──街の夜は、思ったより静かだった。
夜のビル街、人気のない路地裏を、少女は一人歩いていた。
歳は十七。制服ではないが、まだどこか幼さを残すその横顔に、街灯の明かりが冷たく影を落とす。
名は、栞(しおり)。
コードネーム0812。
この業界ではまだ“ひよっこ”と呼ばれている、新人の殺し屋だ。
手にはまだ使い慣れない拳銃。
内ポケットには一応、ナイフ。
でも──
「……ほんとに、こんなのでいいの?」
ふっと、栞は自分に問いかけた。
心臓が高鳴る。足が冷たくなる。吐き気すら覚えるこの状況に、まだ自分が“場違い”だと、体が教えてくる。
今日の任務は、監視と見張り。
といっても、現場での指示はすべてバディに任されている。
そのバディが──
「おい、余所見すんな。背後取られてんぞ」
──翠(すい)。
コードネーム0415。
この道では知らぬ者はいないと言われる、冷酷で容赦のないプロの殺し屋。
栞がびくりと肩をすくめて振り返ると、いつの間にか背後に立っていたその男が、ジッと彼女を見下ろしていた。
鋭い目つき。冷たい声。無駄に整った顔立ち。
そして、スーツのポケットに片手を突っ込んだまま、無愛想に吐き捨てる。
「今の3秒、お前もう死んでたな」
「……っ! す、すみません……!」
慌てて頭を下げる栞に、翠は興味なさそうに視線を外す。
「別に謝られても困る。俺はお前の保育士じゃねぇし、守るつもりもない」
そう言って、くるりと背を向けると、音もなく闇に消えていった。
その背中を、栞は何も言えずに見送った。
(……ひどい人だ)
けど、噂では聞いていた。
0415、翠。
冷たくて意地悪で、でも腕は確かで、命令は絶対。
一緒に任務に出たバディは、ほとんど数回で交代を申し出るという。
(わたしも、そうなっちゃうのかな……)
震える指で、ポケットの中の通信端末を握りしめた。
初任務──期待と不安の中で憧れていた世界が、思ったよりも冷たく、重く、息苦しい。
けれど、そんな思考もつかの間だった。
──パンッ!
乾いた銃声が、遠くで響いた。
次の瞬間、栞の肩がぐいと引かれ、壁際に押し付けられる。
「バカ、まだ状況わかってねぇのか!」
目の前には、さっきまで姿を消していた翠。
至近距離で見上げるその顔は、冷たい怒りをにじませながらも、何かを必死に押し殺しているようだった。
「動くな。いいから俺の言うことだけ聞け」
「……!」
何も言えずに頷くと、翠は銃を抜き、鋭く視線を走らせた。
「……ターゲットじゃねぇ。別組織の邪魔が入ったか」
短くそう呟くと、彼はすぐに動いた。
驚くほど静かに、そして正確に。
一発、二発──銃声と同時に、物陰にいた男たちが倒れる。
その動きはまさに“死神”。
迷いも、容赦もない。
「殺し屋」と呼ばれる所以が、目の前でまざまざと繰り広げられていた。
やがて、全てが静かになった。
血の匂い。倒れた人間の気配。
全身が凍るような感覚の中、栞の肩に、ひとつだけぽんと手が置かれる。
「お前が無駄に突っ込まなかったのは正解だ。まあ、ビビって動けなかっただけだろうけどな」
「……!」
ムカッとするけど、反論はできない。
でも、さっきの「手」は──なんだか、不思議とあたたかかった。
「次、余計なことしたらマジで捨てるからな。覚えとけ、新人」
ふいに、翠が振り返る。
街灯の下、淡く光に照らされたその横顔は、美しくて、冷たくて、それでもどこか寂しそうに見えた。
栞は、思わずその姿に見惚れてしまい──すぐに自分で頭を振った。
(何考えてんの、わたし……!)
そうして、任務初日。
“殺し屋”としての第一歩は、恐怖と衝撃と、少しの優しさから始まったのだった。
──この男と、バディを続けていくことになるなんて。
今の彼女には、まだ想像もついていない。
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