テラーノベル
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「俺の知らない事まで全部バラされたなら、もう言い訳のしようがないよな」
諦めの混じった、どこか嘲笑めいた声を聞いた春佳は、黙ってフロントガラスの向こうを見つめる。
「……ゆっくり考えるか。時間はたっぷりあるから」
「……うん」
今は無理に話そうとしても、お互いを傷つける言葉しか言えない気がした。
二人とも混乱していて、なるべく冷静になろうとしているけれど、内容が内容だけに上手く整理できずにいる。
今までの冬夜なら「変態親父が悪い。あいつが死ねばすべて解決だ」と思っていただろう。
けれど本当の事を知ってしまった今、事はそう単純ではないと二人とも分かっている。
結論を出すには、今は何もかもが早すぎる。
一週間でも納得できないし、一か月経ってもまだ悶々としているだろう。
二人はそれだけ複雑な事件の被害者なのだ。
冬夜も春佳もそれ以上何も言わなかった。
車は品川区、大田区に入り、アクアラインを走る。
海ほたるパーキングエリアに寄って休憩したあと、またアクアラインを走って千葉県に入った。
進路をひたすら南にとった車は南房総の先端にあるビーチに着き、二時間車を走らせて二十一時近くになっていた。
「はぁ……。寒い、けど、海久しぶりだなぁ」
車から降りた春佳は潮風に髪をなぶらせ、黒々とした海を見て息を吐きながら言う。
砂浜は三角形のようにつんと尖っていて、三角形の先端から海にかけて、ゴツゴツとした岩が群れをなしているのが見えた。
浜には宮沢賢治の童話、シグナルとシグナレスを思わせる電線もあり、頭上にはおびただしい星が暗黒のなかに浮き上がっている。
そのまま、二人は何とはなしに歩き、ゆっくりと海に近づいていった。
やがて波が足に掛からない程度の場所に立ち、二人は黒い海を見つめる。
何度も、何度も、波が打ち寄せては返す音が繰り返す。
落ち着いて眠りたい時に波の音を聴く事はあったが、実際に海を前にした時とは雲泥の差がある。
昼間は綺麗な青色だろうに、夜の海は黒くうねり、その底に何を湛えているか分からない不気味さ、すべてを呑み込む恐ろしさがある。
晩秋の海辺は寒く、春佳はギュッと身を縮こませる。
岩礁に波が当たり、ドドッと激しい音が聞こえて波が砕けた。
――その瞬間。
「っっっあぁあああああぁああああぁああああああぁあああぁああっ!!」
隣に立っていた冬夜が、力の限り叫んだ。
喉が裂けんばかりの絶叫を聞いた春佳は、ぞわりと鳥肌を立てる。
波の音に紛れ、冬夜は何度も、何度も叫んだ。
「くそったれが!! 死ね!! 死んじまえ!! ああああああぁあああああぁっ!!」
冬夜が誰に向けて、何に向けて「死ね」と言っているのか分からない。
庸一はもうこの世の人ではない。
涼子も、もう自分たち兄妹には関わらないだろう。
もう何にも囚われず自由に生きていけるはずなのに、いまだ二人には運命の鎖が何重にも巻き付いていた。
冬夜は細身の体をくの字に曲げ、全身全霊で、何もかもを振り絞って叫び続ける。
まるで叫ぶ事で、自分を構成していたものを絞り出そうとしているようだった。
魂の叫びを耳にした春佳は、いつの間にか涙を流していた。
そして心の奥底で震えるものを解放すべく、自分も叫ぶ。
「…………ぁ、……あ、あ……っ、……っ、わあああああぁあああぁあああぁあっ!!」
大きい声を出す事に慣れていない春佳の声は、か細く震えて波音にかき消えた。
――違う。
――駄目だ。もっと大きい声。
――それでないと、伝わらない。
自分たちが味わった絶望と悲しみ、怒りは、こんなものでは収まらない。
〝犯人〟と呼べる者に何もできなくなった今、自分たちはただ叫ぶ事しかできないのだ。
「っあああああぁあああぁあああぁああっ!!」
金切り声を上げると、自分に物を投げつけて叫んでいた母を思い出す。
――あの女性は……、可哀想な人だった。
そう思うと、また新たな涙が流れてくる。
「ああああぁああああぁあっ!! ああぁあああああぁあああぁあああっ!!」
何度も、何度も、叫ぶ。
そうだ。自分は叫びたかった。
涼子につらく当たられた時、但馬を失って悲しかった時、多田に性欲を向けられた時、岩淵にのし掛かられ、頬を叩かれ、服を剥ぎ取られた時。
父が自殺したと聞かされた時、自分がレイプの果てにできた子だと知った時、冬夜が小村と付き合っていると思い込んだ時。
悲しかったし、つらかったし、怒りたかったし、言い返したかった。
みんな、理由なく春佳を翻弄した。どうして」と強い疑問を抱いても、誰も満足な答えを聞かせてくれず、暴力で、一方的な感情で、あるいは無視する事で春佳を否定した。
その怒りを、悲しみを、すべて込めて叫んだ。
永遠に叫び続けていたように思えたが、実際は数分の出来事だったかもしれない。
二人はハァハァと息を切らせ、痛くなった喉を押さえてときおり咳き込む。
黒い海は、兄妹の怒りを叩きつけられてもなお、まったく変わる事なく轟き、うなっていた。
しばらく、二人は息が整うまで黙って立っていた。
体は冷え切り、指先はかじかみ、喉はヒリヒリしている。
(このまま、ズタズタになるまで自分を痛めつけて、この世からいなくなってしまってもいいのかもしれない)
――お兄ちゃんが一緒なら。
思いきり叫び続けたあと、まるで自分が空っぽになったように感じられた。
禊は済み〝空〟になった自分なら何でもできる気がした。
ビュウビュウと吹きすさぶ潮風になぶられていると、ネオンが光る騒がしい都心にいたのが嘘のように思える。
――私たち、人知れずここで終わるのかもしれない。
そう思いながら立ち尽くしていると、冬夜がそっと手を握ってきた。
「……なぁ、春佳」
兄に話しかけられ、春佳は穏やかな顔で大好きな男性(ひと)を見た。
「このまま、二人で死ぬか」
彼はまるで、「散歩にでも行くか」というような気軽な声で心中に誘う。
返事を考えている間、ザァァァン……、ザァァァン……、と、潮騒が鳴り、鼓膜に刻みつけられる。
強い潮風が髪をなぶるさまは、まるで運命に翻弄される自分たちのようだ。
(……そうだね。もう終わらせてもいいのかもしれない)
心の中で返事をした春佳は、暗闇の中で小さく微笑んだ。
暗くて冬夜の顔はよく見えないが、彼も笑っているように見える。
――うん。お兄ちゃんと一緒なら。
頷いた春佳は、とても穏やかな気持ちで返事をした。
「いいよ」
泣きたくなるほど美しい天の川の下、愛しい妹が自分を肯定してくれる。
彼女の答えは、追い詰められた冬夜にこの上ない安らぎを与えた。
――もう、何も考えたくない。
二人とも、思っている事は同じだ。
――ならばこのまま……。
臣桜
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田中葵
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らりるれろ
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コメント
1件
わあ…第44話、重くて、でもすごく綺麗な回でした。二人が砂浜で叫ぶシーン、喉が裂けるほど魂ごと吐き出すような絶叫が胸に刺さりました。春佳の「いいよ」と応じるラストがまた切なくて。天の川の美しさと心中の誘いがセットになる構成に、運命の皮肉みたいなものを感じました。冬夜が「散歩にでも行くか」みたいな口調で言うところに、もう生きることへの執着が完全に切れてしまったのが伝わってきて苦しいです。この泥沼からどう上がっていくのか、それとも…続きが気になります。