でも尊さんの愛情を受けてすべての感覚が〝普通〟に戻りつつある今、もう一度母と娘として向き合えるかもしれない。
(全部、尊さんのお陰だな)
微笑んで彼の腕をまた抱き締めた時、尊さんが遠慮がちに尋ねてきた。
「……その。……今まであまり触れないようにしていたけど、亡くなったお父さんの事、聞いてもいいか?」
「……え? …………はい」
父の事を尋ねられ、私は少しぼんやりして返事をする。
すっかりもう話したような気持ちでいたから、今になって何を……と思ったけれど、すぐに考えを打ち消した。
(そうだ、私、お父さんの事を何も話してない……?)
気づいて「どうして話さなかったんだろう」と思ったけれど、すぐに明確な答えは浮かんでこなかった。
「トラウマに触れるようだったら申し訳ないけど、どうして亡くなったんだ? 話したくないならいいんだけど」
質問され、私は答えようとして小さく口を開き、少し息を吸って――――、出すべき言葉を失ってしまった。
…………どうして死んじゃったんだっけ。
父の笑顔や、楽しかった思い出なら沢山出てくる。
なのに、あれだけ大好きだった父が、どうしていなくなってしまったのか、そこだけ記憶がごっそりなくなっていた。
「…………その…………」
私は間をつなげるために呟き、そのあとも沈黙し続ける。
それを尊さんは〝否定〟ととったのだろうか。
彼は優しい声で「ごめん」と謝る。
「無理に聞きたいわけじゃない。いつか話してくれる気持ちになったら、その時に聞くよ」
「そ、そうじゃない!」
私はザバッと水音を立て、体ごと彼を振り向く。
「違うの! 話したくないわけじゃない! 私……っ」
必死な顔をしていたのか、尊さんは私をギュッと抱き締めてきた。
「いいんだ。ごめん」
「~~~~っ、そうじゃない! ……そうじゃないの。…………私、……その、待って」
私は必死に説明しようとし、尊さんの腕の中で少し荒くなった呼吸を繰り返す。
「父の死に傷付いていて、話したくないとかじゃないんです。尊さんになら、どんな事だって話したいです」
「うん」
尊さんは私を見つめ、何でも受け入れる目で頷いた。
「……分からないんです。……父がどうして亡くなったのか思いだそうとしたら、そこだけ記憶がぽっかりと白くなっていて……。思いだしたくても思いだせないんです」
説明すると、尊さんの表情に微かに憐憫が混じる。
そして彼は視線を落とし、痛みの籠もった笑みを浮かべた。
「……俺も、母と妹を亡くしたあと、しばらくそういう状態だった。だから焦らなくていいし、無理をしなくていい」
「ん……」
呆然としつつ返事をしてから、一気に不安になってきた。
「……どうしてだろう……。なんで……」
わけが分からなくて呟くと、尊さんは私の背中をトントンと叩く。
「今は一旦置いておこう。〝お父さんの死因が分からない〟という事が分かっただけでも、一歩前進としよう。記憶にない事を一気に知るのは不可能だし、少しずつ段階を追って考え、行動していくんだ」
「……はい」
不安をそのままにせず、ちゃんと安心できるよう着地させてくれた尊さんに、私は内心感謝する。
その時、私はハッと思いついた。
「お母さんなら知ってるに決まってる」
同意を求めて尊さんを見ると、彼は小さく頷いた。
「近いうちに聞きに行こう。……でも、もう少し慎重に構えてもいいかもしれない」
「なんで……?」
目を瞬かせると、尊さんはチャプ……と水音を立てて私の頬を撫でた。
「忘れていたっていう事は、それだけの理由があるっていう事だ。朱里のお父さんがどんな亡くなり方をしたか分からない。でも〝大好きなお父さんが亡くなった〟だけで、死因を忘れる事はないと思うんだ」
彼の説明を聞いているうちに、興奮した気持ちが落ち着くと共に不安が増してくる。
「……『忘れたほうがいい』と無意識に思ったという事?」
コメント
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尊さんは何か感じた、と言うよりわかったね。