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……つけた。
私は、四角の一つに、静かに印をつけた。
「いいえ」
ペンを離したとき、
胸の奥で、何かが崩れる音はしなかった。
崩れるものは、もう残っていなかった。
用紙を差し出すと、
窓口の女性は、一瞬だけ視線を落とし、
何も言わずに受け取った。
「お預かりします」
いつもと同じ声だった。
余韻
帰りのエレベーターで、
掲示板の端に貼られた、小さな紙が目に入る。
文字は、薄くなりかけている。
お子さんから結ばれた約束、守りましたか?
下には、別の問い合わせ先。
別の部署名。
別の建物の住所。
この問いは、
ここだけのものではない。
どこかで、
誰かが、立ち止まっている。
カノジョの過去
そのとき彼女は、まだ窓口の内側にいなかった。
研修用の書類に目を通しながら、
「想定問答」の欄を淡々とチェックしていた。
感情を挟む余地はない。
そう教えられていた。
ページの途中で、手が止まった。
お子さんから結ばれた約束、守りましたか?
質問文としては、少し柔らかすぎる。
判断基準が曖昧だ。
研修には向かない——そう思った。
けれど、なぜか次の行へ進めなかった。
守りましたか。
守れましたか、ではない。
彼女の頭に浮かんだのは、
自分が子どものころ、
「大丈夫だから」と言われたまま、
何も変わらなかった夜だった。
約束だとは、思っていなかった。
そう思うことで、長くやり過ごしてきた。
——思い出したかどうか、でいい。
後に、誰かがそう言った言葉を、
彼女はそのとき、まだ知らない。
ただ、研修資料の余白に、
小さく線を引いた。
この問いは、
読む人を選ぶ。
そう感じたのが、
彼女が初めて、窓口の内側に立つことを
選んだ理由だった。