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その店は、歓楽街の路地裏にある雑居ビルの地下にひっそりと佇んでいた。
看板にはただ『Eden』とだけ書かれている。重い鉄の扉を開け、階段を降りていくにつれ、コンクリートの湿った匂いと、微かに混ざる高級な白檀のお香の香りが鼻腔をくすぐった。
翼がその部屋の敷居を跨いだのは、人生のすべてに行き詰まった夜だった。
大手証券会社での過酷なノルマ、上司からの執拗な叱責、それ以上に、自分のミスで部下を一人、精神的失調に追い込んでしまったという引き裂かれるような罪悪感。翼の心は、自分で自分を裁く法廷と化していた。誰かに罰してほしかった。この耐え難い肉体と精神を、完膚なきまでに破壊してほしかった。
しかし、案内された部屋の扉を開けた瞬間、翼は息を呑んだ。
SMクラブと聞いて想像していた、赤と黒の、淫靡で血生臭い空間ではなかった。
壁も、床も、天井も、すべてが病院の無菌室のように真っ白だった。部屋の中央には、天井から吊るされた頑丈な太いロープと、革製の拘束台がある。だがそれすらも、不気味なほど綺麗な白色に塗装されていた。
部屋のスピーカーからは、重々しいパイプオルガンの讃美歌が、静かに、地を這うように流れている。
「……ようこそ、迷える子羊よ」
部屋の奥から現れた女性を見て、翼は言葉を失った。
彼女は、白かった。
足首まである純白のロングドレス。胸元は詰まっており、露出はほとんどない。ただ、ドレスの素材は鈍い光沢を放つエナメル質で、身体のラインを容赦なく強調していた。背中には、まるでオブジェのような、本物の鳥の羽を加工して作られた真っ白な「翼」が、革のハーネスで打ち付けられている。
髪は艶やかな黒。顔立ちは冷徹なまでに整っており、その瞳はすべてを見透かすように昏く、深い。
「あの……女王様、ですか?」
翼が掠れた声で尋ねると、女性は不快そうに、しかし優雅に首を横に振った。
「その、低俗な呼び方はおやめなさい。私はあなたたちの肉欲を満たすためにここにいるのではないわ。私は、あなたのような罪人を導く者。……私のことは、『天使様』と呼びなさい」
天使様。
そのあまりにも不釣り合いで、しかし彼女の圧倒的な存在感の前では妙に説得力を持つ言葉に、翼の喉が鳴った。
「さあ、服を脱ぎなさい。あなたの纏う日常という名の穢れを、すべてここに置いていくのよ」
彼女――天使様の声は、低く、鼓膜に心地よく響くアルトだった。翼は吸い込まれるように、自らの衣服を脱ぎ捨て、冷たい床に膝をついた。
「名前は?」
「翼、です」
「いいえ、今日からあなたは『子羊』。ただの、迷える哀れな肉塊よ」
天使様は、部屋の隅にある白いワゴンから、一本の鞭を取り出した。それすらも、白く染められた牛革の鞭だった。
「翼。あなたは、何をしてほしくてここへ来たの?」
「……罰して、ほしいんです。僕が悪いんです。僕が、あいつを……」
「理由などどうでもいいわ。人間は生きているだけで罪深い。あなたのその、浅ましい罪悪感を、私がすべて引き受けてあげる。感謝しなさい」
ひゅん、と空気を切り裂く音がした。
直後、翼の背中に、灼熱の線が走った。
「あ、がっ……!」
あまりの激痛に、翼は床に伏せ、身悶えした。皮膚が裂け、熱い血が滲み出るのがわかる。
「声を殺さないの。痛みは、あなたが生きている証。そして、罪が剥がれ落ちる音よ」
間髪入れずに、二撃目、三撃目が振り下ろされる。
天使様の打撃には、一切の躊躇も、無駄な感情もなかった。それはまるで、熟練の彫刻家が岩を削り出すかのような、正確で冷徹な作業だった。
激痛が翼の脳を真っ白に染めていく。
会社での理不尽な叫び声、部下の絶望した顔、夜も眠れないほどの焦燥感。それらすべてが、背中を襲う圧倒的な「痛み」によって、強制的に消去されていく。痛い。痛くて、死にそうだ。だが、それと同時に、脳内でエンドルフィンが爆発的に分泌されるのを感じる。