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あおじる
8
梅雨が近づき、雨の日が増えてきた。
放課後の部室は、窓を打つ雨音とキーボードの音だけが静かに響いている。
カタ、カタ、カタ……
セトはいつもの席で画面を見つめていた。
ヴァルはその隣で、途中まで作っているゲームのプログラムを組んでいる。
「……よし。」
小さく呟き、背伸びをする。
時計を見ると、もう午後六時を回っていた。
「そろそろ帰るか。」
パソコンを閉じながら立ち上がる。
しかし、隣から返事はない。
カタ、カタ……
セトの指は止まらなかった。
「セト?」
「……もう少しだけ。」
画面を見たまま答える。
「あと少しで終わるので。」
「昨日もそれ言ってたぞ。」
「……。」
返事はない。
ヴァルは苦笑しながらリュックを背負う。
「じゃあ俺も待つ。」
「……先に帰ってください。」
「なんで。」
「僕一人でできます。」
「知ってる。」
「でも今日は待つ。」
「……。」
また沈黙。
部室には雨音だけが響く。
十五分ほど経った頃だった。
セトの指が止まる。
画面を見つめたまま、わずかに眉を寄せた。
「……。」
ヴァルはその表情を見逃さなかった。
「エラー?」
セトは少しだけ肩を震わせる。
「……違います。」
「ほんと?」
「……はい。」
そう答えながらも、また同じ場所を何度も入力し直している。
消しては書き、また消す。
画面には赤い文字が並んだままだ。
ヴァルは静かに立ち上がり、セトの後ろへ回る。
「見せて。」
「……大丈夫です。」
その一言で、ヴァルの手が止まる。
「……またそれか。」
セトは小さく俯く。
「自分でできます。」
「時間かかっても。」
「迷惑をかけたくないので。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「セト。」
いつもより少し低い声。
セトがゆっくり振り向く。
ヴァルは怒鳴っているわけではなかった。
ただ、真っ直ぐにセトを見ていた。
「一つ聞く。」
「……はい。」
「俺、お前に迷惑だって言ったことある?」
「……。」
「作業教えるの、嫌だって言った?」
「……ないです。」
「じゃあなんで、一人で抱え込む。」
セトは答えられなかった。
言葉が出ない。
静かな部室に雨音だけが響く。
「……。」
「昔から。」
セトがぽつりと呟く。
「人に頼るの、苦手なんです。」
それが精一杯だった。
「迷惑になる気がして。」
「だから。」
「自分でやった方が……。」
言い終わる前に、ヴァルは椅子を引き寄せ、セトの隣へ座った。
「見せろ。」
「……。」
「二人で考えよう。」
「でも……。」
「セト。」
ヴァルは少しだけ笑う。
「頼られるのってさ。」
「案外、嬉しいもんだぞ。」
セトは目を丸くした。
「……嬉しい?」
「うん。」
「俺はな。」
「『教えてください』って言われたら、『よし任せろ』ってなる。」
少し照れくさそうに笑う。
「だから。」
「迷惑かどうか決めるのは、お前じゃない。」
「俺。」
その言葉を聞いた瞬間。
セトは画面を見る。
赤いエラー表示。
自分一人では、あと何時間かかるか分からない。
小さく息を吸う。
「……先輩。」
「ん?」
「その……。」
喉まで出かかった言葉が、なかなか口から出てこない。
何度も飲み込んでは、また浮かぶ。
そして。
「……教えてください。」
部室が静かになる。
ヴァルは一瞬だけ驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「もちろん。」
その返事は、迷いがなかった。
二人は一つの画面を見つめる。
「ここ。」
「変数が一文字違う。」
「あ。」
「だから動かなかった。」
たった一文字。
それだけのミスだった。
修正すると、プログラムは何事もなかったかのように動き始める。
「……動いた。」
セトが小さく呟く。
「すごい。」
「いや、すごいのはお前。」
ヴァルは笑う。
「ここまで一人で作ったんだから。」
「最後だけ手伝っただけ。」
セトは画面を見つめたまま、小さく笑った。
「……ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
外では、いつの間にか雨が止んでいた。
部室の窓から差し込む夕焼けが、二人の机を優しく照らす。
その日、セトは初めて、自分から誰かに「教えてください」と言えた。
それはほんの一言だった。
けれど、その一言は、ヴァルとの距離をまた少しだけ縮めるには十分だった。
コメント
1件
第6話読みました…!🥺 セトくんが「教えてください」って初めて自分から言えたの、すごく大事な一歩だなって思いました。ヴァル先輩の「迷惑かどうか決めるのはお前じゃない、俺」って言葉、優しいし真っ直ぐで…読んでてじんわりきました。雨が止んで夕焼けが差し込むシーンも、二人の距離がちょっと縮まったみたいで好きです。ほっこりする回だった…🤍