラーノベル
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藤澤涼架は空を見ていた。
放課後の校舎の屋上。誰もいないその場所は彼のお気に入りの場所だった。部活にも入らず、友達も少なく、特に目立つわけでもない彼にとって空を見上げる時間だけが「誰からも見られていない」と思える貴重なひとときだった。
風が吹いて前髪が少しだけ揺れる。
何の変哲もない灰色の雲が、ゆっくりと流れていく。
(今日も特別なことなんて何もないな)
心の中でつぶやいて肩をすくめた。
だけどそれがいいのだ。特別じゃない毎日が。誰の注目も浴びず、誰の記憶にも残らず、生きていけたら。
「……ん?」
ふと、胸元の制服ポケットがかすかに温かくなる。
入れてあったお守りがかすかに触れたような気がして、藤澤は指先でつまんで引き出した。
神社で買ってもらったごく普通の学業成就のお守り。特に信仰心があるわけでもなく、母親に半ば押しつけられるようにして持たされたものだった。
(……神様なんているわけないのに)
ポツリと、独りごちる。
でもなぜかそう口にするたびにほんの少し胸がチクチクするようになったのは、ここ最近のことだった。
_____________
翌朝教室は少しだけざわついていた。
「ねぇ、今日転校生来るらしいよ」
「えー!今の時期に?」
「男子かな?女子かな?」
そんな声がちらほらと聞こえてくる。
藤澤は席に着いて机の端にある布製の筆箱を無言で整えながら耳だけでクラスの会話を追っていた。
(転校生、ね)
自分には関係ないことだ。話しかけることも、話しかけられることもないだろう。
そう思っていた――そのはずだった。
「……じゃあ自己紹介してもらおうか」
担任の声に続いて前に立ったその転校生が静かに一礼した。
「大森元貴です。よろしくお願いします」
その瞬間教室の空気がすっと変わった気がした。
誰かが息をのんだ音。そして大森の目が、ゆっくりと藤澤の方を向いた。
じっと、真っ直ぐに。
藤澤は、息を止めた。
(見られてる?)
錯覚かと思った。でも違った。
教室にいる三十数人の中で彼はなぜか、藤澤涼架だけを見ていた。
大森の席は藤澤の隣になった。
「偶然だよね……?」
誰にともなく呟いてから、藤澤は自分の言葉に首を振った。転校生が隣の席になるなんてありふれた話だ。
偶然でしか、ないはずだ。
でもどうしてだろう。
昼休み、窓の外をぼんやり眺めていたとき
「空、好きなの?」
大森が話しかけてきた。
藤澤は肩をびくりと揺らす。
「え、あ、うん。なんとなく見てるだけ」
「そっか。俺もよく見るよ」
その声にはどこか不思議な響きがあった。懐かしいような、けれど、今初めて聞いたような。
(……この人のこと、前にもどこかで)
喉元まで出かかったその想いを藤澤は飲み込んだ。
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