恥ずかしい話をしますけど。
まともにひとを好きになったことがないんです。
人間誰でもどんなに遅くとも高校入る頃にはみんな誰かに真剣な恋をしたりするのに、わたしときたら全然で――誰かを猛烈に好きになってみたいのに、なんかこう、しっくり来るひとが全然いなかったんです。
当然、おつき合いしたひともいません。
大学入るとみんな彼氏や彼女作って楽しくやるじゃないですか。下ネタでみんな盛り上がってるのに全然ついてけなくて。最初みんなは処女なのを面白がってセックスのことを教えてくれるんですよ。こんなに足開くんだよとか痛いんだよとか。でも、段々話が深くなるとそういうひとが居ると場が白けてくるんです。邪魔で浮くんですよね。
自分でもうんざりでした。
ちょっといいなあって程度のひとは見つかるんです。合コンとかバイトとか学校とかで。
けど、わけもなく電話したくなるとかそのひとのことが頭から離れず夜眠れないって感覚が全然わっかんなくって……
すごくコンプレックスでした。
恋愛不感症ってやつかもしれません。
親元でぬくぬく育ってたのも原因かもしれません。親と仲がいいので。うちの両親は、昔からサッカー観戦が好きで、すぐ近所にサッカー専用の競技場があることから、わたしは小さい頃から毎週末連れてかれたんです。反抗期迎えた頃にはひとりで留守番したりもしてましたけど、高校入ってからまたつき合うようになって。
言うなれば、スタジアムが家族団らんの場でした。
ともかく親元で過ごすので例えば上京して一人暮らしの子が味わう孤独とも無縁で。
わたし一人っ子で可愛がられて育てられたんで、そういう子と比べると、親離れできてない自分のことが、もどかしくもありました。
しかもまともに誰も好きになれないって一生このまま不完全な人間なのかなあって悩みました。
就職を機に家を出ようと思ったのはそんな理由です。うちから通えないわけじゃないですけど、会社の近くに住んだほうが通勤大変じゃないし、自立したいからって親を説得しました。
実際、ひとりで住んでみると。
家に誰もいないって寂しいことですよね。
その日あった楽しいことを分かち合う相手が居ない。
その日あった辛い出来事を話せる相手も居ない。
楽しさは半分、痛みは二倍って感じでした。誰も答えてくれるはずもないのに玄関で「ただいまー」とか言ったりして、そんな自分がみじめで……
会社も、なんていうか仕事に情熱かけようって風にもなれなくて。例えば総合職の子とは全然テンションが違うんですよね。帰る時間も話す内容も。一生懸命やってそのときはそれに打ち込めるんですけど。
でもわたしこれを一生続けていくのかっていうと微妙で。
仕事はきっちりやるけど、帰ってからも休日も寂しい――そんな生活が続きました。
入社して半年経って、仕事の全容がなんとなく見え始めた頃に、大学繋がりの知人から合コンに誘われました。地元でです。あんまり知人程度の子の誘いにはのらないんですが寂しかったんでしょうね。
三対三の合コンでなんとそこで。
わたしも両親も好きな地元のクラブを応援してる男性に出会いました。当然意気投合して。めっちゃ盛り上がって。他の子そっちのけでずっと喋ってましたね。あのときのあの試合ああだったとか五年前十年前のゴールとかを細かく記憶してるひとなんてそうそういないじゃないですか。
興奮状態でした。二人で抜けだして別の店でも盛り上がって……。
――誘われて。
いいや、って思ったんです、そのときは。
二十三にもなってバージンだった自分のことがいい加減疎ましかったのかもしれません。
そこでわたしが体験したのは――
乱暴まがいのセックスでした。
全然こっちの状態が整ってないのに、彼だけ欲求を満たすようなひどく一方的なもので。
痛いだけで。
こっちが叫んでるのを興奮に依るものだと思ったみたいで、彼、喜んでて。
はやく終われ終われって呪文のように唱えてました。
連絡先を交換はしましたが、当然、返事なんか返さずにいたら、来なくなってそれっきりです。
病院にも行きました。……治療費って結構高いんですね。……みじめでした。周りは幸せそうに大きなお腹さすってる妊婦さんばっかりなんですよ。そんななかでやり逃げされて通い続ける自分が情けなくて、惨めで――
えっと、最悪の事態って意味じゃなくて念のためですけど移されたってだけです。
それだけの話です。ただ――地元の駅に降りるのが怖くなりました。思い出すんで。彼とは本当に昔っからの友達みたいに盛り上がったんです。そんな相手がああなるなんてなんだか、楽しかった両親との思い出までも汚されるようで行き場がなかったです。
自分がばかだったってだけなんですけど。
それで性懲りもなく、男性の部屋に泊まってしまうんだから笑えますよね。
……まあ、あれ以降、男性が怖くなったっていうか……自分一人で目的を達成することができるんだなあってことが分かって、いままでと違って見えました。
飲み会で羽目外す男の人いるじゃないですか、ああいうの見ると怖い! って思うんです。
普段が仮面を被ってるだけの獣に見えてしまうことがあって。
地元行けば思い出す。家にも寄りつけなくなってこのさきわたし、どうなっちゃうんだろう。誰も信じずに生きていくんだろうなあって、予感してました……
「そんな感じです」笑える。馬鹿馬鹿しすぎて笑える。
きっと、課長も呆れている。こんな女――
あれ。
……なんで涙が出てきちゃうんだろう。おかしいなあ。
とても馬鹿馬鹿しい話をしていたはずなのに。
「……笑っちゃいますよねあはは。おかしすぎて泣けてきちゃいました。課長、ティッシュ貰えますか」
箱ごとよこして、課長は、
「笑えない」と言った。鼻を拭いたティッシュはどうしたらいいんだろう。課長がソファから離れ、ごみ箱を取ってきてわたしに突き出した。さすが課長、気が回る。
わたしはごみ箱にティッシュを捨て、
「笑うとこなんですけど、なんか課長、……怒ってます?」
「大事なことだからもう一回言う」と、ごみ箱を床に置く。思ったより大きな音がした。怖い。「まったく、ぜんぜん、笑えない」
「……ですか」
「ちょっといま……気持ちの整理に時間が必要だ。頼む。時間をくれ」
額を指で摘まみ、課長は動きを停止し。
しばらくすると、手を下ろした。「――終わった。相手の男をおれのスタンドで社会的に抹殺しておいた。アレはもう使いものにならない」
「……」
「辛かったな」
課長の手が、ぽん、とわたしの頭に触れる。前髪の流れに沿って、撫でて、くれている……。
「……話してくれて、ありがとう。
きみはもう、ひとりじゃない」
「か、ちょう……」
「過去の傷に苦しめられるためにきみは生きているんじゃない。
幸せになるんだ。
おれと一緒に沢山笑おう。
うまいものも食おう。映画館でポップコーン食って腹抱えて笑おう。
だから莉子(りこ)――」
課長の、わたしを撫でる手が止まる。
「おれを、好きに、なって」
「か、ちょう……」涙腺決壊。どうしよう、止まらない……
「そろそろ課長ってのはやめようよ。おれの名前、知ってるだろ」
「遼一、さ……」
「莉子」
名を呼ばれ、顔をあげるとあたたかい課長の腕のなかに自分がいた。あんなに怖かったはずの男性のからだが腕が、ちっとも怖くなくて。
一見すると課長は細身なのに、胸板が厚くって。
二の腕がたくましい感じで、
重なる鼓動が、速くって。
震えていて……。
『緊張するとおれ震えるんだ』
わたしの背中に回した課長の手がしっとりと湿っているのを布地越しに感じながら、……わたしは彼の体温を感じながら、彼の誠実さに浸った。
*
コメント
1件
良すぎる